前回「命のバトン」と勘違いしましたが、やはりこの中島みゆき最大のソウル-バラードは「命のリレー」よりもバトンの方がしっくり来ます。
おそらく「命のバトン」(島津亜矢)という歌が当時流行っていたので「リレー」にしたのかと思われますが、歌のサビでは「命のバトンつないで~ 願いを引き継いで行け~」と絶唱しています。
チベット人にとって「命のバトンをつなぐ」コトは特に大きな意味を持ち、それはトゥルクの転生に象徴されています。
こうした特別な転生者が民を導くスタイルの国は希少で、ダライ・ラマは民からの信任がなければ何時でも政権を民に託すと言っております。
これは中華圏で伝統的に追い求められて来た「聖賢政治」の完成形と言える気がし、それを野蛮な革命から生まれた「衆愚政治」が蹂躙しました。
革命とはつまるところタダの「暴力の嵐」で、それに巻き込まれるコトを避けて'59年に政府ごと亡命したダライ・ラマの判断は正しかったと言えます。
それは「革命政権」が巻き起こした'59年~'76年の嵐(大躍進~文化大革命)を避けられたからで、もしもチベットに踏みとどまっていたら全ての伝統文化が途絶えてしまったコトでしょう。
実際に中国では伝統文化が全て破壊されて、「衆愚政治の極み」と言える中国共産党は人民の権利を剥奪しながら権力闘争に明け暮れています。
この愚かな革命政権を打ち倒して祖国を取り戻すという「願い」は、チベット人だけでなくウイグル人やモンゴル人、そして真に愛国的な中国人(華僑)や台湾人にも、「バトン」として次世代に引き継がれています。
次回も中島みゆきの「転生」から題を取りますが、そろそろまた物語に戻って秀祥のバルドゥの続きを描こうと思います。