(月山 弥陀ヶ原から鳥海山を遠望)
(日光 二荒山(男体山)山頂)
「永訣の朝」の最後には、「おまえへがたべるこのふたわんのゆきに わたくしはいまこころからいのる」に続き、表現の異なるものがある。
それは次のようなもの。
1)印刷用原稿では、
どうかこれが天上のアイスクリームになるやうに
わたくしのすべてのさいわひをかけてねがふ
2)初版本では、
どうかこれが天上のアイクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
3)宮澤家所蔵本の自筆手入れでは、
どうかこれが兜卒の天の食に変って
やがてはおまへとみんなとに
聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいわひをかけてねがふ
わが手持ちの宮沢賢治全集1(1994.07.20第12刷 ちくま文庫)やネットで公開されている『青空文庫』などでは、2)の初版本と同じように紹介されている。※ただし、ちくま文庫では、脚注に宮澤家所蔵本での表記も注記されている。
賢治さんが推敲を続ける中で変えた理由を巡っては、諸説ある。それらの詳細は別途ご覧いただくとして、わたしにはやはり「兜卒(率)の天」の方が断然良く、農民芸術概論綱要で“世界の全体幸福”を掲げた賢治さんらしく思える。
敬虔な浄土真宗の素封の家に生まれ育ち、長じて法華経の熱烈な信奉者となった賢治さん。アイスクリームといった即物的な、そしてかつて二人で食べたことのあるだろうというイメージが先行しがちな食べ物でなく、スジャータが捧げた乳粥への記憶を呼び覚ましつつ、時空を超えていっきに三千大千世界へとつらなる弥勒菩薩が住まう兜率天の食に置き換えていったことによって、この詩の放つ奥深さや広がり、臨場感や重厚感といったものが渦なすエネルギー体となっていっそう我々の心に深く沁み込んで来るとわたしは思っている。そしてまた、初版本と同じ内容で多くの紹介が今もなされていることに、“あまりにもったいない”という気がしている。
<兜率天>
数ある天界の中で六欲天の4番目にある天で欲界に位置しているとされ、その内院には釈迦牟尼仏(如来)の後を継ぐ未来仏の弥勒菩薩がいるところとされている。
(参)六欲天⇒①四天王衆天 ②忉利天 ③夜摩天 ④兜率天 ⑤楽変化天 ⑥他化自在天
(追記)
昨年末から法華経、日蓮宗、浄土真宗、曹洞宗およびその関連資料や宮澤賢治に関する図書などを、改めて読み直してみた。そして、紀元前5世紀ころとされる釈迦誕生来、およそ千年の間に構想され累積されてきたあまりにも壮大な仏教宇宙観、須弥山説に圧倒されてしまった。
この宇宙観は日本に入り受け止められ、須弥山、地獄谷、弥陀ヶ原、二荒山ふたらさん(=男体山 音の類似から補陀落山ふだらくさんに、二荒(にこう)が日光へ)、華厳の滝(華厳経にちなむ)、妙高山(=須弥山)などの名がつけられていったのだという。
こうしたことにも思いを馳せながら、大好きな山歩きを楽しんでいきたいものだ。
「金輪際」、「有頂天」になることなく・・・。
大人になって、当時高級品のアイスクリームは実質的に「滋養強壮の薬品」であり、身体の弱い妹の為に買い求める姿が度々目撃されていたというのをきいてからは、このアイスクリームというある種即物的なものが、芋粥にも劣らぬとても暖かで清らかなモノに思えてならないのです。