旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

初詣からも撤退の新年

2018-01-01 22:19:23 | 日々雑感
運動不足解消にと近場にある長命館公園内の道を上り下り。
その後、賀茂神社に初詣に行った。


午後3時半を回ったこの時間ならゆっくりとお参りできるのではと思ったのが甘かった。
今年は、例年にないような沢山の人出。
穏やかな天気だったからなおさらかも知れない。
それにしてもこの神社の人気は高まっているようだ。

「列の最後尾はこちらです」のプラカードを持った方が立っていた地点は、列のJカーブの端。
それも続々並ぶ人で次第にUカーブに近づいていく。
これでは社殿に着くのは何時のことになるのやら・・・。

並んでいる方々、次々に到着する車などを横目に、日を改めることとし、今日はお参りすることをあきらめた。



(長命館公園内の道:この付近は春にはカタクリやウスバサイシンが咲く。)


(初詣の人の列が続く賀茂神社)


(長命沼と満月)


※こんな時やっぱり思い出してしまう石垣りんの詩。

ひとり万才
                  石垣りん

新年
と言ってみたところで
それは昨日の今日なのだ。
別段のこともあるまいと
寝正月を決めれば
蒲団の衿のあたりから
新年らしいものがはいり込んできて
何となくそんな気分になってしまう。

習慣とか
しきたりとか
常識とか
それらは木や石でこしらえた家より
何倍かがっちり仕組まれていて
人間共の心の住処になっている。

だから
正月といえば
正月らしい気分になり
今夜は是非とも良い初夢を見よう、などと
夢のような期待を
自分にかけたりする。

それ、
それほどの目出度さで
新年という
あるような
ないようなものがやってくる
地球の上の話である。

  石垣りん(1920年~2004年):14歳で日本興業銀行に事務見習いで就職し、40年間勤務したという詩人 
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