2021.05.12 14項以降を『後編』として分割
深田事件の背後にある骨格は、ジェイソン氏(=后健慈)の動向だった。この記事では、その足跡を概観する。
ジェイソンの足跡(前編)(=この記事)
1. 氏名の整理
2. あらすじ
3. 当時の台湾の状況
4. 后健慈のプロフィール
5. Mentor Arc Inc
6. Mai Logic Inc
7. 亞圖科技股份有限公司
8. 英領ヴァージン諸島
9. Revatron Inc、 Teklium Inc
10. 関係会社年表
11. DGL Group
12. IRS / アメリカ合衆国内国歳入庁
13. 氏名の同定
ジェイソンの足跡(後編)
https://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/b63bbe8782710cd432d18bd0b467b3a5
14. 中国との接点
15. 后健慈の両親と日本人への恨み
16. 台湾での刑事事件=会社法違反(虚偽登記)
17. 旭展電子から亞圖科技への投資金消失事案
18. 亞圖科技公司に対する差し押さえ物品リスト
19. 后健慈のデタラメ事例
20. マネーロンダリング事案?
《1. 氏名の整理》
1)ジェイソン=后健慈=Chien-Tzu Hou / Jian-Tsz Hou=マイケル(以前、深田さんが呼んでいた名前)
2)徐秀瑩=Hsiu-Ying Hsu (=ジェイソンの妻)
(以下、本記事ではジェイソン氏を「后健慈」と表記する)
《2. あらすじ》
1)1980年代頃からの世界的なPCブームに乗って台湾北部ではPC関連企業が乱立し、活況となった。
2)后健慈は、1988年にペンシルバニア・ステイト大学 電子工学科修士課程に入学したとされる。
3)1992年には、PowerPCプロセッサの周辺チップセットなどを主力製品とする『Mai Logic Inc』を米国で創業。しかし、主力製品のArtciaSに致命的問題があり、結局これを解決できなかった様子。
4)さらに1998年に台湾で、Mai Logic と関連性があるらしき電子機器製造販売の『亞圖科技股份有限公司』を創業。
5)2000〜2002年頃に亞圖科技股份有限公司の株式は売却され、后健慈は約7億円、妻の徐秀瑩も2億円弱を得たようにも見える。ただし、実はこれは見せ金を使った虚偽登記として刑事事件に発展しているので、カネの動きの真相は不明。なお、この事件で后健慈は台湾で2005年に指名手配となり、2016年に時効が成立している。
6)2002年第四半期以降に旭展電子から亞圖科技へ長期投資その他で総額2億円程度が渡っているが、2004年には旭展電子で減損処理されているので、それらの資金は蒸発したように見える。
7)2005年まで亞圖科技股份有限公司は存続した気配がある。深田さんの話によれば、この年にマイケルはFBIの保護で米国に移住したという。実際は、2005年とは后健慈が台湾で指名手配された時である。
8)2007年には米国で Revatron Inc、Teklium Inc を創業した。Revatron Inc は1年で閉鎖した。
9)2018年に、后健慈と徐秀瑩は米国でIRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)を相手に、財務状況を巡って争っている。
以下に、その細部を見ていく。
《3. 当時の台湾の状況》
台湾パソコン産業の発展要因の分析(神戸大学)
https://www.rieb.kobe-u.ac.jp/academic/ra/dp/Japanese/dpJ60.pdf
・台湾パソコン産業が発展する基盤になったのは、1980年代以降、海外市場を目指して発達してきたエレクトロニクス産業である。
・1982年から1997年の間、4大産業(情報・金属機械・化学・家電) では情報産業が3,497から10,950社へと最も高い増加率を示した。
・1960-70年代、台湾からアメリカへ留学した多くの人材は、シリコンバレーのIBM、インテル、フェアチャイルド社などのハイテク企業に勤め経験を積んだ。
・2001年における新竹科学工業園区内の企業は312社で、その内、海外から帰国した人材が創立した企業は123社と約39.4%を占めている。
なお、1999年当時のPCサーバの製品は例えばこれ。
【日本電気】 Express5800/56Wb
http://museum.ipsj.or.jp/computer/pc/0016.html
http://museum.ipsj.or.jp/computer/pc/0016.html
《4. 后健慈のプロフィール》
かつて、Revatron社に『Jason Ho 代表プロフィール』が掲載されていた。后健慈のことである。
1961年 台湾の新竹市生まれ。3歳より台北市に移る。
1981年 国立交通大学(台湾)電気工学科入学
1984年 同学卒業
1986年 卒業後より徴兵制(義務)により台湾軍に従事
1988年 ペンシルバニア・ステイト大学 電子工学科修士課程入学
1981年 国立交通大学(台湾)電気工学科入学
1984年 同学卒業
1986年 卒業後より徴兵制(義務)により台湾軍に従事
1988年 ペンシルバニア・ステイト大学 電子工学科修士課程入学
Jason Ho 代表プロフィール / Revatron
https://web.archive.org/web/20130706111230/http://revatron.com:80/resume.html
https://web.archive.org/web/20130706111230/http://revatron.com:80/resume.html
留学に続いて次項の Mai Logic Inc を創業したようだから、下記プロフィールにある大手企業での華々しい職歴は疑わしい。
ジェイソン・ホー開発技術の履歴
1989年から92年までは、LSI Logic, Altos Computer 及びChip & Technology Inc.などの大手企業でデザインエンジニアとして従事。1992年にフラクタル構造をコンピューターチップデザインに用いることを考案。それは、「セル構造コンピューターチップ技術」と呼ばれ、そこからジェイソン・ホーは大手企業に対して新技術考案のためのデザイン及び開発を行うことになる。
1990年代後半には彼は自社のデザインチームを率いて、多くの大手半導体企業に技術ライセンス付与。また、テキサス・インスツルメンツ、IBM、マイクロソフトやモトローラなどの大手IT企業との提携も行う。そして、初の非対称デュアルプロセッサーシステムを発案し、1996年に同技術をもってテキサス・インスツルメンツとライセンス契約を行う。その発案は2010年になってなおAMDによって新しい改革だと言われている。
1989年から92年までは、LSI Logic, Altos Computer 及びChip & Technology Inc.などの大手企業でデザインエンジニアとして従事。1992年にフラクタル構造をコンピューターチップデザインに用いることを考案。それは、「セル構造コンピューターチップ技術」と呼ばれ、そこからジェイソン・ホーは大手企業に対して新技術考案のためのデザイン及び開発を行うことになる。
1990年代後半には彼は自社のデザインチームを率いて、多くの大手半導体企業に技術ライセンス付与。また、テキサス・インスツルメンツ、IBM、マイクロソフトやモトローラなどの大手IT企業との提携も行う。そして、初の非対称デュアルプロセッサーシステムを発案し、1996年に同技術をもってテキサス・インスツルメンツとライセンス契約を行う。その発案は2010年になってなおAMDによって新しい改革だと言われている。
Jason Ho 代表プロフィール / Revatron
https://web.archive.org/web/20130706111230/http://revatron.com:80/resume.html
https://web.archive.org/web/20130706111230/http://revatron.com:80/resume.html
6項で後述するようにMai Logic社の主力製品であるチップセット ArticiaS の設計品質は粗悪で、本来なら出荷できるレベルではなく(机上設計段階で取り除くべき欠陥を抱えていた)、かつ結果的に最後までそれを解決できなかったようである。
さらに、Mai Logic社には複数の製品ラインナップがあるが、それらは ArticiaS からの派生である。ArticiaS がダメならMai Logic社の事業は全てダメなのである。
そういう技術レベルであったことから考えると、上記のような複数の大企業と華麗に協業したかのような履歴は信用に値しない。
実際は、大企業が製品主幹である開発プロジェクトに、三次請け、四次請けくらいのところでの業務請負の形で参画し、設計業務の経験を積んだ、といったところだろうと思われる。
后健慈の初の特許出願(US-5935247-A)が1997年であったことも、この見立てを補強する。他社に技術供与するなら、それ以前に自社または自分で出願してないとおかしい。
また、あのような華々しい協業があるなら他社との共同出願が複数あってもおかしくない。が、ひとつも無い。
《5. Mentor Arc Inc》
断片情報からすると、后健慈が1992年に米国で最初に創業したのは『Mentor Arc Inc』と思われる。それが、2002年頃に『Mai Logic Inc』へ社名変更になった。
・Mentor Arc Inc から1998年と1999年に3件の特許が出願され、発明者はいずれも后健慈。
・Mentor Arc Inc は『ARC』という商標を持つ企業に2002年に訴えられ、結審時点で Mai Logic Inc に変わっている。
・Mentor Arc Inc は『ARC』という商標を持つ企業に2002年に訴えられ、結審時点で Mai Logic Inc に変わっている。
事業内容は次項で。
《6. Mai Logic Inc》
后健慈は米国留学に引き続いて1992年には米国で Mai Logic Inc(当初の社名は前項)を創業した。事業内容としては、PowerPCプロセッサの周辺チップセットを主力製品とし、これの評価用マザーボードも併せて販売していたようだ。
次の記事によれば、1992年創業で、約17名の従業員がいたとある。比較的小規模な開発企業だったと思われる。
Mai Logic Inc
https://www.manta.com/c/mm0ctgg/mai-logic-inc
https://www.manta.com/c/mm0ctgg/mai-logic-inc
次の記事には2002年12月の発表の中で『Jason Hou, CEO of Mai Logic』の発言が紹介されている。
EXCLUSIVE: Terra Soft Presents Full YDL & Hardware Solution for PPC
http://archive.today/FcpUR
http://archive.today/FcpUR
Mai Logic Inc の製品に関する細かい情報は、こちらのツイートおよび深田萌絵事件リンク集の6項を参照。
(Articia事業の終焉〜Mai Logic社の倒産)
Mai Logic社の主力製品と思われるArticia(チップセット)は、かなりひどい設計品質だったようで納入先のBplan社からは強硬なクレームが届き、この問題は結局解決されなかったようである。本来なら出荷できるレベルになかった。
このArticia事業の失敗が効いたのか、Mai Logic社は倒産または機能停止に陥った。
この実態は、深田萌絵さんがいう「天才エンジニア」のイメージとはあまりにかけ離れている。天才どころか凡庸ですらなく、むしろ未熟といえる。
Bplan社からMai Logic社CEO后健慈氏への手紙=Articiaのひどい設計品質へのクレーム(下記ページの下の方)
https://amigaworld.net/modules/newbb/viewtopic.php?mode=viewtopic&topic_id=10225&forum=33&start=20&viewmode=flat&order=0
私の顧客は、Mai社がこれらの問題に対処する能力があるかどうかを非常に心配しており、Mai社がBplan社に販売した製品にこれらの固有の欠点や欠陥がある場合、全力でサポートすることを望んでいます。これらの問題により、本製品は意図された目的のためには受け入れられません。私のクライアントは、Maiが同様のコミットメントを示すのであれば、これらの問題を解決するための建設的な共同プロセスをサポートするために、彼らの豊富なリソースを完全かつ即座に使用します。最善を尽くさなければ、あなた方自身とBplan社に不利益をもたらすことになります。私の顧客は、経済的損失を回復するために法的手段を講じるよりも、あなたと一緒に仕事をすることを望んでいます。一緒に仕事をして、これらの問題を解決することはできませんか?
早急なご回答をお待ちしております。(DeepL翻訳)
早急なご回答をお待ちしております。(DeepL翻訳)
The Pegasos book
http://www.charra.fr/thepegasosbook/en/V2.3_en/ThePegasosBook_V2.3_en_T2_Pegasos.pdf
2002年の夏、"Betatester "と名付けられた最初のPegasosは、NDA(Non Disclosure Agreement)に署名してくれる人に販売され始めたばかりだった。アメリカのMai社が開発したArticia Sというノースブリッジを採用した際に、開発チームが直面したデータ破損の問題は、歴史が証明している。ノースブリッジは、マザーボードの根幹を成す部品です。ノースブリッジは、メモリ管理、プロセッサのインターコネクト、PCI/AGPバス、L2キャッシュマスクなどを担当し、マザーボードの基本要素となっている。2002年12月、ドイツのアーヘンで開催されたAmiga Showで、「April 1」と呼ばれるハードウェアの修正パッチを適用した新しいペガサスが登場した。結局、問題は解決されず(特にG4プロセスモジュール)、Mai社との関係悪化やArticia Sのプロビジョニングの問題もあり、2003年4月にGenesi社(bPlan社の親会社)はPegasos Iを放棄することを発表し、Marvell社製のノースブリッジを搭載して仕様を見直した後継機Discovery IIを開発することになった。(DeepL翻訳)
The Amiga is dead. Long live the Amiga!
https://web.archive.org/web/20110609101619/http://www.theinquirer.net/inquirer/news/1025786/the-amiga-dead-long-live-amiga
Mark 1 Pegasosでは、ノースブリッジチップ「Articia(アルティシア)」に問題があり、Genesiとチップセット設計者のMAI Logic社との間で大きな論争となった。パッチチップ「April」が作られたものの、Pegasos Iはすぐに別のチップセットを搭載したPegasos IIに置き換えられてしまった。(中略)Amigaにとって不幸だったのは、MAI社が倒産し、ブリッジチップを調達できなくなったことで、アイテック社は2005年にAmigaOneの生産を終了したことだ。出荷されたのはわずか1,500台程度だった。(DeepL翻訳)
Amiga November2002
http://www.amicue.org/ArchNewsLetter/2002Nov.pdf
Articiaのチップセット(ノースブリッジ)は、もともとセットトップボックスや組み込みシステム向けに設計されたもので、大容量のデータを動かすことはありません。つまり、大量のデータを移動させるようなものではないのです。 私たちは、このチップセットを使って異なるPCIバスマスター間で大容量のデータを移動し始めると、ハングアップしてしまうことを発見しました。 これは、チップセットの欠陥です。 MAIは、そのような環境でテストしたことがなかったので、その不具合を知りませんでした。(DeepL翻訳)
《7. 亞圖科技股份有限公司》
ここに董事長(=代表取締役)として后健慈が出てくる。民国歴87年(1998年)創業、94年(2005年)更新終了と読める。事業内容は、微型伺服器、邏輯晶片組(マイクロサーバー、ロジックチップセット)とある。
ロジックチップセットとは、前項の Mai Logic Inc の主力製品らしき Articia S chipset などを指すものと思われる。
亞圖科技(台湾新創産業網)
http://kcc668.com/CompanyProfile.asp?Title1=%B7%ED%A4%E9%A6%E6%B1%A1%B3%F8%BB%F9&CompanyID=4643
http://archive.today/LbMBB(アーカイブ)
http://kcc668.com/CompanyProfile.asp?Title1=%B7%ED%A4%E9%A6%E6%B1%A1%B3%F8%BB%F9&CompanyID=4643
http://archive.today/LbMBB(アーカイブ)
その下にある記事のリンクから、2000年に一部の株式を他社に売却したのがわかる。総額で 1億0102萬7500元とあるから、当時の為替も貨幣価値換算も無視してざっと3.5億円くらいの金額。
華非建設取得亞圖科技股票577.3萬股 每股17.5元
http://kcc668.com/NewsInto.asp?News_id=61740&action=assign&CompanyName=%B5%D8%ABD%AB%D8%B3
http://archive.today/UMbcZ(アーカイブ)
http://kcc668.com/NewsInto.asp?News_id=61740&action=assign&CompanyName=%B5%D8%ABD%AB%D8%B3
http://archive.today/UMbcZ(アーカイブ)
次のサイトの情報を見ると、董事長の后健慈が5,509,879株(15.3052%)を保有している。筆頭株主は僅差だが華非建設股份有限公司から来たらしき徐錦鏘が5,773,000株(16.0361%)を保有していて、上の株式取得記事と整合している。3番目の株主の徐秀瑩が后健慈の妻で7.8611%を保有しているとある。
亞圖科技股份有限公司-其它相關
http://aeoninformation.com/m/cmpany_or.php?STID=224487
http://archive.today/A55Nr(アーカイブ)
http://aeoninformation.com/m/cmpany_or.php?STID=224487
http://archive.today/A55Nr(アーカイブ)
2002年には、株式が非公開化された。他社の100%子会社にでもなったのだと思われる。すなわち、この時まで后健慈が保有していた残りの株式15.3052%、妻の徐秀瑩が保有してた株式7.8611%も売却されたのではないか。株価変動も無視すれば、この時に后健慈はさらに3.5億円、妻の徐秀瑩は1.7億円程度を得たものと思われる。
證期會核准亞圖科技、和業投資等為不繼續公開發行公司
http://kcc668.com/NewsInto.asp?News_id=52613&action=assign&CompanyName=%B3%CC%A8%CE%A4k%A5D
http://archive.today/YeWQJ(アーカイブ)
http://kcc668.com/NewsInto.asp?News_id=52613&action=assign&CompanyName=%B3%CC%A8%CE%A4k%A5D
http://archive.today/YeWQJ(アーカイブ)
その後は、台湾新創産業網の情報では2005年まで亞圖科技股份有限公司の情報が更新されていたようだから、后健慈は雇われ社長の立場で会社の経営に携わるなどしていたのではないだろうか。
なお、上述の華非建設に株式が移動している件は、Niaoさんの調べによれば以下のように、見せ金を使った虚偽登記だったようで刑事事件に発展した。したがって、カネの動きの真相は不明。
4-3. 后健慈氏 VS. 華邦電子
1999年、亞圖は資金ショートを起こしたことから新株発行による増資を決定した。目標金額は7,500万元だったが、期間中に達成することができず、さらに株主の買付代金も未決済だった。そこで亞圖は華非建設、華非貿易などから一時的に7,050万元を借り入れ、増資について虚偽登記を行った。
《臺灣士林地方法院 105年度訴緝字24號》
1999年、亞圖は資金ショートを起こしたことから新株発行による増資を決定した。目標金額は7,500万元だったが、期間中に達成することができず、さらに株主の買付代金も未決済だった。そこで亞圖は華非建設、華非貿易などから一時的に7,050万元を借り入れ、増資について虚偽登記を行った。
《臺灣士林地方法院 105年度訴緝字24號》
この「虚偽登記」事件に関するより詳しい情報はこの記事の後編16項に記述した。
《8. 英領ヴァージン諸島》
深田さんの記事の中に、『英領ヴァージン諸島(British Virgin Islands = BVI)』の話が出てくる。話の細部の真偽は不明だが、1998年頃にマイケルの会社でBVI企業を2社または4社設立したという。
【番外戦18】見えてきた事件の全体図
http://fukadamoe.blog.fc2.com/blog-entry-3627.html
http://archive.today/VF7fd(アーカイブ)
http://fukadamoe.blog.fc2.com/blog-entry-3627.html
http://archive.today/VF7fd(アーカイブ)
なお、上記の記事で深田さんは『⑦ 2005年、マイケルがFBIの力を借りて米国に亡命し、FBI被害者アシスタントプログラムで氏名を変更した。』と書いている。前述の台湾新創産業網で亞圖科技股份有限公司の情報更新が止まった年のことである。
そして、台湾で出願された特許明細に、申請人としてジェネティックウェア社、その住所が英領維京群島とあるから英領バージン諸島、その代表者は后健慈と書いてある。
Method and architecture for DRAM defect management and status display
https://patents.google.com/patent/TW504692B/en
https://patents.google.com/patent/TW504692B/en
また、1999年9月に日本で出願された特許明細にも、出願人名義として英領バージン諸島のジェネティックウェア社が出ている。
なお、后健慈の最古の特許出願は1997年9月に米国で出願したこれ(US5935247A)だと思われるが、この時の出願名義が既にジェネティックウェア社となっている。
ちなみに、Googleパテントで調べるとジェネティックウェア社名義での特許出願が57件(同一特許の各国への出願を含む)あり、全て発明人は后健慈。また、その一部は妻の徐秀瑩が共同発明者になっている。出願時期は1997年から2003年までで、それ以後は無い。
よって、特許の出願状況を見る限り、ジェネティックウェア社は后健慈個人のためのペーパーカンパニーと思われる。
もっとも、后健慈・徐秀瑩夫妻が得たであろう株式売却代金か何かの大金をこういったペーパーカンパニーに預けたかどうかとか、その辺は私にはさっぱりわからない。
(租税回避行為)
后健慈の租税回避行為に関係する情報。
12項で後述するIRS(アメリカ合衆国内国歳入庁 )との裁判は、この辺に原因があるのかもしれない。
パナマ文書(パナマぶんしょ、英語: Panama Papers)とは、パナマの法律事務所、モサック・フォンセカ(Mossack Fonseca)によって作成された、租税回避行為に関する一連の機密文書である。
Wikipedia:パナマ文書
https://ja.wikipedia.org/?curid=3394708
https://ja.wikipedia.org/?curid=3394708
そのデータベースに載っていた后健慈の情報。Geneticware社含めて4社のBVI(British Virgin Islands)とつながっていることがわかる。
また、適当にクリックしていくと、まだ我々が捕捉していない関係企業がありそうにも見える。
Hou, Chien-Tzu(=后健慈)/ ICIJ Offshore Leaks database
https://offshoreleaks.icij.org/nodes/83888
https://offshoreleaks.icij.org/nodes/83888
《9. Revatron Inc、 Teklium Inc》
2007年1月31日に、后健慈はRevatronとTekliumの2社を登記した。Mai Ligicの企業情報も併せて示すが、注目点は次の通りである。
1)Mai Logicの登録名義は妻の徐秀瑩=Hsiu-Ying Hsuだった。
2)后健慈は、RevatronとTekliumの2社を同日(2007年1月31日)に登記した。
3)徐秀瑩のMai Logicと、后健慈のTekliumは同じ住所である。
4)Revatron Incは1年未満で閉鎖された。
2)后健慈は、RevatronとTekliumの2社を同日(2007年1月31日)に登記した。
3)徐秀瑩のMai Logicと、后健慈のTekliumは同じ住所である。
4)Revatron Incは1年未満で閉鎖された。
Mai Logicが徐秀瑩名義であった理由はわからない。途中で名義を変えたのかもしれないし、実は元々徐秀瑩が創業した会社で、創業時あるいは途中で后健慈が参加したのかもしれない。
各企業の登録情報へのリンクを示す。なお、そのサイトでは下の方に同名の名義人の企業一覧が出てくる。この中にもまだ后健慈・徐秀瑩の会社があるのかもしれないが、精査できていない。
Mai Logic Inc.
http://archive.today/g2EDZ
Revatron Inc.
http://archive.today/ZGCSQ
Teklium Inc.
http://archive.today/DvL21
http://archive.today/g2EDZ
Revatron Inc.
http://archive.today/ZGCSQ
Teklium Inc.
http://archive.today/DvL21
《10. 関係会社年表》
后健慈(と徐秀瑩、さらには深田萌絵さん)が関係する企業の年表を以下に示す。
かつてRevatron社HPに掲示されていた情報に基づけば、日本で最初のRevatron社らしきRevatron950は、米Revatron Incが閉鎖された後に日本でプレマーケティングを開始したり、国内大手カメラメーカーにライセンス契約したりするなどし、1年と5ヶ月で清算された。
その後には、Revatronと名乗る会社を解散と同日に別会社として設立することを繰り返し(950→124→526)、現時点では最後に設立したRevatron860だけが残っている。また、判明しているRevatron4社(950、124、526、860)が集めた資本金総額は1億2,669万円にもなる。
見かけ上の社名を維持したまま法人を次々に入れ替えるこれらの動きの本当の狙いはなんなのか、不可解である。
(国税庁法人番号公表サイトはこちら。)
(資本金についてはこちらのサイトの登記簿を参照した。)
(会社法第四百四十五条2によれば、資本金と同額以下の資本準備金も別途ある可能性もあるとのこと。)
《11. DGL Group》
シンガポールで投資事業を営む DGL Group Incは、『Revatron ltd (Japan/USA)』に投資したと書いている。
次の記事でも、深田さんが『DGLグループ』の『デイビーラウ』と親しくしているような発言をしている。デイビーラウとは、上の記事に出てくる男性のようだ。日本語も話せるらしい。
浅田:「デイビーラウ、デイビーラウっていうの。DCIグループといって、デイビーラウという香港人の投資家。」
経理:「投資家さんなんですか?」
浅田:「そう、投資家なの、プライベート・エクイティーと言って。」
藤井:「個人投資家なんですか?プライベートって何のプライベート?」
浅田:「プライベート・エクイティーって分かる?プライベート・エクイティーっていうのは、ベンチャーキャピタルってベンチャー企業にちょっとずつ5~10%投資するじゃない?プライベート・エクイティーはマジョリティーを取ってくるんですよね。20~30%取ってくる。今、メールがあるのでちょっと待ってね。普段、デイビーデイビーって言っているから。DGLグループだ。DGLグループはシンガポールの法人なんだけど、登記はBVIね。」
経理:「投資家さんなんですか?」
浅田:「そう、投資家なの、プライベート・エクイティーと言って。」
藤井:「個人投資家なんですか?プライベートって何のプライベート?」
浅田:「プライベート・エクイティーって分かる?プライベート・エクイティーっていうのは、ベンチャーキャピタルってベンチャー企業にちょっとずつ5~10%投資するじゃない?プライベート・エクイティーはマジョリティーを取ってくるんですよね。20~30%取ってくる。今、メールがあるのでちょっと待ってね。普段、デイビーデイビーって言っているから。DGLグループだ。DGLグループはシンガポールの法人なんだけど、登記はBVIね。」
また、以下では実質的な借金を投資に転換させようと誘う場面でDGLグループの名前を使っている。
浅田:「これって投資っていうよりかは、なんだだろう、今株価5万円なんだけど、額面5万円で期末くらいでDGLグループがセカンドステージに来る前辺りに株式転換をしてもらっておくとまぁ、2倍とか4倍くらいの値段で交渉してますよ、っていうことだからそれだと稼げるかもしれないっていう、そういうこと。」
ただ、私が考察した限りでは、日本のRevatron社には何ら見るべきものがありそうに無いのでDGLグループが何を考えて投資したのか、よくわからない。また、上述したように米Revatron Inc.は1年未満で閉鎖されているから、この分の投資は蒸発したということになる。
さらに、DGLグループは、R&Dセンターだったはずの米Revatron Incが閉鎖された後の日本のRevatronに、なぜ、いつ投資したのか。日本のRevatronも何度もスクラップ&ビルドされているようだから、時期によってはこの投資も蒸発した気配がある。
関連会社である米Teklium社まで視野を広げても、どこに投資する価値があるのかよくわからない。そんな不可解な投資の原資がいったいどこから来たのか、その辺は私にはさっぱりわからない。
なお、DGLグループは2006年の設立とのことであり、それは亞圖科技股份有限公司が2005年に活動を停止して后健慈が台湾を引き払って米国に拠点を移し、2007年1月31日に米Revatron IncとTeklium Incの2社を設立する間のことだから、偶然にしては手際が良い。
《12. IRS / アメリカ合衆国内国歳入庁》
Hsiu-Ying Hsu(徐秀瑩)と后健慈がIRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)相手に戦っているという2018年の記録がある。内容はよくわからないが、どうやら納税者としての夫妻の財務状況を巡る問題を抱えているようである。台湾で経営していた亞圖科技股份有限公司を売却した財産に関するものなのかもしれないが、その辺は私にはさっぱりわからない。
ともかく、后健慈・徐秀瑩夫妻は今は米国でリッチな生活をしているようにも伺える。
HSIU-YING HSU v. U.S.
https://www.leagle.com/decision/infdco20180517931
http://archive.today/onp5L(アーカイブ)
https://www.leagle.com/decision/infdco20180517931
http://archive.today/onp5L(アーカイブ)
なお、后健慈に関する裁判案件は次の記事の7項に列挙した。
以上が、大雑把だがジェイソン(后健慈)氏のここ数十年の足跡である。深田事件の背後には、こういった流れがあることを踏まえておけば、見えなかったものも見えてくるかもしれない。
蛇足的に付け加えれば、ジェイソン(后健慈)氏が経営するというこのTeklium社も、夫妻に十分な財産があればこそ、もはや必死に技術開発をする必要もないのかもしれないし、2002年以降には新たに出願された特許も見当たらないし、それゆえ具体的な製品がモヤモヤしたまま見えてこないのかもしれない。それでも特に困ることもないし、会社さえあってテキトーに吹聴してれば間違えて投資してくれる投資家が現れたりするのかもしれないし、その辺は私にはさっぱりわからない。
Teklium Inc.
http://www.teklium.com/index.html
http://www.teklium.com/index.html
《13. 氏名の同定》
この記事の冒頭に挙げた氏名の同定にもしまだ疑問を感じる人がいれば、Googleパテントでまず『Teklium』社に関係する特許を調べることから始めると良い。
https://patents.google.com
その『Teklium』について次の記事で深田萌絵さんは『ここに出てくるTekliumが弊社のコアを開発しているシリコンバレーのR&Dチームです』と書いている。
http://archive.today/nMPuE
Googleパテントで『Teklium』を調べると9件の出願が出てきて、全て発明者が『Chien-Tzu Hou』であることがわかるはず。また、その約半数は assignee(権利保有者)が『Geneticware Co. Ltd.』であることもわかる。
次に、その『Geneticware』で検索すると上述の記事本文中で紹介した出願など57件見えるはず。それらから米国、台湾、日本での出願を照合すれば、『后健慈=Chien-Tzu Hou』であることがわかるはず。
また、次のアーカイブを見れば、『Jason Ho =ジェイソン・ホー』がRevatron社の代表だったことがわかる。
https://web.archive.org/web/20130706111230/http://revatron.com:80/resume.html
さらに、Google翻訳で『后健慈』『Chien-Tzu Hou』を中国語として発音させてみたら良い。すると、『ホゥ・チェン・スゥ(后健慈)』と発音され、『Jason Ho =ジェイソン・ホー』と近似した発音であることがわかるはず。
また、妻の『徐秀瑩』については、上述の記事本文中に挙げた台湾での出願を見ると『Hsiu-Ying Hsu』であることがわかる。この名前は複数の出願で『Chien-Tzu Hou』の共同発明者として登場する。また、その名は『Geneticware Co. Ltd.』を介さない個人出願の共同発明者としても登場する。
また、記事本文で示したように『徐秀瑩』は最初の会社『Mai Ligic Inc』の名義人であり、そのCEOは后健慈である。そして、徐秀瑩は『亞圖科技股份有限公司』の3番目の大株主でもある。
さらに、記事本文末尾に挙げたIRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)との記録にも登場する。むしろ、タイトルで見ても『Hsiu-Ying Hsu』が主役である。
『徐秀瑩』は女性と思われる名前だそうだから、この30年近くずっと后健慈と人生を共にしてきた女性なら妻と考えるのが自然であろう。
《改版履歴》
2021.05.06 7項に亞圖科技の虚偽登記事件 追記
2021.05.06 6項に Articia事業の終焉〜Mai Logic社の倒産 追記
2021.05.07 《4. 后健慈のプロフィール》を更新
2021.05.07 《14. 中国との接点》を追記
2021.05.07 7項に「財務報表 旭展電子」を追記
2021.05.10 15項『后健慈の両親と日本人への恨み』追加
2021.05.10 8項に(租税回避行為)追記
2021.05.12 14項以降を『後編』として分割
《関連記事》
ジェイソンの足跡(後編)
https://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/b63bbe8782710cd432d18bd0b467b3a5
后健慈スキームと深田陰謀論
https://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/fe7ade219218dd0bc454be2eefdf6a8d
后健慈の裏の本当の黒幕たち
https://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/2a5cf2cc60692c75bf4b0dbbcb31c419
深田事件の考察一覧
https://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/94aa92677310e83bfae5d3ce982ffeff
深田萌絵事件リンク集
https://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/bd2c799f63c376acf2054713fbc93cdc