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邪馬台国の大研究 其十三 (光正解釈説5)

2018-03-30 13:43:00 | 邪馬台国
其南有狗奴國 (不屬女王)

その南、狗奴国有り。(女王に属さず)
南の、を女王国(邪馬台国)と解釈してあるものが
多くまかり通ってますが、南のは文脈から素直に読みとれば奴國としか解釈できません。

を前出の「自女王國以北」の女王國と解釈するのは無理です。もし、女王國の南と示したいなら南有狗奴國ではなくを書かず、南有狗奴國とすればそういう意味にはなります。
すなわち、
自女王國以北次有~、次有~、次有~。
南有狗奴國

(女王國より北には~有り、次に~有り、次に~有り。
  南には狗奴國有り。)

とすれば女王國の南には狗奴國があると読めます。

しかし、この文章は
其南有狗奴國と其南と書いてあるので
其南有狗奴國の前に書いてある次有奴國 此女王境界所盡
の奴國の南としか解釈できません。

日本語(和訳した文章)で確認した方がわかりやすいかも知れません。

女王国より以北は

その戸数、道程,距離は簡略には記載できるが

その他の傍にある国は交流が遠ざかっているので

詳細を得ることはできない(詳しくはわからない)。
 
(そして女王国より北にある国を次有り・・次有り・・と続けて紹介してます、)

次に斯馬国有り。
次に巳百支国有り。
次に伊邪国有り。
次都支国有り。
次に弥奴国有り。
次に好古都国有り。
次に不呼国有り。
次に姐奴国有り。
次に対蘇国有り。
次に蘇奴国有り。
次に呼邑国有り。
次に華奴蘇奴国有り。
次に鬼国有り。
次に為吾国有り。
次に鬼奴国有り。
次に邪馬国有り。
次に躬臣国有り。
次に巴利国有り。
次に支惟国有り。
次に烏奴国有り。
次に奴國有り。ここは女王の境界の尽きる所です。
「その南」には狗奴國があります。

とすれば、「奴國の南に狗奴國有り」
と読みとれます。

「その南」とせず単に

「南」には狗奴國があります。
だと女王國の北には**国有り、南に狗奴國有り
で、「女王國の南には狗奴國有り」と読みとれます。


其(奴國)の南には狗奴國 がある。
と解釈したほうが、自然な解釈です。


そして、次は
(自郡至女王國 萬二千餘里 )
郡より女王国に至る。万二千余里。


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邪馬台国の大研究 其十二 (光正解釈説4)

2018-03-26 13:47:00 | 邪馬台国
自女王國以北
女王国より以北は

其戸數道里可得略載
その戸数、道程,距離は簡略には記載できるが

其餘旁國遠絶
その他の傍らの国は交流が遠ざかっているので

不可得詳
詳細を得ることはできない(詳しくはわからない)。
 
次有斯馬國 
次有巳百支國 
次有伊邪國 
次有都支國 
次有彌奴國 
次有好古都國
次有不呼國 
次有姐奴國
次有對蘇國 
次有蘇奴國 
次有呼邑國 
次有華奴蘇奴國 
次有鬼國 
次有為吾國 
次有鬼奴國 
次有邪馬國
次有躬臣國
次有巴利國 
次有支惟國 
次有烏奴國 


次有奴國 此女王境界所盡


(そして女王国より北にある国を次有り・・次有り・・と続けて紹介してます、)

次に斯馬国有り。
次に巳百支国有り。
次に伊邪国有り。
次都支国有り。
次に弥奴国有り。
次に好古都国有り。
次に不呼国有り。
次に姐奴国有り。
次に対蘇国有り。
次に蘇奴国有り。
次に呼邑国有り。
次に華奴蘇奴国有り。
次に鬼国有り。
次に為吾国有り。
次に鬼奴国有り。
次に邪馬国有り。
次に躬臣国有り。
次に巴利国有り。
次に支惟国有り。
次に烏奴国有り。

次に奴國有り。ここは女王の境界の尽きる所。

この箇所は、女王国(邪馬台国)の北にある(女王国に属してる)国を、
次有り~、次有り~と紹介してます。
そして最後に奴國有りと紹介して、この国は女王の境界の尽きる所と説明してます。


この奴國は 前述に 「東南至奴国 百里」ともあり、

末盧國から東南100里のところにあり、

☆女王国から女王国に属す一番端である。とも書いてあります。


この奴國は2万余戸と記載があるのでかなり大きな国であると思います。




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 邪馬台国の大研究 其十一(光正解釈説3)

2018-03-25 14:43:00 | 邪馬台国
東南陸行 五百里 到伊都國 
「末盧國から東南方向に五百里行くと伊都国に到る。」

東南至奴国 百里 
「末盧國から東南方面は奴国に至る。百里です。」

東行至不彌國 百里 
「末盧國から東に行くと不弥国に至る。百里です。

南至投馬國 水行二十日
「末盧國から南方面に船で20日で投馬国に到ります。
 
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 
「末盧國の南方面は邪馬壱国に至ります。女王の都とする所。
船で十日、陸路で一月です。」


この箇所の水行十日陸行一月を説明します。

この「水行十日陸行一月」を水行十日して、
その次に陸行一月費やして女王国に至ると解釈してる説が多数ありますが、
よく考えて頂ければ、どうしてそのように解釈されるのか判りません。

「水行十日陸行一月」をたとえば、
「水行十日陸行一月」、とか
「水行十日陸行一月」、
「水行十日陸行一月」とかの連動してますよと判る語句が有れば理解できますが、
並列に「水行十日、陸行一月」とだけ書いてあれば
普通は水行なら十日、陸行なら一月かかる、と解釈できます。

中国語学習的に例文を挙げれば、たとえば
坐飞机要一个小时,坐新干线要三个小时。
飛行機なら1時間、新幹線なら3時間

开车去要一个小时,走着去要半天。
車で行けば1時間、歩いて行けば半日(長い時間)かかる
となり、連続して動作してない(連動してない)表現になってます。


なので、この箇所「水行十日陸行一月」は
水行十日更に陸行一月ではなく、

水行なら十日、陸行なら一月

と解釈致します。



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 邪馬台国の大研究 其十 (光正解釈説2)

2018-03-23 17:02:00 | 邪馬台国
この箇所の説明をわかり易くする為にさらに不必要な個所をカットすると下記になります。

東南 到伊都國 
東南至奴国  
至不彌國  
至投馬國
至邪馬壹國

東南は伊都國 
東南は奴国  
東は不彌國  
南は投馬國
南は邪馬壹國

こうすると、わかり易いと思いますが、ただ方向のあとに国名が書かれてるだけです。(並列に書かれてる)

たとえば、其南、又南、次南とかの様に次に繋がる文字が有れば、移動してると理解できますが、上記の並列の書き方で伊都國の次は 奴国に行って、次は  不彌國に行って、次は 投馬國に行って、そして邪馬壹國に行くと解釈するのは不自然です.

どこにも連続(連動)して移動するとわかる言葉が使われていません。
《また、そこから東南に行って、又、そこから今度は東に行って、またそこから南と解釈するには無理があります。》

魏志倭人伝の始めの所で狗邪韓國から対馬国に至る箇所には始度一海と有り、次に対馬国から 
 一大國に至る時は 南渡一海 と又の表示があり、
一大國 から末盧國至る時は 渡一海と又の表示があり、何々して何々とわかりますが、

東南 到伊都國 (東南 に行くと伊都國 )
東南至奴国 (東南は奴国 ) 
東行至不彌國  (東に行けば不彌國  )
南至投馬國(南は投馬國)
南至邪馬壹國(南は邪馬壹國)

この箇所は、ただ単に東南はどこどこ、、
南はどこどこ、とただ文を並列に書いてあるだけで、
どこどこに行って、そこから何処何処を示すことばがない。

そうしたいなら、たとえば、

東南 到伊都國 (東南に行くと 伊都國に到り )
又東南至奴国  (又、東南に行くと奴国)
其東行至不彌國 (其の東に行くと不彌國 ) 
其南至投馬國(其の南に行くと投馬國)
又南至邪馬壹國(又さらに南に行くと邪馬壹國)

という風に書かれていれば移動していることはわかりますが、
この箇所にはその様には書かれていないので、

すべて末盧國からの場所説明になっています。



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 邪馬台国の大研究 其九 (光正解釈説1)

2018-03-22 16:04:00 | 邪馬台国
又渡一海 千餘里 至末盧國から以降の説明をします。

中国船は九州本土の末盧國に現在有ります。
この後の説明は今、中国船がある末盧國が基準点で説明してます。

自動車を運転する方は、大きな交差点で、右に行くと何処何処、左に行くと何処何処、まっすぐ行くと何処何処、斜めに行くと何処何処と書いてある表示板を思い浮かべていただければご理解しやすいと思います。
また、観光地、ハイキングコースなどで岐路がある場合矢印表示で右矢印は至何処何処、左矢印は至何処何処、まっすぐは至何処何処と書いてある道案内の板を思い浮かべると理解しやすいと思います。

東南陸行 五百里 到伊都國 
「(末盧國から)東南方向に五百里行くと伊都国に到る。」


東南至奴国 百里 
「(末盧國から)東南方面は奴国に至る。百里です。」


東行至不彌國 百里 
「(末盧國から)東に行くと不弥国に至る。百里です。


南至投馬國 水行二十日
「(末盧國から)南は、投馬国に至ります。船で20日です。」
 

南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 
「(末盧國の)南は女王の都の所、邪馬壱国に至ります。船で10日、陸路で一月です。


すべて末盧國からの道案内的な説明箇所になってます。

次回、上記部分をさらにご説明します。



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