論語を現代語訳してみました。
雍也 第六
《原文》
子曰、誰能出不由戸。何莫由斯道也。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、誰〔たれ〕か能〔よ〕く出〔い〕ずるに戸〔こ〕に由〔よ〕らざらん。何〔なん〕ぞ斯〔こ〕の道〔みち〕に由る莫〔な〕きや。
子 曰〔のたま〕わく、誰〔たれ〕か能〔よ〕く出〔い〕ずるに戸〔こ〕に由〔よ〕らざらん。何〔なん〕ぞ斯〔こ〕の道〔みち〕に由る莫〔な〕きや。
《現代語訳》
孔先生はまた、〈冉有さんに対し〉 次のように仰られました。
誰彼いわずして、外出するときにはその門戸を経ない者などあろうか。
世に出るときも同じで、どうして道理・道徳を弁えもしないで世に踏み出すことができようか、と。
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
この語句の意味するところは、いかにその人物が才智豊かであったとしても、道理・道徳を弁えていなければ、けっして世のため人のためにはならないのだよ、ということなんだろうと思われます。
よって本学と末学が逆さまにあっては、結果としてなんの役には立たないという意味において、『本末転倒』という語句が生まれたんだろうと思われます。
また『本末転倒』以外にも、日本の古いことわざ(道歌など)として『論語読みの論語知らず』だったりが有名ですよね。
そんな身のまわりにある本末転倒を、いま一度、整理しなおし、本当の意味での断捨離をしていければな、と思います。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考