論語を現代語訳してみました。
八佾 第三
《原文》
孔子謂季氏。八佾舞於庭。是可忍也、孰不可忍也。
《翻訳》
孔子、季氏〔きし〕を謂〔い〕う、八佾〔はちいつ〕 庭〔てい〕に舞〔ま〕わしむ、是〔こ〕れを忍〔しの〕ぶ可〔べ〕くんば、孰〔いず〕れをか忍ぶ可からざらん、と。
孔子、季氏〔きし〕を謂〔い〕う、八佾〔はちいつ〕 庭〔てい〕に舞〔ま〕わしむ、是〔こ〕れを忍〔しの〕ぶ可〔べ〕くんば、孰〔いず〕れをか忍ぶ可からざらん、と。
《 はじめに 》
云〔い〕い伝えによると、孔先生は、魯〔ろ〕の国の官爵〔かんしゃく〕を賜〔たまわ〕ったのちに、当時の周王朝の都があった洛陽〔らくよう〕へと赴〔おもむ〕かれており、その際、数名のお弟子さんらとともに、古い書物の複写に取り掛かることになったそうです。
そしてまた、李耳〔りじ〕さん(=老子)との出会いのなかで、『無』の境地を教わることになります。この『無』とはつまり、「流れに逆らってはならない」ということなんでしょう、「清き水であっても、流れていなければ、いずれ腐ってしまう」と、李耳さんは、先生に仰られています。
一見、先生の仰られる、「実践する=有」に対して、全くの反論のようにも思えますが、しかし、人は学び(=清き水)、後世に伝えていく(=流れ)ことで、永遠に絶えない(=腐らない)、そう捉えることもでき、李耳さんはきっと、先生やお弟子さんたちに、大いに期待されたことでしょう。
また、先生は、隣国の斉〔せい〕の国に長期滞在することがありました。そこでは師譲〔しじょう〕さんという方から楽(琴)を学ぶことによって、古い書物などから知識を得るだけでなく、詩を奏〔かな〕でる人の想いや、その詩の作者の想いというものを感じとることで、古き人々の想いや心というものも、深く感じ入ることに繋がっていったのでした。
八佾 第三
《現代語訳》
孔先生が季孫氏〔きそんし〕について、次のように論じられました。
一国の臣下でしかない季孫氏が、自邸〔じてい〕の庭で、天子しか許されていないはずの祭祀〔さいし〕の舞を、行なってしまったのだ。
なんとも。こういうことを平気で行なうというのであれば、これから先も、礼を失することを平気で行なうであろうな、と。
〈つづく〉
台北市孔廟 ~大龍國小学生表演~八佾舞~
※ 季孫氏とは、魯の国の有力貴族の三桓氏のひとつで、筆頭格
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考にしているが、決して両先生を否定するものではない