論語を現代語訳してみました。
述而 第七
《原文》
子曰、天生德於予。桓魋其如予何。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、天〔てん〕 徳〔とく〕を予〔われ〕に生〔しょう〕ぜり。桓魋〔かんたい〕 其〔そ〕れ予を如何〔いかん〕せん。
《現代語訳》
孔先生が、次のように仰られました。
仁徳を世に広めろとの天命を授かった私だ。桓魋ごとき不義を犯す者が、いったいこの私を、どうするというのか、と。
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
誤訳の中の『仁徳を世に広めろとの天命を授かった私だ』として、当時、魯国を離れて、放浪の身であった孔子がおかれていた地位みたいなものを、加地伸行先生は『論語 全訳注』のなかで、次のように表現されていますので、ご紹介させていただきます。
孔子は他者に道徳的感化を与えることを方法としていたので、孔子自身に他人を徳化できるすぐれた道徳性がなくてはならない。そこで他者を徳化できるもの、すなわち徳が自分にあるとした。この徳は、(他を指導する、徳化することができる資格)に相当する、という思想である。
この思想を延長すると、現実政治の中心者である王(君主)もまた、人々を徳化するだけの人格を有する、という政治思想となる(徳治主義)。すなわち、人間を徳化できる人格者(君子)を第一とし、それが現実政治に実現されると、真の王(君主)たるべき王(君主)となり "王道" が生じる。
しかし、人間には運命というものがあり、人間を徳化できる人格者(君子)であっても、現実政治における王(君主)となることができないことがある。
そういう場合、現実の王(君主)、すなわち〈実〉王(君主)に対して、思想的、観念的な王(君主)、すなわち〈素〉王(君主)と言う。
この〈素王〉に当たるのが孔子であるとする思想が、後に(『春秋』という経典の解釈から)生まれてくることになる。
以上、いわゆる "素王" としての孔子は、各地をめぐり仁徳を広める権利(=資格)を得た、とする考え方であり、このことは八佾第三のなかで『天 将に夫子を以て木鐸と為さんとす』(天はまさに、先生やみなさん方の仁の道を説く旅を、快く迎え入れてくれるでしょう)ともあり、多くの民が孔子の天命の下に従った旅を喜んだ、とも解することができるのではないでしょうか。
さて、『桓魋』についても少しばかりの説明をさせていただきます。桓魋は、宋〔そう〕国の司馬〔しば(=国務長官)〕の位にあって、当初から孔子を憎み、殺そうとしていた、と一般的には考えられているようですが、明確なことは分かってはいないので、ここでは、偶然にも孔子を殺そうとしてした、と解釈することにしてみました。
桓魋は当初、孔子一行を快く自分の領地内へ迎え入れるつもりでしたが(迎え入れてから孔子を殺すつもりだったのかもしれないが)、桓魋が罪なき民を大勢殺している(不義)ことを知った孔子は、狂うほどに立腹し、桓魋の領地内には絶対に入らないことを決意。やがて桓魋が孔子に面会を求めようとしますが、孔子はこれを断固拒否。そのことによって桓魋は孔子を殺そうとした、という流れです。ちなみにこれは、ドラマ『孔子春秋』を下としていますが、現時点での私にとっては、この解釈がもっともしっくりしています。
※ 関連ブログ 桓魋 其れ予を如何にせん
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考