小人なるかな、樊須(はんす)や
「樊遅(はんち) 稼(か)を学ばんと請う。子 曰(のたま)わく、吾は老農に如かず、と。圃(ほ)を為(つく)るを学ばんと請う。曰(のたま)わく、吾は老圃に如かず、と。樊遅 出(い)づ。子 曰(のたま)わく、小人〔知識人〕なるかな、樊須や。上(かみ) 礼を好めば、則ち民 敢えて敬せざる莫(な)し。上 義を好めば、則ち民 敢えて服せざる莫し。上 信を好めば、則ち 民敢えて情を用いざる莫し。夫(そ)れ是(かく)の如くんば、則ち四方の民、其の子(こ)を襁負(きょうふ)して至らん。焉んぞ稼を用いん、と。」
■その意味は?
樊遅が田の作りかた〔農政〕を問い、孔子(先生)が答えられた。
『私よりも手慣れた農民のほうがよく知っている。』と。
樊遅は続いて畑の作りかた〔農政〕を問い、孔子(先生)が答えられた。
『私よりも手慣れた圃人のほうがよく知っている。』と。
樊遅が退出し、孔子(先生)が言われた。
『知識人に終わっているなあ、樊須は。〔指導者として、教養人たらんとする者には、専門的技術・知識よりも、もっと学ぶべきことがあるのだ。〕為政者〔指導者〕が道徳を大切にするならば、必ず民衆は尊敬する。為政者が道義を重視するならば、必ず民衆は支持する。為政者が誠意を尽くすならば、必ず民衆は言いわけをしなくなる。そのようであれば、〔行政の圏外であっても〕四方の人々がぜひにと、その子を襁(むつき)で背負って集まってくるであろう。どうして為政者が農業〔技術を学び〕の振興を第一とすることがあろうか。』と。
(加地伸行全訳注「論語」より)
■感想
代々、世のため、人のためにと尽力されてこらえた名も知らぬ先人〔先祖〕たちに対する敬意があってこそ、堅い絆となり、国〔家〕はより発展していくことになる。
ひとりの幸せよりも、みんなの幸せ…。子々孫々にも繋げていきたいものである。