旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

アジサイの花の季節に

2006-06-25 00:59:55 | 花鳥風月




今日も梅雨空のどんよりとした朝。一昨日の暑さなどはどこにいったのやら。早起きのスズメたちは元気に鳴き、飛び回っているがけっこう寒い朝である。


 アジサイ(紫陽花)の花の咲く季節は本格的な夏への橋渡しなのだから、暑い日差しの日々がくることを想像すれば気も晴れようものだが、そう簡単にはいかない。

 この年齢になってくると、こういう朝の冷気は身体にも心にも沁み込んでくる。つい弱気になってしまう。

 そんな時、きまって呟いてしまう詩がある。もちろん、最初の数行のみ。季節も背景もまるで異なっているのだが、“紫陽花いろ”という言葉につられてのことだろう・・・。

 わが幼児期の記憶には、乳母車などに乗ったというものはない。あるのは野良仕事へ向かう“リヤカー”ぐらい。“紫陽花いろのもの”がふっていたかどうかは別として、それを押すわが母の胸の内には、“淡くかなしき”思いは幾度となくあったに違いない。

 今年は、庭のアジサイ(紫陽花)が多くの花をつけた。この地に家を建てたときに、母の勧めで郷里の庭から株分けをして持ってきた花である。



乳母車

                   三好達治

母よ―
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかって
轔々(りんりん)と私の乳母車を押せ

赤い総(ふさ)ある天鵞絨(びろうど)の帽子を
つめたき額(ひたひ)にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知ってゐる
この道は遠く遠くはてしない道


※三好達治(1900~1964)の処女詩集『測量船』は昭和5年(1930)刊行






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