論語を現代語訳してみました。
述而 第七
《原文》
子曰、甚矣、吾衰也。久矣、吾不復夢見周公。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、甚〔はなは〕だしいかな、吾〔わ〕が衰〔おとろ〕えたることや。久〔ひさ〕しいかな、吾〔われ〕 復〔また〕 夢〔ゆめ〕に周公〔しゅうこう〕を見〔み〕ず。
《現代語訳》
孔先生はつづけて、次のように仰られました。
なんとも時が過ぎるのは早いものだな。私もすっかり老いてしまったわい。
それにしても久しいなあ、私があれほど尊敬してやまなかった周公が、夢の中にでさえ、見ることがなくなってしまったのだからな、と。
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
この語句の意味するところは、孔子の喜びの声として解釈してみようと思います。それは、かつて理想としていた人物に近づけたことへの喜びとしてです。
しかしながら、ふと、われにかえり、自分自身をみつめてみると、すでに衰えていた、とする孔子の心情も忘れてはならないと思います。
"夢を持つなら、果てなきものがよい" と、そんなことを思いおこさせられるような、なんともせつない感じのする語訳ともなりました。
※ 関連ブログ 吾 復夢に周公を見ず
※ 周公は姓が姫、名は亘。周の武王の弟。周の王朝文化を創建した。魯の始祖
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考