シャンシュン王国の拡大については、もう少し詳しく語るべきかと思います。
聖山カイラスの麓で発祥した王国は後に吐蕃と呼ばれ、この国は一時唐の長安(今の西安)を占領して中国の大半を治めるまでに成長します。
そんなエネルギーが果たして、草原しかない様な国のどこから生まれたのか不思議ですが、昨日「ダーウィンが来た」で映していたアラスカのトナカイの群れ10万頭を観て、草原には物凄い生産性があると実感しました。
シャンシュン王国も、初代女王セイの時代には10万の人口を抱える様になり、ますます子供が増えて行く中で国土の拡大は必然的でした。
「子供の国」では出生率がとても高く、1人の女性が産む子供の数は平均4人で、これは20年ごとに人口が倍増する勢いです。
それだけの口を養うには開拓を続ける必要があり、肥沃なヤルツァンポ河流域には多くの集落が出来て行きます。
セイに率いられ東に向かった子供たちのキャラバンは、彼女が東方の果ての島から帰って来る頃には、もう立派な村をチベット東部に築いていました。
そこは森林資源のとても豊富な土地で、中国共産党がシャングリラの地名を付けるほどの美しい場所です。
そこで子供たちは隣国の人達と仲良く暮らし、清らかな愛を交わして20年おきに倍々の勢いで増えて行きます。
この「子供の国」は活気みなぎる女性が主役で、後の世に「女国」と呼ばれるる様になります。