土曜日(9月2日)の真昼、庭も大分荒れてきたので、暑い日差しであったが草取りを始めた。
わが庭には、コンクリートブロックを縦に並べて板を渡したばかりの粗末な鉢棚が数列ある。載っているのはどれも盆栽というには程遠いものばかり。
家族の者は、「花も咲かない松の木なんか捨ててしまったら!!」などと、冷たく言い放つが、これはこれで一つひとつに思い出のようなものがあり、捨てるに忍びないものばかり。
わたしが大学を卒業し、仙台市内にアパート借りたとき、初めて両親が共に遊びに来た。二人が西公園の植木市で買ってきた五葉松の若木。当時とはまったく形がことなるが、今も棚の上にある。
そんな棚の間に身をかがめ一人黙々と草をむしっていたとき、ふっと母の言葉を思いだした。
「山のものは山で見るからきれいなんだよ」
それは、栗駒の里山で、沢辺のミズゴケのあまりの美しさに採って帰ろうしたときの母の言葉であった。
「採って帰って庭に植えてもうまく育ちはしない。何より、山のものは山で見るからきれいなんだよ。」
確かにそうだ。里に持ち帰り、かりに根付いたとしても、それを取り巻く環境はまるで違う。ヒトリシズカだって、ミヤマリンドウだって、カンゾウだってそうだ。周りの他の植物と調和した風景の中にあるからこそ趣が生きてくる。都会の喧騒の中に置いては風情など出るはずが無い。
植物も景色も食事も“その地のものはその地で味わう” 旅の楽しみ方の本質にも通じた、今は亡き懐かしい母の教えであった。
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