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ニュース番組について

2016年03月17日 | 時事・雑文


(テレビのニュース番組についてつらつらと書いた散文)

ショーンK騒動を見て思うのだが、もはやニュースのキャスターとかコメンテーターというのは本人の資質で喋らせる必要ないよね。適当に見栄えのいい人を連れてきて、シナリオに沿って語らせればいいだけ。つまり、ニュース番組のドラマ化。街の人の声なんてとっくに演技でしょ。スタジオでも同じ。

テレビというのが視聴率を競うビジネスであり、映像という媒体がどうしても過剰な装飾に走りがちな特性から、ニュース番組といえども実態はショービジネスに走りやすくなる。それを止めるのは不可能だろうし、ネット時代にテレビニュースが生き残る鍵はむしろショーとしての要素しかないだろう。

ある事件について、番組の意向に沿うようにコメントを求められた識者が、主義に合わないとしてコメントを断った事例が聞こえてきたりするが、それはつまりニュースのショー化は既成事実ということ。むしろ、あれを見れば世の中の出来事がわかる公平な報道と視聴者が思っていることの方が間違い。

テレビは電波という媒体を使うから、放送法で公平な報道が求めらているが、既に実態と乖離しているし、ネット時代になり多様な情報が氾濫しているから、テレビに公平性を求めること自体が時代遅れだと思う。この矛盾は今後どんどん増すことはあっても解決はしないだろう。

テレビのもうひとつの問題は、時間枠で縛られるから昨今のように特定の事件を深堀りするほど、他に割ける時間が減り、つまり報じられない事件が増えるということ。その取捨選択も偏向を生む要因になる。その意味でも、テレビの報道はそもそも公平性を確保するには適していない。

だから、国民はネットなどを駆使して情報洪水の中から興味ある分野の情報を、それも多角的な視点を介して受け取るのが健全な姿。その意味で、報道における公平性のような概念は、メディア側から受け手側に責任が移ったと思った方がいいと思う。一般にはこれをメディア・リテラシーとも呼ぶが。

ここまで整理できれば、もはやテレビに公平性だのを求める必要はないから、放送法も改正すればいいし、テレビ局ももっと開き直ってショービジネス化を推し進めればいい。ただ、そうなると政府からの情報発信ルートが減るから、NHKを解体して半分を国営放送にした方がいいかな、とは思うけど。

現状だと、ニュース番組を見たネット民が情報源を確認した上で、政治的に公平であるかどうかを検証したりしてるけど、こんな作業はテレビ局にもスポンサー的にも視聴者にもネット民にもムダな労力。ニュース番組は、事実をヒントにしたショービジネスとしてのニュースドラマ、としてしまえば全部解決。

ドラマ仕立て以外の方向性としては、テレビは迫力ある映像が見られるのが大きな特徴だから、ドキュメンタリーとか現地突撃取材的な方向性なら商品価値が出る。映像は恣意的に切り取れるから真実の全体像にはならないが、ショービジネスとしては問題無し。この方向性ならスタジオもキャスターも不要。

また昨今は、本物の識者はネットにいる、というのが真実だから、テレビがスタジオでのキャスターやエセ識者を投げ捨てて、現場映像に特化するというのは、テレビとネットの相互補完になるので、企業としてのテレビ局にもスポンサーにもメリットは大きいはず。偏向だのなんのと叩かれるよりいいでしょ。

あと、テレビが現場映像に特化するなら、今みたいに番組のネットへの違法アップロード禁止なんかせずに、むしろ積極的にネット利用に映像素材として販売すればいい。テレビ報道における価値の源泉がここだとわかれば、投資の注力ポイントも定まる。大事なのはキャスターじゃなくて、記者とカメラの台数とスキル。

報ステだと古舘事務所に年30億円も払ってるらしいけど、現場映像に特化してしまえば、もしかするとレポーターとカメラマンのチームを100チームほど増やせるかも。映像編集なんて社内でやればコストかからんでしょ。こういう発想はテレビ局の中の人には無理かもしれないけど、考えれば出てくるよ。



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