ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

新年を迎える

2025-01-02 13:40:01 | 日記
あけましておめでとうございます。
きのうは元旦。昼頃、息子夫婦が(生まれて6ヶ月の)女の子の赤ちゃんを連れて我が家にやってきた。
2時間ほどして、娘夫婦が二人の孫を連れて姿を見せた。
いつもはガランとした老夫婦だけの我が家も、この日は我々老夫婦の他に、息子ファミリーが3人、娘ファミリーが4人、総勢9人となり、久々の賑わいである。
母が亡くなって間もないので、しきたりからすれば喪中なのだが、このにぎやかな団欒を見て、母もさぞ草葉の陰で喜んでいることだろう。

娘ファミリーが遅れて来たのには理由(わけ)がある。息子ファミリーと自分たちと、全員がそろっての会食では老母の負担が大きかろうと気遣って、自分たちは昼食を自宅で済ませてきたのである。
娘ファミリーが姿を見せてから2時間ほどして、息子たちは帰っていった。東京までの道路が混むから、とか、ワンちゃんを家に残してきたので心配だ、とか、尤もらしい理由がいじらしい。

息子たちが帰ると、娘の子どもたち、ーー孫たちがいつものようにドタバタ騒ぎをはじめた。私は頃合いをみて自室に戻り、ぼんやりテレビを見て過ごした。

一夜が明けてきょうは1月2日。娘ファミリーは妻と一緒に、近くのショッピングセンターに出かけた。喧騒が去ってひっそり静まり返った部屋の空気を味わいながら、私は今、独りの時間を過ごしている。
ふと「ブログでも書いてみるか」と思った。予定にはなかったことだが、そんな時間の過ごし方が私はいちばん落ち着く。
キーボードをたたく、ブログを書くとは、結局のところそういうことなのだろう。
穏やかな新年である。椿事が訪れますように、椿事が訪れませんように、と祈りつつ、備忘の意をこめて。
(電子漢和辞典「漢字源」で調べたら、「椿事」の「椿」には「不意の出来事」、「変わったこと」の意味があるようだ。)

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