「エクソダス」は旧約聖書-出エジプト記の英訳タイトルになっていますが、わたしが1番インスパイアされたのはクラシック映画「栄光への脱出」です。
この映画からは「光の子カレン」と「パレスチナの王子タハ」を、物語で「ネイティブのキリスト秀祥(しゅうしゃん)」の十二使徒として起用しており、この2人の息子シャローム教授にも「長征」で活躍して貰っています。
ここでシャローム教授のモデルとした、イスラエルの人類学者ダヴィド-シュルマンについて言及しますと、彼は今も存命でパレスチナ人との和解を探究されているので、その言葉をいくつか紹介したいと思います。
ーー 私がそうするのは、それがなすべき正しいことだからであり、またそれだけが私にできることだからだ。私がそうするのは、そうすることによって、自分もわずかだが自由になると感じるからであり、自分を人間だと感じるからである。 ーー
シュルマン教授はパレスチナ人を助ける活動によって何度もイスラエル兵に捕まっていますが、その度に「私が知っているいかなる感情、愛よりもなお甘美な内的自由という感情が立ちのぼってくる」と言い、これを彼は詩的にも表現しています。
ーー もし自分が超自然的なものを信じるなら、隠された小さな日記を付けている神を思い描けるだろう。そこに神はこのようなこと(私の体験)を、神自身の絶望を癒す薬として書き付けるのだ。 ーー
もしも神が我々と共にあると信じるならば、こうした言動に賛同できるはずです。
ルーガ(流河)もそんな体験をして来たシャローム教授に師事して、同じ流れに乗ろうとします。
それは中国では、民族的な差別を受けて来たチベット人やウイグル人との和解を探究する道であり、同じく差別されて来た「闇っ子」のルーガだからこそ、この歴史的な争いからのエクソダスを導き得るとします。