四天王寺 第百十世管長 出口順得氏のお話より・・・
以下。
【第六回】幸せに感謝し、幸せを広げよう
皆さんは学校に行きます。夜にはご飯を食べて、お風呂に入り、ふかふかの布団で眠ります。
そんな当たり前のことが、とても幸せであるということに気付いているでしょうか?
世界には学校のない国が沢山あります。水も食べ物も限られ、夜には強盗や爆弾に怯えて眠る子供たちが大勢います。
日本は世界第二位の経済大国です。街に行けばモノや食べ物が溢れています。でも、それが当たり前だと思っています。モノは豊かになりましたが、心はどうでしょう?
私は昔の人のほうが感謝する心を知っているような気がします。
アインシュタイン博士の名は皆さんもご存知だと思います。大正十一年、ある出版社からの依頼を受け、博士は日本を訪れます。
航海の途中、博士の気持ちはどうだったでしょう?
胸をワクワクさせていたのではないでしょうか。
というのも来日前、博士はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が書いた随筆「知られざる日本の面影」を読んで感動し、そこに描かれていた日本の美しさ、人々の礼儀正しさに対する憧れを抱いていたからです。
また、博士は日本の仏教にも深い関心を持っていました。
科学と宗教って全く世界が違う感じですが、人々の平和を目指すという意味では共通しているのです。
だから、博士も「仏教とは何か?」ということを知りたかったわけです。
博士は滞在中、講演の合間を縫って、真宗大谷派の近角常観(チカヅミジョウカン)というお坊さんと対談をしています。
博士が尋ねたのは、「仏様とはどういうお方ですか?」ということでした。
常観さんは少し考えて[姥(ウバ)捨て山]のお話をされました。
食べ物の少ない江戸時代、信州では老いた親を山奥に運び、置き去りにするという決まりがありました。
家族が減ると、その分のご飯を子供たちに分けることが出来ます。生きるためには仕方のない選択だったのです。
常観さんは続けます。
お話は、ある息子が老いた母を背負い、山奥へ入って行った時のこと。
途中、母は手に触れる木の枝を折り、道が分かれるたびに木の枝を道に落としていました。
息子はその気配を感じながら心の中で「あぁ、これは目印だ。それを置くということは、村に帰ろうと思っているのではないか…」と疑いました。
やがて、深い山中で母を下ろし、息子が背中を向けます。
その時、母は息子に言いました。
「お前が道に迷わんよう、分かれ道に枝を落としておいた。目印にすれば村に帰れるじゃろう。さぁ、気をつけて帰れ」と合掌し別れを告げました。
その言葉を聞き、息子は泣きました。
「なんと私は恐ろしいことを考えていたのだろう。山に置き去りにされようとしているのに、母は私のことを最期まで心配してくれていたのだ。」
息子は母に手をついて謝り、再び母を背負って山を降りたということです。
常観さんは「この母親の姿こそ、仏様の姿です。」と話されました。
自分のことはどうでも良い。息子が無事に家に帰れることだけを心配する。
これこそ仏の心であるというのです。
博士は感動しました。
「日本には仏教という温かく、深い宗教がある。こんなにも素晴らしい教えに出会えたことは、私にとって何にも勝るものである。」と語られたそうです。
日本にも貧しい時代はありました。しかし、仏様の教えに素直でした。
今以上に人に対する感謝の心は強かったように思います。
明治、大正、昭和と時代は流れ、第二次世界大戦が終わった途端、アメリカ式の教育が日本に入ってきました。
それは過去の日本を否定し、日本が悪い国であるという考え方を押し付ける教育です。
今日まで六十年以上も続いています。
皆さんのご両親、先生たちもそうした教育を受けてきました。
しかし、押し付けられた教育の一方で「日本って本当はどんな国なんだろ?」と思う人たちも増えてきています。
日本に帰化した拓殖大学の呉善花(オ・ソンファ)教授が四年前に「日本の歴史と文化」という講座を開きました。
呉教授は韓国で反日教育を受けていました。日本ほど悪い国はないという教育です。
しかし、日本に来られて二十数年の体験で日本を見直し、「私はいかにして日本信徒となったか?」という本まで書いておられます。
そうした教授が開いた講座です。「せいぜい二、三十人の受講生が集まるくらいだろう」と思っていたところ、三百人近い学生が集まり、翌年からは五百人もの学生たちが教授の話しに熱心に耳を傾けるようになったとのことです。
呉教授は日本の文化を紹介し、「とても安全な国であり、貧富の差が少ない。お年寄りは皆さん長生きされています。こんなに幸せな国があるでしょうか」と学生たちに訴えました。
授業後、学生たちの感想文には、「日本はダメな国だと教えられてきたが素晴らしい国だとわかった。」「祖母や親に有難うの言葉を伝えたい。」といったことが書かれていました。
私たちの国には血を流すような紛争がありません。飢えることもなく、モノが溢れ、平和であることが当たり前だと思っています。
でも、それは積み重ねた歴史があるからです。
それに感謝をしなくてはいけません。
仏教では「四恩(シオン)」といいます。天皇(国)の恩、親の恩、人々の恩、そして仏(師匠)の恩です。
平和に生きるということは、受けた恩を返していくということなのです。
皆さんには、"学ぶ"という役割が与えられています。出来る範囲で学んでいくことが恩返しなのです。
上級生になれば下級生にいろんなことを教えてあげて下さい。
社会人になれば困っている人たちを助けて下さい。
そして、親になればこんな素晴らしい国に生まれた有難さを子供たちに伝えて下さい。
それが私の願いです。
私の"授業"はこれでおしまいです。繰り返します。
今日の繁栄のルーツは、この国を治め、大陸の強国と対等関係を結び、人の正しい生き方を示した聖徳太子にあります。
伝えきれていない言葉は沢山ありますが、日本に生まれたことに感謝し、今の幸せを多くの人に広げて下さい。
皆さん一人ひとりがそうした心を持てば、大きな平和が生まれます。
「和を以て貴しと為す」
と聖徳太子は仰いました。
その理想を実現していくのは、人を思いやる皆さんの心なのです。
…完…