和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:雍也第六 〔4〕 君子は急に周くして富めるに継がず


論語を現代語訳してみました。



雍也 第六

《原文》
子華使於齊。冉子爲其母請粟。子曰、與之釜。請益。曰、與之廋。冉子與之粟五秉。子曰、赤之適齊也、乗肥馬。衣輕裘。吾聞之也、君子周急不繼富。

《翻訳》
子華
〔しか〕 斉〔せい〕に使〔つか〕いす。冉子〔ぜんし〕 其〔そ〕の母〔はは〕の為〔ため〕に粟〔ぞく〕を請〔こ〕う。子 曰〔のたま〕わく、之〔これ〕に釜〔ふ〕を与〔あた〕えよ、と。益〔ま〕さんことを請う。曰〔のたま〕わく、之〔これ〕に廋〔ゆ〕を与えよ、と。冉子 之に粟 五秉〔ごへい〕を与う。子 曰〔のたま〕わく、赤〔せき〕の斉に適〔ゆ〕くや、肥馬〔ひば〕に乗〔の〕り、軽裘〔けいきゅう〕を衣〔き〕る。吾〔われ〕 之を聞〔き〕けり。君子〔くんし〕は急〔きゅう〕に周〔あまね〕くして富〔と〕めるに継〔つ〕がず、と。




《現代語訳》


お弟子さんである子華(=公西赤の字)さんが、孔先生の使者〔ししゃ〕として、斉国〔せいこく〕へと出立〔しゅったつ〕されたときの話です。


冉有〔ぜんゆう〕先生が、「出立した子華の母上のために、粟を贈与〔ぞうよ〕してあげたいのですが」と孔先生に陳情〔ちんじょう〕され、孔先生は次のように仰られました。


そうじゃな。では釜(六斗四升)を遣〔つか〕わしなさい、と。


しかし冉有先生は、「それでは少し足りないのではないですか」と尋ねられて、孔先生はまた、次のように仰られました。


そうかな。それでは赤〔せき(=公西赤)〕の母上に、廋(十六斗)を遣わしなさい、と。


それでも、少ないと思った冉有先生は、結局、五秉(八十斛〔こく〕)を、子華さんの自宅に送りとどけてしまったのです。


そのことを知った孔先生は、次のように仰られました。


(=公西赤のこと)が斉国へと向かった折りには、立派な馬にまたがり、立派な身形〔みなり〕であったと聞いておる。

たとえ、 "君子" といわれる立派な人物にお会いするからといって、〈公西赤家の家計が逼迫するほどに〉あわてて立派な馬や身形を装ったとしても、まともには取り継いではもらえないだろう、と。



公西赤(子華)                     冉有





《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

『君子周急不繼富』の語句についての語訳ですが、孔子が使いに出すほどの相手というのは、おそらくは斉の国では「君子」と呼ばれるような立派な人物だったのではないか?、ということも考えて語訳してみました。

そのことによって、如何に、立派な身形をしたからといって、まともに相手にはしてもらえないだろう、という孔子の公西赤と冉有に対する叱責のようにも窺えてきます。

ですが、公西赤が大金をはたきながらも、立派な馬や身形を揃えたことを冉有は知っており、友人を思う気持ちから、多くの粟を送ったんではないか、と考えることもできます。

そして孔子は、そうした冉有の気持ちを分かりつつも、しかし、「決して "大道" を忘れてはならぬぞ」という思いもあったんでしょうな。


※ 1斗は約2ℓで、秉は十六斛、斛は十斗(20ℓ)。別説もある。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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