論語を現代語訳してみました。
雍也 第六
《原文》
子曰、賢哉回也。一箪食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂。回也不改其樂。賢哉回也。
《翻訳》
子 曰〔のあま〕わく、賢〔けん〕なるかな回〔かい〕や、一箪〔いったん〕の食〔し〕、一瓢〔いっぴょう〕の飲〔いん〕、陋巷〔ろうこう〕に在〔あ〕り。人〔ひと〕は其〔そ〕の憂〔うれ〕いに堪〔た〕えず。回や其の楽〔たの〕しみを改〔あらた〕めず。賢なるかな回や。
子 曰〔のあま〕わく、賢〔けん〕なるかな回〔かい〕や、一箪〔いったん〕の食〔し〕、一瓢〔いっぴょう〕の飲〔いん〕、陋巷〔ろうこう〕に在〔あ〕り。人〔ひと〕は其〔そ〕の憂〔うれ〕いに堪〔た〕えず。回や其の楽〔たの〕しみを改〔あらた〕めず。賢なるかな回や。
《現代語訳》
孔先生が、次のように仰られました。
顔回〔がんかい〕という人は、実〔まこと〕に聡明〔そうめい〕であるな。
その暮らしぶりは、ほんのわずかな食べ物と、ほんのわずかな飲み水だけで凌〔しの〕ぎ、裏通りの古びた小屋に在っても決して嫉妬〔ねた〕みや愚痴〔ぐち〕を言わぬ。
通常の人ならば、とてもではないがそんな暮らしには耐えられぬであろう。
ところが顔回は、そんな暮らしがなにより自由で楽しい、といって改めようともしないのじゃ。
顔回という人は、実に聡明であるな。
顔回
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
顔回という人が日本人にも馴染みが深いというのは、公冶長第五の冒頭でも申し上げた通りですが、千利休もまた顔回のその人物像に魅力を感じ、「顔回」という名の茶道具を自身の作として遺しています。
千利休作 「顔回」瓢花入(ふくべはないれ)
そして生まれた語句が、質素な中にあってもその美徳を追及する、「侘びさび」の心ですな。
このように、日本の精神文化に強く影響を与えた人物として、顔回もまたそのひとりであり、我々日本人は決して忘れてはいけないことだと思います。
※ 関連ブログ 賢なるかな回や
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考