旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

起き上がる力が欲しいとき-『自分の感受性くらい』

2006-04-04 02:39:24 | 日々雑感
どうも3月から4月にかけてのこの季節は苦手だ。
大学に通っていたころから、春めいてくると決まって憂鬱になる。
そうなると仕方なく部屋にこもり、兄から譲られたそれこそ安いレコードプレーヤー(もちろんスピーカーは手作りのごついやつ)でポール・サイモンのキャシーの歌(Kathy's Song)を聞くか、本を読むかしていた。
歌の内容は知らなくても、フィンガーピッキングで演奏されるこの静かな歌には、こころ引かれたものだ。

しかし、十分に歳だけを重ねてしまった今では、いじけた感性のもとで涙腺だけがやたらゆるくなっていくようだ。
中性脂肪は人一倍付いても、それは怠惰な生活を変える燃料にはなりえない。
「よし、もう一度がんばろうか」という気力もわいてこない。
濁った感受性と憂鬱、そんな毎日を繰り返している。

「こういう日には、この詩を。」と、久しぶりに茨城のり子詩集を取り出し、読んでみた。
やはり名作。
『自分の感受性くらい』にはガツンとやられてしまった。
「そうか、ばかものか。しからば、もう一度。」と自分に言い聞かせ、朝を迎えることにした。


          自分の感受性くらい

                           茨木のりこ

         ぱさぱさに乾いてゆく心を
        ひとのせいにはするな
        みずから水やりを怠っておいて

         気難しくなってきたのを
        友人のせいにはするな
        しなやかさを失ったのはどちらなのか

         苛立つのを
        近親のせいにするな
        なにもかも下手だったのはわたくし

         初心消えかかるのを
        暮らしのせいにはするな
        そもそもが ひよわな志にすぎなかった

         駄目なことの一切を
        時代のせいにはするな
        わずかに光る尊厳の放棄

         自分の感受性ぐらい
        自分で守れ
         ばかものよ


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