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卑弥呼はすでにお婆ちゃん?

2022-08-28 16:21:00 | 邪馬台国
(卑弥呼)年已長大


広く一般に解釈されている説は
もうすでに年老いてる

すでに年寄りだ
すでに年取ってる

のように解釈されていて

私も、 テレビ·雑誌·書籍等で多くはそのように説明されていたので
いままで卑弥呼の年齢はすでに高齢だと


思っていました。

しかし

中国人にこの箇所を確認したら
すでに年老いてる
すでに年寄りだ
すでに年取ってる
すでに高齢
の意味にはならないという

素直に解釈すれば
すでに大きくなっている
すでに成人してるのイメージだという

すでに年取ってるなら(卑弥呼)年已長老と
老の単語

を使うとどの中国人も教えてくれます

年已長大は
その人がイメージしているより大人になってる場合、
たとえば
幼い時を知ってるがその後久しぶりに会って、

成長して大きくなった姿を見れば長大を使うし

ただ単に長大をつかえば成人しているイメージの様です

この箇所、年已長大のこの後に,無夫婿
夫(婿)は、いないという言葉があり、
子供じゃなく卑弥呼はもうすでに成人した女性だが結婚はまだしてない
(旦那はまだいない)ということを伝えたかったのだと思います

確かに『卑弥呼は歳をとってお婆ちゃんだが、夫はいない』とは一般的には言わないし、書かない。
その様な訳では文章的に意味がおかしいので、
やはり
『卑弥呼はすでに適齢期を迎えていたが夫はまだいない』
という風に解釈したほうがいいかもしれません。

私が不思議に思うのはなぜ「卑弥呼はすでに成長(成人)している」と解釈した人が居たと思いますが、その人達の説はキャンセルされて、「卑弥呼は
すでに高齢である」と解釈をした人達の説が何故まかり通ったかということです。



今ネット上でもこの件とは関係なく、いろいろ情報が有りすぎて
どれが本当で、どれがフェイクなのか 問題になっていますが

ネットのない時代に
(卑弥呼)年已長大→(卑弥呼)すでに年老いてる。


のような間違った情報(解釈)がどうして拡散してしまったのか(まかり通ってしまったのか)?
私にはとても気になる疑問の一つです。

2つの奴国

2018-08-13 15:31:00 | 邪馬台国
倭人在帶方東南大海之中 
從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 
乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里
始度一海 千餘里 至對海國 
又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 
又渡一海 千餘里 至末盧國 
東南陸行 五百里 到伊都國 
東南至
奴國(A) 百里 
東行至不彌國 百里  
南至投馬國 水行二十日。
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自女王國以北 其戸數道里可得略載 
其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國 
次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 
次有彌奴國 次有好古都國 次有不呼國 
次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 
次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 
次有為吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 
次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 
次有烏奴國 次有奴國
(B)
此女王境界所盡
其南有狗奴國 (不屬女王) 自郡至女王國 萬二千餘里


奴國(A) 奴國(B)は別の国?


奴國(A) 奴國(B)は同じ国だと、その方の位置関係の説明で辻褄が合わなくなり
その方の都合で、別の国だと解釈してしまうのは如何でしょうか?

奴國(A) 奴國(B)
普通に考えれば別の国と解釈するのは、ありえないと思います 。

中国人が 同じ 漢字を使えば、通常は同じと 考えた方が素直な解釈です。
たとえ名前の発音が一緒でも、違う場合なら、別の漢字を使うのが普通だと思います。

ましてや魏志倭人伝という一つの書物の中で、同じ漢字の言葉が使われているのに
違う国の名前を同じ漢字を用いて記載するとは到底考えられません。

たとえば日本の手紙と中国の手紙は同じ漢字を使ってますがこの2つは
まったくの別物ですが。
それはお互い国が違うのでたまたま同じ漢字を使用した的な場合は有ると思いますが

同じ書物の中で同じ漢字を使用してそれが違うものを指しているとは、
通常では考えにくいです。
北の中国と南の中国で互いコミュニケーションがなく、たまたま同じ漢字を使う事は、
まったくは有り得なくは、ないと思いますが

同一の 魏志倭人伝の2000字足らずの書物内の記載 で  同じ漢字表記で違う国を表現しているとは普通は考え難いです


ドラえもん
机器猫・哆啦A夢
スカイツリー日本では東京晴空塔と習いますが、実際の中国人は東京天空樹と言います。
上記の例のように
同一のものを 違う漢字で表現することはあっても
同一でないものを同じ漢字で表すことはまずありえないと思います。

ドナルドダックDonald Duck
→ 唐老
マクドナルMcDonald's当劳
唐老(タンラオ)→ドナルド
当劳(ダンラオ)→ドナルド




女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種

2018-07-13 12:53:00 | 邪馬台国
「光正解釈説」より導き出された情報に、
さらに、魏志倭人伝に記載されている戸数情報を記入すると、

① 末盧國(4,000戸余り)から東南へ五百里歩いて行く  と
  伊都國(1,000戸余り)に到る。

② 末盧國から東南へ百里で
  奴國 (20,000戸余り)へ至る。



③ 末盧國から東へ百里で
  不彌國 (1,000家余り)へ至る。


④ 末盧國から南へ水行二十日で
  投馬國 (50,000戸余り)へ至る。


⑤ 末盧國から南へ水行で行けば十日、陸行すれば一月で
  女王が都する
  邪馬壹國 (70,000戸余り)へ至る。


⑥ 女王國より北には 順に、
  斯馬國 巳百支國 伊邪國 都支國 
  彌奴國 好古都國 不呼國 
  姐奴國 對蘇國 蘇奴國 
  呼邑國 華奴蘇奴國 鬼國 
  為吾國 鬼奴國 邪馬國 
  躬臣國 巴利國 支惟國 
  烏奴國 奴國が有る

⑦ 奴國は女王国の端である

⑧ 奴國の南には狗奴國が有る
  (女王国には属していない)

⑨ 末盧國から女王國は2,000里

 さらに、邪馬台国の場所を探るのに、魏志倭人伝(原文)に、
 下記の記述があります。

 女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種 


 「女王國から東へ海を1,000里余り渡った所に、またまた国が有り、
 そこも又、皆倭種(倭人と同じ人種)である。」
 とあります。


この箇所の文面から女王国の東側は海に面していると読み取る事がきます。

⑩女王国の東の方向(1,000里余り海を渡った処)にもまたまた国がある。

⑪女王国の東側は海に面している。

そのあとに、

 又有侏儒國在其南 去女王四千餘里 


 去女王四千餘里
ここで使用してる去は現代中国語では一部の熟語を除いて去るという意味はなく、
行くという意味になります



例子(例文)

我去邪马台国。(私は邪馬台国へ行く)


去るの意味の去は現代中国語だと離の漢字を使います。


離を使って言いかえれば離女王四千餘里
この場合は動詞ではなく前置詞として使用し、ある場所からの距離を示し




 (⚪⚪の場所)からと訳します


この箇所の訳は、

「その南に又、侏儒国が有ります。

女王国からは四千余里余りです。」


と訳します。




どうでしょうか 霧に包まれた邪馬台国がなんとなく 薄っすら見えてきませんでしょうか?


各位大家邪马台国找到了吗?

 光正解釈説 総纏集 

2018-04-16 13:20:00 | 邪馬台国
倭人在帶方東南大海之中
( 倭人は帯方の東南方面の大海の中に在ります。)

從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里
(郡より倭に至るには、海岸に循いて水行し、韓国を歴て、南に行ったり又東に行ったりすると、その<倭国の>北岸の狗邪韓国に到る。七千余里。)

(從郡至倭)
群から倭に至るには・・・と書いてあり
(從郡至邪馬台国)
群から邪馬台国に至るには・・・とは表記してません、なので魏志倭人伝は邪馬台国への道程を書いたのではないことがわかります。
倭国とは倭国という実在する1つの国家があるのではなく、倭人が住んでる所の地域(場所)と解釈したほうが良い。
以前ソ連国がありましたがソ連国という国家がどこかの場所にあったのではなく、
連合国の総称として使われてました。
倭国も倭人が住んでる場所の総称として使用していたと思います。

到其北岸狗邪韓國の其はその前の從郡至倭の倭を指します。
また狗邪韓国まで群から7000里とだけあり、狗邪韓国の説明は有りません。
ゆえに、狗邪韓国はまだ倭人が住んでる所ではないとわかります。

始度一海 千餘里 至對海國 
(狗邪韓国から始めて一つ海を越すこと千里余りで対海国に至る。)
 魏志倭人伝はこの対馬国から戸数とか環境等を説明を始めてます。
魏志倭人伝は倭人(倭国)の紹介してる条ですので、この対馬国から倭国ですよと説明が始まってます。

又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國
( 対馬国から又、南へ名を瀚海と曰う海をひとつ渡る。千里余りで。一大国に至る。)

又渡一海 千餘里 至末盧國 
「一大国から又、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。
又渡一海と書いてあり、この箇所には方向の表示がありません。
そして中国船は九州本土の末盧国に着きました。


この後の説明は今、中国船がある末盧國が基準点で説明してます。

自動車を運転する方は、大きな交差点で、右に行くと何処何処、左に行くと何処何処、まっすぐ行くと何処何処、斜めに行くと何処何処と書いてある表示板を思い浮かべていただければご理解しやすいと思います。
また、観光地、ハイキングコースなどで岐路がある場合矢印表示で右矢印は至何処何処、左矢印は至何処何処、まっすぐは至何処何処と書いてある道案内の板を思い浮かべると理解しやすいと思います。

東南陸行 五百里 到伊都國 
「(末盧國から)東南方向に五百里行くと伊都国に到る。」


東南至奴国 百里 
「(末盧國から)東南方面は奴国に至る。百里です。」


東行至不彌國 百里 
「(末盧國から)東に行くと不弥国に至る。百里です。


南至投馬國 水行二十日
「(末盧國から)南は、投馬国に至ります。船で20日です。」
 

南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 
「(末盧國の)南は女王の都の所、邪馬壱国に至ります。船で10日、陸路で一月です。


すべて末盧國からの道案内的な説明箇所になってます。


この箇所の説明をわかり易くする為にさらに不必要な個所をカットすると下記になります。

東南 到伊都國 
東南至奴国  
至不彌國  
至投馬國
至邪馬壹國

東南は伊都國 
東南は奴国  
東は不彌國  
南は投馬國
南は邪馬壹國

こうすると、わかり易いと思いますが、ただ方向のあとに国名が書かれてるだけです。(並列に書かれてる)

たとえば、其南、又南、次南とかの様に次に繋がる文字が有れば、移動してると理解できますが、上記の並列の書き方で伊都國の次は 奴国に行って、次は  不彌國に行って、次は 投馬國に行って、そして邪馬壹國に行くと解釈するのは不自然です.

どこにも連続(連動)して移動するとわかる言葉が使われていません。
《また、そこから東南に行って、又、そこから今度は東に行って、またそこから南と解釈するには無理があります。》

魏志倭人伝の始めの所で狗邪韓國から対馬国に至る箇所には始度一海と有り、次に対馬国から 
 一大國に至る時は 南渡一海 と又の表示があり、
一大國 から末盧國至る時は 渡一海と又の表示があり、何々して何々とわかりますが、

東南 到伊都國 (東南 に行くと伊都國 )
東南至奴国 (東南は奴国 ) 
東行至不彌國  (東に行けば不彌國  )
南至投馬國(南は投馬國)
南至邪馬壹國(南は邪馬壹國)

この箇所は、ただ単に東南はどこどこ、、
南はどこどこ、とただ文を並列に書いてあるだけで、
どこどこに行って、そこから何処何処を示すことばがない。

そうしたいなら、たとえば、

東南 到伊都國 (東南に行くと 伊都國に到り )
又東南至奴国  (又、東南に行くと奴国)
其東行至不彌國 (其の東に行くと不彌國 ) 
其南至投馬國(其の南に行くと投馬國)
又南至邪馬壹國(又さらに南に行くと邪馬壹國)

という風に書かれていれば移動していることはわかりますが、
この箇所にはその様には書かれていないので、

すべて末盧國からの場所説明になっています。

東南陸行 五百里 到伊都國 
「末盧國から東南方向に五百里行くと伊都国に到る。」

東南至奴国 百里 
「末盧國から東南方面は奴国に至る。百里です。」

東行至不彌國 百里 
「末盧國から東に行くと不弥国に至る。百里です。

南至投馬國 水行二十日
「末盧國から南方面に船で20日で投馬国に到ります。
 
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 
「末盧國の南方面は邪馬壱国に至ります。女王の都とする所。
船で十日、陸路で一月です。」


この箇所の水行十日陸行一月を説明します。

この「水行十日陸行一月」を水行十日して、
その次に陸行一月費やして女王国に至ると解釈してる説が多数ありますが、
よく考えて頂ければ、どうしてそのように解釈されるのか判りません。

「水行十日陸行一月」をたとえば、
「水行十日陸行一月」、とか
「水行十日陸行一月」、
「水行十日陸行一月」とかの連動してますよと判る語句が有れば理解できますが、
並列に「水行十日、陸行一月」とだけ書いてあれば
普通は水行なら十日、陸行なら一月かかる、と解釈できます。

中国語学習的に例文を挙げれば、たとえば
坐飞机要一个小时,坐新干线要三个小时。
飛行機なら1時間、新幹線なら3時間

开车去要一个小时,走着去要半天。
車で行けば1時間、歩いて行けば半日(長い時間)かかる
となり、連続して動作してない(連動してない)表現になってます。


なので、この箇所「水行十日陸行一月」は
水行十日更に陸行一月ではなく、

水行なら十日、陸行なら一月

と解釈致します。

自女王國以北
女王国より以北は

其戸數道里可得略載
その戸数、道程,距離は簡略には記載できるが

其餘旁國遠絶
その他の隣国は交流が遠ざかっているので

不可得詳
詳細を得ることはできない(詳しくはわからない)。
 
次有斯馬國 
次有巳百支國 
次有伊邪國 
次有都支國 
次有彌奴國 
次有好古都國
次有不呼國 
次有姐奴國
次有對蘇國 
次有蘇奴國 
次有呼邑國 
次有華奴蘇奴國 
次有鬼國 
次有為吾國 
次有鬼奴國 
次有邪馬國
次有躬臣國
次有巴利國 
次有支惟國 
次有烏奴國 


次有奴國 此女王境界所盡


(そして女王国より北にある国を次有り・・次有り・・と続けて紹介してます、)

次に斯馬国有り。
次に巳百支国有り。
次に伊邪国有り。
次都支国有り。
次に弥奴国有り。
次に好古都国有り。
次に不呼国有り。
次に姐奴国有り。
次に対蘇国有り。
次に蘇奴国有り。
次に呼邑国有り。
次に華奴蘇奴国有り。
次に鬼国有り。
次に為吾国有り。
次に鬼奴国有り。
次に邪馬国有り。
次に躬臣国有り。
次に巴利国有り。
次に支惟国有り。
次に烏奴国有り。

次に奴國有り。ここは女王の境界の尽きる所。

この奴國は 前出に 「東南至奴国 百里」とあり、

末盧國から東南100里のところにあるともあり、
ここは女王国に属す一番端であるとも書いてあります。


この奴國は2万余戸と記載があるのでかなり大きな国であると思います。



其南有狗奴國 (不屬女王)

その南、狗奴国有り。(女王に属さず)
南の、を女王国(邪馬台国)と解釈してあるものが
多くまかり通ってますが、南のは文脈から素直に読みとれば奴國としか解釈できません。

を前出の「自女王國以北」の女王國と解釈するのは無理です。もし、女王國の南と示したいなら南有狗奴國ではなくを書かず、南有狗奴國とすればそういう意味にはなります。
すなわち、
自女王國以北次有~、次有~、次有~。
南有狗奴國

(女王國より北には~有り、次に~有り、次に~有り。
  南には狗奴國有り。)

とすれば女王國の南には狗奴國があると読めます。

しかし、この文章は
其南有狗奴國と其南と書いてあるので
其南有狗奴國の前に書いてある次有奴國 此女王境界所盡
の奴國の南としか解釈できません。

日本語(和訳した文章)で確認した方がわかりやすいかも知れません。

女王国より以北は

その戸数、道程,距離は簡略には記載できるが

その他の傍にある国は交流が遠ざかっているので

詳細を得ることはできない(詳しくはわからない)。
 
(そして女王国より北にある国を次有り・・次有り・・と続けて紹介してます、)

次に斯馬国有り。
次に巳百支国有り。
次に伊邪国有り。
次都支国有り。
次に弥奴国有り。
次に好古都国有り。
次に不呼国有り。
次に姐奴国有り。
次に対蘇国有り。
次に蘇奴国有り。
次に呼邑国有り。
次に華奴蘇奴国有り。
次に鬼国有り。
次に為吾国有り。
次に鬼奴国有り。
次に邪馬国有り。
次に躬臣国有り。
次に巴利国有り。
次に支惟国有り。
次に烏奴国有り。
次に奴國有り。ここは女王の境界の尽きる所。
「その南」には狗奴國があります。

とすれば、「奴國の南に狗奴國有り」
と読みとれます。

「その南」とせず単に

「南」には狗奴國があります。
だと女王國の北には**国有り、南に狗奴國有り
で、「女王國の南には狗奴國有り」と読みとれます。


其(奴國)の南には狗奴國 がある。
と解釈したほうが、自然な解釈です。


そして、次は
(自郡至女王國 萬二千餘里 )
郡より女王国に至る。万二千余里。

自郡至女王國 萬二千餘里
(郡より女王国に至る。万二千余里)

この箇所を説明します。
この箇所には、郡から女王国(邪馬台国)まで
万2000里余りであると書かれてます。
万2000里余りと万の前に数字がありませんが、
1万2000里余りと解釈した方が自然でしょうか。
この1万2000里を文中から推計しますと、



從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里
(郡より倭に至るには、海岸に循いて水行し、韓国を歴て、南に行ったり又東に行ったりすると、その<倭国の>北岸の狗邪韓国に到る。七千余里。)
郡から狗邪韓國まで7000里余り

始度一海 千餘里 至對海國
(狗邪韓国から始めて一つ海を越すこと千里余りで対海国に至る。)
狗邪韓國から對海國は1000里余り
 
又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國
( 対馬国から又、南へ名を瀚海と曰う海をひとつ渡る。千里余りで。一大国に至る。)
對海國から一大國は1000里余り

又渡一海 千餘里 至末盧國 
「一大国から又、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。
一大國から末盧國まで1000里余り

ゆえに、郡から末盧國までは
7,000余里+1,000余里+1,000余里+1,000余里=10,000余里となります。
郡から女王国(邪馬台国)は1万2000里余りと記載されているので
末盧國から女王国(邪馬台国)は
12,000余里-10,000余里=2,000余里
という、数式が成り立ちます。

ゆえに、
末盧國から女王国(邪馬台国)は 2,000里余りになります。


光正解釈説で解釈した内容をまとめると

① 末盧國から東南へ五百里歩いて行くと 伊都國に到る。

② 末盧國から東南へ百里で奴國 

③ 末盧國から東へ百里で不彌國 

④ 末盧國から南へ水行二十日で投馬國

⑤ 末盧國から南へ水行で行けば十日、陸行すれば一月で
  女王が都する邪馬壹國

⑥ 女王國より北には 順に、
  斯馬國 巳百支國 伊邪國 都支國 
  彌奴國 好古都國 不呼國 
  姐奴國 對蘇國 蘇奴國 
  呼邑國 華奴蘇奴國 鬼國 
  為吾國 鬼奴國 邪馬國 
  躬臣國 巴利國 支惟國 
  烏奴國 奴國が有る

⑦ 奴國は女王国の端である

⑧ 奴國の南には狗奴國が有る
  (女王国には属していない)

⑨ 末盧國から女王國は2,000里