おやじボクサー(57歳。 19年間ボクシング)   3.11宮城県ボランティア11年間実費参加・『津波』に遭った生き証人

元車椅子。右足首金属ボルト接続。『おやじファイト』優勝。東京での試合は?10戦7勝3引分(39〜44歳)TV放送2回有り

2011年4月11日、月曜日の余震×帰宅

2011年04月11日 23時25分13秒 | 会社関係(仕事・取引先・業界)

月曜日。

 

 

 

 

今日は練習休んで、

真っ直ぐ帰宅しました。

 

 

 

さすがに余震も大きかったし、

余震の頻度も1時間以内の間隔。

 

 

こんな時に、

家族の傍にいなかったら?

万が一後悔することになったら?

そう考えれば、

真っ直ぐ帰宅せずにはいられませんでした。

 

 

 

 

11日の午後5時16分頃。

 

僕は仕事で鉾田市にいました。

 

 

 

 

茨城県内の中でも、

鉾田市が(なぜか?)揺れが一番大きく震度6弱。

 

福島県の浜通りを震源とする大きな地震でした。

 

3月11日でも、

茨城県内では、

鉾田市の地震規模が一番大きかったです(関係あるのかな?)

 

 

 

 

 

予想した通り、

すぐさま、

携帯電話は不通。

 

会社用のdocomoの携帯、

個人用のauも例外なく。

 

 

家族の安否確認も、

肝心の携帯が使えなければ、

改めて「携帯電話」の付加価値が薄れてしまうように感じました。

 

「公衆電話」なんて、

滅多に出会わなくなってしまったし!!!

 

 

 

 

営業車でのラジオのニュースを聞けば、

自宅のある水戸市は震度5弱、

僕がたまたま滞在していた鉾田市よりは小さかったようです。

それだけで安心出来ました、 

連絡はつかなかったけど、

3月11日よりは問題はなかっただろう、

そう思えただけ焦りはありませんでした。

 

 

 

ただ、

子供が怯えたり、

大切な家族が不安に駆られているんじゃないか?

そう思うと居ても経ってもいられない。

 

そんな思いは、

11日と変わりません。

 

 

 

 

また津波警報も出されてたこと。

 

結果的に被害報告も無く解除されましが、

仕事の担当エリア一つで、

また同じ思いを味わう可能性があったのかも知れない・・・・・・・

そう思うと鳥肌が立ちます。

 

 

能天気に、

毎日を過ごしているつもりでも、

なるべく考えないように過ごしているけど、

余震が起こるたびに、

思い出します。

 

勿論、

簡単に忘れられるような光景ではなかったし、

暇さえあれば思い出してしまいます。

 

 

 

 

余震もまだ続くようです、

本震同等の揺れ、

または本震に近い揺れ、

もう一ヶ月も経ったと言うのに、

これ程の揺れに襲われること自体、

厳しい現実を感じます。

 

 

 

明日には、

揺れの規模も頻度も、

もう少し落ち着いてくれると願いたいです!!

良い天気で、

心も温まる空模様を眺めたいです。

 

 

 

 

 

追伸

神奈川県の山田さん、

携帯メールありがとうございました!!!

いつもいつもご心配頂き恐縮です!!

 

 

 



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