今年もまた庭のアジサイが咲いた。母が遺していった花。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/26/5de3073e734a26ecc2c283e6e1480c29.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/2a/cdc1160e032197b8ab71ffa75e72a205.jpg)
そういえば、大分前に別のブログで同じようなことを書いたっけ。
そのときの内容は・・・。
*
<2006/06/25>
今日も梅雨空のどんよりとした朝。一昨日の暑さなどはどこにいったのやら。早起きのスズメたちは元気に鳴き、飛び回っているがけっこう寒い朝である。
アジサイ(紫陽花)の花の咲く季節は本格的な夏への橋渡しなのだから、暑い日差しの日々がくることを想像すれば気も晴れようものだが、そう簡単にはいかない。
この年齢になってくると、こういう朝の冷気は身体にも心にも沁み込んでくる。つい弱気になってしまう。
そんな時、きまって呟いてしまう詩がある。もちろん、最初の数行のみ。季節も背景もまるで異なっているのだが、“紫陽花いろ”という言葉につられてのことだろう・・・。
わが幼児期の記憶には、乳母車などに乗ったというものはない。あるのは野良仕事へ向かう“リヤカー”ぐらい。“紫陽花いろのもの”がふっていたかどうかは別として、それを押すわが母の胸の内には、“淡くかなしき”思いは幾度となくあったに違いない。
今年は、庭のアジサイ(紫陽花)が多くの花をつけた。この地に家を建てたときに、母の勧めで郷里の庭から株分けをして持ってきた花である。
乳母車
三好達治
母よ―
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり
時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかって
轔轔(りんりん)と私の乳母車を押せ
赤い総(ふさ)ある天鵞絨(びろうど)の帽子を
つめたき額(ひたひ)にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり
淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知ってゐる
この道は遠く遠くはてしない道
※三好達治(1900~1964)の処女詩集『測量船』は昭和5年(1930)刊行
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/26/5de3073e734a26ecc2c283e6e1480c29.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/2a/cdc1160e032197b8ab71ffa75e72a205.jpg)
そういえば、大分前に別のブログで同じようなことを書いたっけ。
そのときの内容は・・・。
*
<2006/06/25>
今日も梅雨空のどんよりとした朝。一昨日の暑さなどはどこにいったのやら。早起きのスズメたちは元気に鳴き、飛び回っているがけっこう寒い朝である。
アジサイ(紫陽花)の花の咲く季節は本格的な夏への橋渡しなのだから、暑い日差しの日々がくることを想像すれば気も晴れようものだが、そう簡単にはいかない。
この年齢になってくると、こういう朝の冷気は身体にも心にも沁み込んでくる。つい弱気になってしまう。
そんな時、きまって呟いてしまう詩がある。もちろん、最初の数行のみ。季節も背景もまるで異なっているのだが、“紫陽花いろ”という言葉につられてのことだろう・・・。
わが幼児期の記憶には、乳母車などに乗ったというものはない。あるのは野良仕事へ向かう“リヤカー”ぐらい。“紫陽花いろのもの”がふっていたかどうかは別として、それを押すわが母の胸の内には、“淡くかなしき”思いは幾度となくあったに違いない。
今年は、庭のアジサイ(紫陽花)が多くの花をつけた。この地に家を建てたときに、母の勧めで郷里の庭から株分けをして持ってきた花である。
乳母車
三好達治
母よ―
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり
時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかって
轔轔(りんりん)と私の乳母車を押せ
赤い総(ふさ)ある天鵞絨(びろうど)の帽子を
つめたき額(ひたひ)にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり
淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知ってゐる
この道は遠く遠くはてしない道
※三好達治(1900~1964)の処女詩集『測量船』は昭和5年(1930)刊行
その花を見れば必ず思い出すこと。
私にとって、濃い青のおおいぬのふぐりは幼い頃あぜ道で遊んでいた無邪気な幸せ、マーガレットの群れは新築の家を建てた頃の家族みんなと愛犬がそろった笑顔。
また、思い出ではないのですが、私が育てた一番お気に入りのばらの花の写真を、従姉が見た時、「おばちゃんのような花だね~」と亡き母のことをいってくれたこと。私をひきつけたあなた(ばら)は、そういう理由だったのね、と気づいたときは泣きました。
音楽やにおいでその時を思い出すことがあるけれど、花も同様にその時の空気や気配を思い出しますよネ。
私にとっては、夕暮れ時のナツズイセン、カワラナデシコ、ミヤマリンドウ・・・。「お前が好きだというフシグロセンノウ。育てていたが土石流で全滅してしまった。悔しい。」と開口一番に言った叔父。どれもが寂しげな花ですが、心の奥に静かに沁みこむ花で、これまた忘れがたき花々です。
叔父さまが甥っ子の好きな花を気遣ってくださるという気持ちがすごくうれしい・・・叔父さまの悔しさがぐっと伝わります・・・