和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:公冶長第五 〔21〕 その愚は及ぶべからざるなり


論語を現代語訳してみました。



公冶長 第五

《原文》
子曰、甯武子邦有道、則知。邦無道、則愚。其知可及也、其愚不可及也。

《翻訳》
子 曰
〔のたま〕わく、甯武子〔ねいぶし〕は邦〔くに〕に道〔みち〕 有〔あ〕れば、則〔すなわ〕ち知〔ち〕、邦に道 無〔な〕ければ、則ち愚〔ぐ〕。其〔そ〕の知は及〔およ〕ぶ可〔べ〕きも、其の愚は及ぶ可からざるなり。




《現代語訳》


孔先生はまた、次のようにも仰られました。


〔えい〕の国の大夫〔たいふ〕であった甯武子は、領民が心穏やかに暮らしているときには、賢人として崇〔あが〕められていたが、心穏やかでないときには、愚者〔ぐしゃ〕として蔑〔さげす〕まされていた。

結局のところ、民が心穏やかであれば、その知識は民の心をもつかむくことができるが、民が心穏やかでないときは、その知識だけでは民の心をつかむことはできないのだよ、と。


〈おわり〉



《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

『其知可及也、其愚不可及也。』を訳するのに、相当、考え込んでしまいました。

孔先生は、甯武子という賢人をただただ批判したかっただけなのか、それとも、知識ばかりに囚われることへの愚かさを、と言いたかったのか、とね。

前者の解釈というのは、これまでもずっと、ごく一般的な解釈だと思うのですが、後者についてはおそらく、甯武子を批判することで、前者の中にも含められているのではないかな、など、色々と考え込んでしまいました。

と、そんなとき、誰に対しても慈しみの心で接してくださる、この国の天子さまのお姿、というものを思い浮かべてみたとき、そこでやっと、すんなりと語訳することができたのです。(^^♪

皇室の有難さというものを、改めて実感させられました(*´з`)


※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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