亡命チベット人の物語アルバム「転生」の中で1番ヒットしたのは、最後から2曲目の「サーモン·ダンス」です。
そのサビの歌詞「生きて 泳げ 涙は後ろへ流せ」から今回は題を取りました。
今回は女性トゥルクである秀祥の物語に復帰しますが、その前に男性トゥルクの代表であるダライ・ラマの役柄を描いて置きます。
彼は外交に力を入れてチベット人の窮状を世界に訴え、それは国どうしの駆引きに利用されないよう、国連や民衆への訴えがメインでした。
この電報ではチベットで民族浄化が行われていると訴えていますが、その具体例としては『チベットにおける強制不妊手術』などがネットでは出て来ます。
これは個人の証言ですが、この「断種政策」の全体像を追究した研究レポートもあります。(エイドリアン·ゼンツ著)
そこではチベット人とウイグル人の、若い女性の3割までが「強制不妊手術」を受けさせられたとしております...
これは想像を絶する話で、ツェリン·オーセル著「チベットの秘密」でもこれに触れていますが、詩人だった彼女はその惨状を知ってから全く詩が書けなくなったといいます。
秀祥が目の当たりにした「断種政策」はそれよりも酷いモノで、長年戦い続けて独立を守った優樹(ユーシュー)の男達は、みんな絶滅収容所へ送られて帰って来ませんでした。
女性達は強制的に漢民族の子供を産まされて、漢民族にさせられてしまいました。
こうした故郷の悲しい現状を想う度に、秀祥は涙を流します。
それは殆ど毎日のコトでしたが、彼女の涙はいつまでも枯れるコトを知らず、多くの涙を流すほどに「共感の技法(外気功)」は磨かれて行きます。
そんな秀祥は25歳で世界一周の旅に出ます。 それは世界中に散らばったチベット人達を励まし結束させる旅であり、多くの国の人々にチベット人の苦闘を知って貰うための旅でした。
秀祥は川を登るサケの様に「生きて 泳ぎ」、「涙は後ろへ流し」進んで行きます。