旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

考え込んでしまった天声人語の“傍観者の視点”

2006-08-31 23:49:28 | 日々雑感
午前中に片付けてしまわなければならない用務があったので、今日は夏季休暇をとった。午後は大分暑くなってきたので、わが愛ネコのエン・ジュとごろ寝を決め込むことにした。

しかし、今年8月28日(月)の朝日新聞『天声人語』を読んで以来、ずっと気になって仕方がない。ということで、憂さ晴らしをかねて長々と書き連ねてみた。





その天声人語の内容は、次のようなものであった。

“(略) 通勤電車の中で、40歳過ぎの女性が目の前に座る女子高生を怒鳴りつけていた。女生徒がカバンを脇に置いているので座れない、と注意したようだ。でも、女生徒は携帯電話でメールを打つばかり。相手の指摘を無視して、だんまりを続ける。2人の顔がみるみる赤くなる。一触即発である。・・・(略)・・・

駅構内や車内での暴力事件が増えつつある。・・・(略)・・・客同士のいさかいが刃傷ざたにつながった事例も多い。どうやら、乗客のイライラした視線が絡み合うのは、暑さのせいだけではなさそうだ。・・・(略)・・・

周囲をハラハラさせた女性と女生徒は結局、別々の駅で下を向いて降りた。あの2人にはこんな作品がぴったりくる。「人が立ち荷物が座るやるせなさ」「その荷物彼氏のつもりで膝枕」”   (注)アンダーラインは、わたしが付記したもの。

この筆者は、増えている駅構内や車内での暴力事件の原因が、決して特異なものではないと紹介したかったのだろう。



しかし、この記事を読んだ後味の悪さはいったいどうしてなのだろう? 今日で4日目にもなるというのにいっこうに治まらない。

それは多分、この筆者の視点に対し、わたし自身納得していないからなのだろう。

疑問その① 注意している女性とそれを無視する女生徒では、どちらが社会常識にかなっているのだろうか? 
疑問その② すぐ傍らの人たちは、この女性2人のやり取りをどのように見ていたのだろうか? すぐ隣りでのことであり、いつでも自分に起こり得ることではないか。 
疑問その③ 周囲の良識ある大人たちは、勇気ある女性の行動を支援することは何故しなかったのだろうか? 一方、女生徒に対してだって、将来を担う子供たちをしっかりと育成していくという点からしても、重要な分岐点ではなかったか?
疑問その④ この筆者も含めて、要は“自分に直接降りかからない火の粉は無視を決め込む” ということか? トラブルに巻き込まれたくないと・・・。
疑問その⑤ 社会問題の根がこういったところにあると取り上げているこの筆者自身、現場を構成していた一人ではないか。それなのに自身に引き寄せて問題提起している とは思えないが・・・。


社会は個の集合である。社会の行き詰まりは、個に起因する問題の集合帰結とも言えよう。

とかく日本人は、“地球環境問題は大問題視しても、その原因となっている地域環境問題にはあまり目を向けない”などと揶揄(やゆ)される。

以前に、わたしもタバコのポイ捨てを無視できずに声をかけ、ちょっとした諍(いさか)いになったことがある。そのときも、“ポイ捨てびと”の同僚や周囲の人々は何の手助けもしてくれなかった。
     拙ブログのその内容はこちら⇒ 大人って!!-非常識なる常識?
                  
文の最後に蛇足の川柳まで書き込んだ天声人語の筆者の視点、いや姿勢そのものに、とてもやるせない気持ちにさせられてしまったわたしの方がおかしいのだろうか。

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