きょうはあれから12年。言わずと知れた東日本大震災である。あれから12年の記念すべき日に、新聞各紙が社説でどういう論調を展開するか、私は大いに関心を持った。
私自身について言えば、「あの日」に臨むスタンスははっきりしている。「あの日」は、大津波によって多くの人命が奪われた日であるとともに、フクシマ原発事故によって多くの近隣住民が避難を強いられた日でもある。
だからきょうという日は「大津波・被災記念日」であると同時に「フクシマ記念日」でもあるのだ。
ところが、このところテレビに代表されるマスコミでは、きょうが「大津波・被災記念日」であることだけを強調し、「フクシマ記念日」であることの意義をなおざりにしようとする傾向が顕著になっている。きっとマスコミは、原発の再稼働に走ろうとするキシダ政権の意向を「忖度」しているのだろう。
そんなふうに考える私は、一つの予断をもって各紙の社説に臨んだ。朝日と毎日は、きょうが「大津波・被災記念日」であると同時に「フクシマ記念日」であることにもきちんと言及し、やみくもに原発再稼働を促進しようとするキシダ一派の企てを批判するに違いない。
他方、読売と産経は、きょうが「フクシマ記念日」であることを度外視し、原発を再稼働することの意義をもっぱら強調するに違いない。
それでは日経はどうなのか。経済を重視する自らの立場と、フクシマ原発事故の教訓を、日経はどう折り合わせるのだろうか。
いろいろな立場が想定されるが、さて、実のところはどうなのか。各紙の論調を具体的に見ていくことにしよう。
まずは朝日の社説であるが、そのスタンスは《原発事故から12年 教訓捨てる「復権」 許されず》というそのタイトルに端的に示されえている。ここで言う「教訓」とは、ひとたび事故を起こせば甚大な災害を周囲にまき散らす原発は、運用にきわめて慎重な配慮を要する施設であり、軽々に老朽化原発の再稼働を企てることは許されない、ということである。
この教訓がいかに大事かを示すために、朝日は今も重くのしかかる事故の影響と、これを除去すべく悪戦苦闘する住民の姿をドキュメンタリー・タッチで描いている。
原発事故の悲惨な痕跡は、12年経った今でもなかなか消え去らない。
にもかかわらず、岸田政権はこうした現実には目を向けず、「原発を『最大限活用』する新方針を決め、建て替えや運転期間の延長に踏み出した」。フクシマの教訓を蔑ろにする岸田政権のこうした姿勢は許されない、と朝日はいうのである。
毎日新聞はどうか。毎日のスタンスも社説のタイトルによく示されている。
《福島第一原発事故12年 終わり見えぬ苦難直視を》と題された社説の冒頭で、
毎日は次のように書いている。
「東日本大震災からきょうで12年となる。沿岸部を襲った大津波と東京電力福島第1原発事故などにより、関連死を含めて2万2000人以上が犠牲となった。
今も約3万1000人が避難生活を強いられている。そのうち9割は福島の住民だ。放射線量の高い帰還困難区域が広範囲に及ぶ自治体では、多くの住民が戻らず、復興が遅れている。」
毎日は、犠牲者の具体数を列挙することで、原発事故がいかに広範な影響を及ぼしたかを強調している。
原発の近隣に住んでいた住民たちの闘いは「復興」に向けた闘いになるが、この復興が遅々として進まない現実がある。
「政府はこの区域(帰還困難区域)のうち「復興拠点」と位置付けたエリアの除染を進めている。だが、区域全体の1割に満たない。(中略)
福島県浪江町は、こうした現状を象徴する自治体だ。現在の居住人口は事故前の1割以下の2000人弱にとどまる。帰還困難区域が県内で最も広く、町域の8割を占めることが大きなハンディとなっている。」
「復興」とひと口で言っても、それは失われた地域共同体を元通りに復活することであり、一人あるいは数世帯が戻っても、共同体の暮らしは取り戻せないから、「復興」はいつまでも「数の壁」に阻まれる。区域内の除染が済んでも、多くの住民がそこに戻る気になれなければ意味がないのだ。
「復興」に向けて苦闘する住民たちの苦境をこう描いた上で、毎日は、既存原発の再稼働へと走る岸田政権の政策転換を、「原発事故で暮らしが一変した人たちの神経を逆なでするような」ものだと糾弾する。今も癒えない被災者たちの苦難に目を注ぎ、毎日はこう締めくくっている。
「住民は古里を奪われ、住む場所をなくしただけではない。親しい人と交わって暮らす幸せや安心も失った。事故から12年になっても、喪失感は癒えていない。
原発事故は終わっていない。
政府は原発回帰を急ぐのではなく、住民一人一人の苦難を直視すべきだ。どこに身を寄せようとも、人とのつながりや生きがいを見つけられるよう、支援に力を入れる責任がある。」
(つづく)
私自身について言えば、「あの日」に臨むスタンスははっきりしている。「あの日」は、大津波によって多くの人命が奪われた日であるとともに、フクシマ原発事故によって多くの近隣住民が避難を強いられた日でもある。
だからきょうという日は「大津波・被災記念日」であると同時に「フクシマ記念日」でもあるのだ。
ところが、このところテレビに代表されるマスコミでは、きょうが「大津波・被災記念日」であることだけを強調し、「フクシマ記念日」であることの意義をなおざりにしようとする傾向が顕著になっている。きっとマスコミは、原発の再稼働に走ろうとするキシダ政権の意向を「忖度」しているのだろう。
そんなふうに考える私は、一つの予断をもって各紙の社説に臨んだ。朝日と毎日は、きょうが「大津波・被災記念日」であると同時に「フクシマ記念日」であることにもきちんと言及し、やみくもに原発再稼働を促進しようとするキシダ一派の企てを批判するに違いない。
他方、読売と産経は、きょうが「フクシマ記念日」であることを度外視し、原発を再稼働することの意義をもっぱら強調するに違いない。
それでは日経はどうなのか。経済を重視する自らの立場と、フクシマ原発事故の教訓を、日経はどう折り合わせるのだろうか。
いろいろな立場が想定されるが、さて、実のところはどうなのか。各紙の論調を具体的に見ていくことにしよう。
まずは朝日の社説であるが、そのスタンスは《原発事故から12年 教訓捨てる「復権」 許されず》というそのタイトルに端的に示されえている。ここで言う「教訓」とは、ひとたび事故を起こせば甚大な災害を周囲にまき散らす原発は、運用にきわめて慎重な配慮を要する施設であり、軽々に老朽化原発の再稼働を企てることは許されない、ということである。
この教訓がいかに大事かを示すために、朝日は今も重くのしかかる事故の影響と、これを除去すべく悪戦苦闘する住民の姿をドキュメンタリー・タッチで描いている。
原発事故の悲惨な痕跡は、12年経った今でもなかなか消え去らない。
にもかかわらず、岸田政権はこうした現実には目を向けず、「原発を『最大限活用』する新方針を決め、建て替えや運転期間の延長に踏み出した」。フクシマの教訓を蔑ろにする岸田政権のこうした姿勢は許されない、と朝日はいうのである。
毎日新聞はどうか。毎日のスタンスも社説のタイトルによく示されている。
《福島第一原発事故12年 終わり見えぬ苦難直視を》と題された社説の冒頭で、
毎日は次のように書いている。
「東日本大震災からきょうで12年となる。沿岸部を襲った大津波と東京電力福島第1原発事故などにより、関連死を含めて2万2000人以上が犠牲となった。
今も約3万1000人が避難生活を強いられている。そのうち9割は福島の住民だ。放射線量の高い帰還困難区域が広範囲に及ぶ自治体では、多くの住民が戻らず、復興が遅れている。」
毎日は、犠牲者の具体数を列挙することで、原発事故がいかに広範な影響を及ぼしたかを強調している。
原発の近隣に住んでいた住民たちの闘いは「復興」に向けた闘いになるが、この復興が遅々として進まない現実がある。
「政府はこの区域(帰還困難区域)のうち「復興拠点」と位置付けたエリアの除染を進めている。だが、区域全体の1割に満たない。(中略)
福島県浪江町は、こうした現状を象徴する自治体だ。現在の居住人口は事故前の1割以下の2000人弱にとどまる。帰還困難区域が県内で最も広く、町域の8割を占めることが大きなハンディとなっている。」
「復興」とひと口で言っても、それは失われた地域共同体を元通りに復活することであり、一人あるいは数世帯が戻っても、共同体の暮らしは取り戻せないから、「復興」はいつまでも「数の壁」に阻まれる。区域内の除染が済んでも、多くの住民がそこに戻る気になれなければ意味がないのだ。
「復興」に向けて苦闘する住民たちの苦境をこう描いた上で、毎日は、既存原発の再稼働へと走る岸田政権の政策転換を、「原発事故で暮らしが一変した人たちの神経を逆なでするような」ものだと糾弾する。今も癒えない被災者たちの苦難に目を注ぎ、毎日はこう締めくくっている。
「住民は古里を奪われ、住む場所をなくしただけではない。親しい人と交わって暮らす幸せや安心も失った。事故から12年になっても、喪失感は癒えていない。
原発事故は終わっていない。
政府は原発回帰を急ぐのではなく、住民一人一人の苦難を直視すべきだ。どこに身を寄せようとも、人とのつながりや生きがいを見つけられるよう、支援に力を入れる責任がある。」
(つづく)
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