毎日新聞は4月6日付で、
「「難民」送還 試される欧州人道主義」
と題する社説を掲げている。
私がブログで難民問題を取り上げてから、
この問題を扱ったはじめての社説である。
さっそく私は、期待をもってこの社説に目を通した。
目を通してすぐ、私は肩透かしを食らった気分になった。
難民に対処する欧州各国の実情は、コレコレ「である」。
コレコレに関しては、シカジカが実情「である」、といった具合で、
この社説は、
「である」砲の連続射撃から、――事実の列挙から、
成り立っている。
実情が知りたい人にとっては、
この社説は役立つだろうが、
私が求めているのは、こうした「である(be)」ではなく、
「べき(ought)」についての問いであり、
その問いに対する答えなのだ。
毎日の社説は、「べき」の問いも、
この問いに対する答えも
全く無視し、
完全スルーしてしまっている。
そんな青っちょろい問いなんて
愚問だと言わんばかりだ。
この社説の締めの文章は、以下の通りである。
「戦乱や貧困に苦しむ中東・アフリカから豊かな欧州を目指す人の流れをコントロールするのは簡単ではない。
難民危機をどう解決に導くか。
戦後欧州が理念に掲げてきた人道主義が試されている。」
大学入試の模範解答のような、
そつのない見事な文章である。
でも、これでいいのだろうか。
難民危機をどう解決に導くか。
それが問題なのだが、
毎日はこの問いを、
「人道主義」という欧州の理念の側に
いわば丸投げしてしまっている。
「あなたたち西洋の人が言う人道主義からすれば、
どういう解が出てくるんですかね。
東洋人の私にはどうでもいいことですが、
参考までに
一応聞かせてもらえませんか?」
といった無責任な態度なのだ。
ここにもエリート・ジャーナリズムの典型的文章がある。
「「難民」送還 試される欧州人道主義」
と題する社説を掲げている。
私がブログで難民問題を取り上げてから、
この問題を扱ったはじめての社説である。
さっそく私は、期待をもってこの社説に目を通した。
目を通してすぐ、私は肩透かしを食らった気分になった。
難民に対処する欧州各国の実情は、コレコレ「である」。
コレコレに関しては、シカジカが実情「である」、といった具合で、
この社説は、
「である」砲の連続射撃から、――事実の列挙から、
成り立っている。
実情が知りたい人にとっては、
この社説は役立つだろうが、
私が求めているのは、こうした「である(be)」ではなく、
「べき(ought)」についての問いであり、
その問いに対する答えなのだ。
毎日の社説は、「べき」の問いも、
この問いに対する答えも
全く無視し、
完全スルーしてしまっている。
そんな青っちょろい問いなんて
愚問だと言わんばかりだ。
この社説の締めの文章は、以下の通りである。
「戦乱や貧困に苦しむ中東・アフリカから豊かな欧州を目指す人の流れをコントロールするのは簡単ではない。
難民危機をどう解決に導くか。
戦後欧州が理念に掲げてきた人道主義が試されている。」
大学入試の模範解答のような、
そつのない見事な文章である。
でも、これでいいのだろうか。
難民危機をどう解決に導くか。
それが問題なのだが、
毎日はこの問いを、
「人道主義」という欧州の理念の側に
いわば丸投げしてしまっている。
「あなたたち西洋の人が言う人道主義からすれば、
どういう解が出てくるんですかね。
東洋人の私にはどうでもいいことですが、
参考までに
一応聞かせてもらえませんか?」
といった無責任な態度なのだ。
ここにもエリート・ジャーナリズムの典型的文章がある。
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