論語を現代語訳してみました。
八佾 第三
《原文》
三家者以雍徹。子曰、相維辟公。天子穆穆。奚取於三家之堂。
《翻訳》
三家者〔さんかしゃ〕、雍〔よう〕を以〔もっ〕て徹〔おさ〕む。子 曰〔のたま〕わく、相〔たす〕くるもの維〔こ〕れ辟公〔へきこう〕あり。天子〔てんし〕 穆穆〔ぼくぼく〕たり、と。奚〔なん〕ぞ三家の堂〔どう〕に取〔と〕らん、と。
三家者〔さんかしゃ〕、雍〔よう〕を以〔もっ〕て徹〔おさ〕む。子 曰〔のたま〕わく、相〔たす〕くるもの維〔こ〕れ辟公〔へきこう〕あり。天子〔てんし〕 穆穆〔ぼくぼく〕たり、と。奚〔なん〕ぞ三家の堂〔どう〕に取〔と〕らん、と。
《現代語訳》
孔先生はまた、三桓氏(季孫氏、孟孫氏、叔孫氏)が、祖先祭祀〔さいし〕を行ない、最終のお供え物をお下げする儀式において、雍〔よう〕の詩を用い、楽曲を演奏していたことについて、次のように論じられました。
雍の詩には、「祭〔まつり〕の助力〔じょりょく〕に集〔つど〕える諸侯〔しょこう〕がた。天子は気高く奥床〔おくゆか〕し」とあるが、三桓氏の祭祀を行なう堂(=大広間)へ、諸侯がたが集うはずもなく、天子様気取りは礼を失するといってよい。
つまり三桓氏は、堂や祭祀は立派でも、ご先祖様や天子様に対する敬いの心が乏〔とぼ〕しいのだろう、と。
〈つづく〉
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考にしているが、決して両先生を否定するものではない