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気ままに生活してるシニアの残日録

演劇「ティーファクトリー『4』」を観る

2023年08月15日 | 演劇
テレビで放送されていた演劇、ティーファクトリー『4』(2021年8月あうるすぽっと)を録画して観た。少し前に行われた公演の再放送だ。
 
■作・演出:川村毅 
■音楽:杉浦英治
■出演:今井朋彦 加藤虎ノ介 川口覚 池岡亮介 小林隆
 
ティーファクトリーは劇作家、演出家、俳優の川村毅(64)が2002年に作った自作戯曲上演プロデュースカンパニー。川村毅はその世界では有名な存在で、26才の時、彼が手がけた演劇で岸田國士戯曲賞を受賞するなど数々の実績があるが演劇初心者の私は知らなかった。

今回の演目の『4』は、2010年度世田谷パブリックシアター学芸企画<劇作家の作業場>「モノローグの可能性を探る」というワークショップからスタートし、改稿とリーディングを重ね、2012年白井晃氏演出により初演された。その演出は舞台と観客の垣根を取り除き、観客を当事者として巻き込んだ斬新な演出で話題となった。その後、ニューヨークでの英訳版、コペンハーゲンでのデンマーク語訳リーディング上演、韓国では現地カンパニーによる韓国語版上演がソウル演劇祭他にて上演された。

今回放映された作品「4」は、上記の白井演出版ではなく、川村毅劇作40周年記念事業として劇作家川村自らが初めて演出した新演出だ。だが、2020年5月、上演直前にコロナの緊急事態宣言に伴う劇場休館により上演が延期となり、2021年8月にようやく、あうるすぽっと(劇場の名前)で上演になったものを録画したものだ。

この「4」と言う題名は、登場人物の4名(FOUR)に引っかけてある、実際は4+1だが。

F:裁判員
O:法務大臣
U:刑務官
R:確定死刑囚

劇では、4人の俳優が舞台に出てきてくじ引きをする。そして自分の役割が決まる。そして順番に独白(モノローグ)をする。内容は1人の確定死刑囚Rの死刑執行のことについてだ。裁判員はどうして死刑判決にしたのか、法務大臣は死刑執行認可の書面にハンコを押すのか押さないのか、刑務官はこの死刑囚の執行の前に行った別の死刑囚の死刑執行の失敗のことや、自分の役割について、そして死刑囚は自分に死刑執行をしてほしいのかどうかなど。面白いのは一通り独白が終わると、今度はまたくじ引きをしてFOURの役割の変更をして続きをやると言うもの。

扱っているテーマが重いので、観ていて結局何を言いたいのか、どういう問題提起なのかわかりにくかった。1回観たくらいではわからないのは当然かもしれないが。そして、死刑執行後、最後に+1の男が出てくる。これが死刑囚の父親なのだ。そして父親が独白する。自分も息子を死刑で殺された犠牲者である、と言うようなことを言い、死刑制度のむなしさ、やるせなさ、というようなことを言っているのか。それだけ難しいテーマと言うことだろう。

出演の俳優陣はそれぞれ熱演していた、そして、こんなに長い独白のセリフを暗記するのも大変だろうな、と思った。また、舞台演出であるが、椅子とテーブル、机、死刑囚の座る畳、絞首刑のセットなど非常にシンプルであった。舞台設定より「語り」を重視した演出などであろう。その分、変化に乏しく退屈な印象もした。難しいところだ。

しかし、演劇公演を観ていつも感じるのだが、演劇終了後、カーテンコールで出演者がそろってステージに出てきて「お礼」の挨拶をする時に、なぜ、そろいもそろってしかめっ面をするのだろうか。ほとんどの演劇公演がそうだ。笑顔で手でも振ってもらいたいのだが。


演劇「しびれ雲」を観る

2023年08月12日 | 演劇

2022年11月、本多劇場での演劇公演、KERA・MAP #010 「しびれ雲」をテレビで録画して観た。

大胆な舞台設定と卓越したドラマで劇場空間を操る、日本演劇界の旗手ケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)が劇団以外の活動の場として2001年に始動した“KERA・MAP”シリーズの新作。

KERAは「今回は姑息に笑わせようとか無闇に緊張させようとかいった狙いが全く無い、真っ直ぐで暖かでささやかな群像劇、普遍的な人間の営みを描いていて、登場する人々もどこにでもいる平凡な人達、一方、失われてしまった家族と言う制度とか型みたいなものも描いている、お客さんはどこかしら自分と重ねる部分があるのではないでしょうか」と言っている。

更に「そろそろこうした芝居を作っておきたかった。50代最後に皆で創作できたのは幸せです。なので、リラックスして好きに観てもらいたいと思っています」と述べている。「小津作品に通じるようなものをつくって見たい」とも述べている。

ストーリーは、昭和の初期、ある地方の小さな島(梟島)で、小さなコミュニティがあり、未亡人の波子(緒川たまき)やその妹の千夏(ともさかりえ)、その夫の文吉(萩原聖人)をはじめとした人々が住み、家族、友人、恋人など、それぞれに人間関係を育む人々の日常が繰り広げられている。そんな島に、ある日忽然と謎の記憶喪失の男フジオ(井上芳雄)が現れて・・・

タイトルの「しびれ雲」とは不思議な形をした架空の雲で、島にはしびれ雲が浮かぶと、その日を境に潮目が変わるという言い伝えがある。 登場人物の人生も、しびれ雲をきっかけに変っていく。

2時間半くらいの劇だが、登場人物相互の人間関係を把握するのに時間がかかる、事前に予習しておいた方がわかりやすいだろう。場面転換が何回もあり、退屈させないが、私見ではもうちょっと短い公演時間の方が良いかなと感じた。

出演者では、ともさかりえが良い味を出していたと思うし、その他でも緒川たまき、井上芳雄、萩原聖人などがいい演技をしていたように思えた。なお、緒川たまき(52)は実生活ではKERA夫人であり、KERAが脚本・演出を手がけた作品に多く出演している。ストーリーは若干冗長なところはあったが、最後まで飽きずに観れた。

出演は、

井上芳雄:フジオ(島にやってきたばかりの男)
緒川たまき:石持波子(6年前に夫を亡くした)
ともさかりえ:門崎千夏(波子の妹)
松尾 諭:占部晋太郎(医者)
安澤千草:石持勝子(波子の義理の姉)
菅原永二:縄手万作(ネジ工場で働く)
清水葉月:縄手やよい(万作の妹)
富田望生:石持富子(波子の娘)
尾方宣久:菊池柿造(バーの経営者)
森 準人:石持伸男(勝子の息子)
石住昭彦:石持一男(伸男の祖父)
三宅弘城:佐久間一介(ケーキ屋)
三上市朗:石持竹男(勝子の夫、伸男の父)
萩原聖人:門崎文吉(千夏の夫)

作・演出
ケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA、60才)


劇団温泉ドラゴン公演「悼、灯、斉藤(とう、とう、さいとう)」を観る

2023年04月19日 | 演劇

テレビの劇団温泉ドラゴン公演「悼、灯、斉藤(とう、とう、さいとう)」を録画して観た。2023年2月の東京芸術劇場シアターイーストでの公演。

【作】原田ゆう(温泉ドラゴン、45)
【演出】シライケイタ(温泉ドラゴン、48)

番組の説明では、劇団ドラゴンは2010年結成、現在5人のメンバーで活動している、原田ゆうは2016年から温泉ドラゴンに加入、2022年には文学座から依頼を受け文学座の分裂騒動を描いた戯曲「文、分、異聞」を書く、今回の作品は彼の母が2020年に突然亡くなり葬儀に追われながらも俯瞰的にその状況を見ているところがあり、その時に起きた出来事とか感じたことなどが作品になると思って脚本を書いたと述べている。

演出のシライケイタは演出家、劇作家、俳優としていろんな団体の演出を手がけてきた実績がある、2022年だけでも演出家として劇団民藝「ルナサに踊る」、青年劇場「殺意」を手がけ、劇作家として劇団青年座「ある王妃の死」、結城座「変身」のために脚本を書いた。


【出演】
阪本篤(温泉ドラゴン、三男和睦なごむ)
筑波竜一(温泉ドラゴン、長男倫夫みちお)
いわいのふ健(温泉ドラゴン、次男周二)
大森博史(父親吾郎)、大西多摩恵(母親佳子)、林田麻里(泰菜)、宮下今日子(奈美恵)、枝元萌(小田切萌)、東谷英人、山﨑将平、遊佐明史

物語は、2020年6月、母の急死で5年ぶりに実家に集結した斉藤家3兄第。喧嘩をしたりいがみ合いながらも諸々の手続きを進めていく中で互いの思いを知り、絆を紡ぎなおしていく姿を描くもの。

長男は料理店を始めたが失敗し6ヶ月前から仕事をしていない、妻の働きで生計を立てる、次男は安サラリーマンで妻はダンサーだがコロナで収入が激減、三男は独身で売れない映画ライターで金がない。父親は年金生活、母親は年金をもらっているが介護施設で働いている。そんな中で、深夜勤務をしていた母が勤務中に倒れてなくなってしまう。

親兄弟それぞれいろんな問題点を抱えているが当面必要な葬儀代、お墓代などの工面をどうするかで悩む、母が生命保険に入っていた筈だた保険証が出てこないなど混乱する。そんな状況で母が生前、父とどんな会話をしていたのかと言う場面がフラッシュバックするように再現される。この場面転換、時間の逆戻りの演出がうまかった。一瞬、舞台が暗くなり、その間に場面転換がなされるのはうまい仕掛けだと思った。演出家の工夫であろう。この場面転換が何回もあったが違和感を覚えなかった。

劇では両親、兄弟のそれぞれの抱えている問題をじっくりと語らせて物語が進行していく、段々とその状況が観客の理解するところとなる。そして最後の方になると子供思いの母の秘密が明らかにされていき、兄弟を感動させ、観客も感動する。親兄弟お互いにそれぞれの置かれている状況や今までの人生の経過を知り理解を深めていく。なかなかうまい脚本だと思った。

出演者の中では大森博史(父親吾郎役)が良い味を出していたように思う。渋い演技が目立った。

 


演劇「ハムレット」を鑑賞する

2023年03月20日 | 演劇

世田谷パブリックシアターの公演「ハムレット」を観てきた。3階のA席、5,500円。中央やや右だが舞台は全部欠けずに見え問題ない。今日は2階、3階席の脇の席に空きが目立った。当日券も販売していた。客層は圧倒的に40才くらいまでの若い女性であった。人気俳優が出ているためかシェークスピアが好きなためか。

私はシェークスピアの戯曲は好きだが、ハムレットは必ずしも好きではない、なぜかあまり面白みを感じないのだ。先王の弟グローディアスに対する怒り、先王の死後その弟とすぐに再婚した母への怒り、というのはわかるが、そこから先の彼の行動がどうも今ひとつ理解できない。ハムレットになった気持ちで思わず劇を観てしまう、という感じにならない。福田恆存氏の言うように優柔不断に見えて一つ芯が通っているのだろうが、まだ読み込みがまだ足りないのだろう、よくわからない。

さて、今回の中心となった役者について観た感想を述べてみよう。

  • 野村裕基(ハムレット)・・・・まあまあ頑張っていた、役柄と役者のイメージは一致していた
  • 藤間爽子(オフェーリア)・・・・同上
  • 野村萬斎(亡き父王の亡霊と、叔父王クローディアス)・・・・彼は役柄とイメージが一致していないと思った。萬斎はスリムでギラギラしたところがない。権力欲が強く、女好きなクローディアスのイメージに一致しない、この役はやはりちょっと太っていて精力絶倫のイメージが出せる役者がいい、以前、国村隼のクローディアスを観たが最高にはまっていた、ただ、萬斎は好きな俳優だ、映画「のぼうの城」や「七つの会議」の萬斎はよかった
  • 若村麻由美(ガートルード)・・・・これはぴったりはまっていた、やはりガードルードは美人の中年女でないとイメージと一致しない、若村はぴったりだ

舞台の演出は可も無く不可も無く、役者のせりふも大声で叫んでいるようなしゃべり方ではなく、まあまあだった。この劇場がおそらくイギリスのシェークスピア劇場(グローブ座)をイメージしてできた演劇専用の劇場だから声の通りが良いのかもしれない。

さて、この劇の翻訳だが、河合祥一郎氏だ。ウィキペディアをみると、シェークスピアの専門家で翻訳を多く手がけている方だ。祖母の大叔父がシェイクスピア戯曲を初めて全訳した坪内逍遙である。ハムレット訳では、有名だが実は誰も翻訳で使ったことのない「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」を用いたと。ちなみに福田恆存氏の訳は「生か、死か、それが問題だ」と訳されている。福田氏の「ハムレット(新潮文庫)」の解説を読むと、専門家間でどう翻訳すべきかの相互批判があるようである。福田氏は舞台の上演を前提に意訳しているが、批判者は書いてあるとおり翻訳すべきで福田氏は意訳に過ぎると指摘しているようだ。どちらの言い分に納得できるかまで勉強していないが、この世界も興味深いものだ。

14時開演、休憩を挟んで、17時30分終演、3時間半はちょっとキツく感じたが座席(シート)は座りやすかった。

【作】W.シェイクスピア
【翻訳】河合祥一郎(63)
【構成・演出】野村萬斎(56)

【出演】
野村裕基(ハムレット)
岡本圭人(オフィーリアの兄・レアーティーズと、廷臣ローゼンクランツの二役)
藤間爽子(さわこ、28、オフェーリア) ※三代目藤間 紫、祖母は初代藤間 紫
釆澤靖起(うねざわ やすゆき、39、ホレイシオ)
村田雄浩(ポローニアス)
河原崎國太郎(旅芸人一座の座長)
若村麻由美(56、ガートルード)
野村萬斎(亡き父王の亡霊と、叔父王クローディアス)

 


演劇「リチャード三世」を観る

2023年03月13日 | 演劇

BSテレビで放映された「リチャード三世」を録画して観た。この放送は再放送で自分も2度目の鑑賞である。2017年の池袋芸術劇場での公演。

作:ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:木下順二(2006年、92才没)
演出・上演台本:シルヴィウ・プルカレーテ(ルーマニア、72)

演出家のプルカレーテは演劇界を代表する演出家だそうだが、演劇初心者の自分は知らなかった、日本でも佐々木蔵之介の出演する劇などの演出を多く手がけているようだ。この作品では斬新な演出と音楽、美術、衣装に新たなアイディアが盛り込まれていると説明されている。番組のインタビューで彼は、この作品は人間の本性に関わる事柄「悪徳」というものを描いている、彼は佐々木に対して毎回シチュエーションやシーンに対する解釈の提案をし、佐々木はそれを正確に理解しようとしただけ、と述べている。あれこれを、どう演じるべきかとは決して言わなかった、様々なシチュエーションのメカニズムを説明しただけと説明している

あらすじは、エドワード四世の治世が出現したが、弟で、せむしでびっこのグロスター公(後のリチャード三世)はその王位を奪うために兄、エドワードとその子ども、前王の子どもらを次々と死に追いやり、殺し、ついに王位を簒奪する。が、配下のバッキンガム公や身内の呪い、復讐により破滅する。新潮文庫のリチャード三世の翻訳を手がけた福田恆存氏の解説によれば、この劇は歴史劇であり、復讐劇であるが単なる復讐劇ではない、呪いの儀式である、自分だけは運命の手から逃れていると誰よりもそう思っていたチリャード、他人の運命も操れると思っていたリチャードが最後に最も完璧に自己の破滅を通して運命の存在証明になる、としている

観ての感想を述べてみよう

  • プルカレーテの演出であるが、サクスフォンを吹く人が舞台に出て演奏したり、マイクや拡声器を使ったり、出演者に結構派手目の化粧をしたりと奇想天外なところがあるが一線は越えていないように思う、また、これは最近の演劇の傾向なのかもしれないが、場面の説明について代書人が進行役・説明役になったり、アナウンスがト書きのように流れたりしていた、福田氏の説明だと場面の説明も通常のせりふの中で行うことが昔の演劇では当たり前であったので役者は結構せりふに苦労したが、現代はその点が昔とは変ったのか
  • 上演台本もプルカレーテだが、シェイクスピアの原作(福田氏訳)では最後にリチャード三世がリッチモンド公などとの戦いで戦死となっているが、この上演台本ではピストルを渡されて自死するとなっていた、それはどうしてか、わからなかった
  • プルカレーテのインタビューを聞くと、彼の演出スタンスは福田氏が批判しているところの「演出家中心主義」ではないことがわかるが、福田氏が重視していた「演劇はせりふがすべて」という点では、肝心のせりふが聞きとりづらいところが多かったのは残念だ、これは福田氏が指摘するように海外ものの翻訳のせいかもしれない、これが海外物の難しさかもしれない、オペラでは原語上演+字幕が多いが、演劇の場合にはそれが難しいのかもしれない。日本語上演だが、わかりにくい部分だけ字幕をつけるという対応もあると思うが如何であろうか(確か先日観た「天国と地獄」がそうだったらしい)。また、プルカレーテも日本語がわからないので、この大事なせりふということについてどういう指示を出していたのか、出せたのか、知りたいところだ。
  • この劇の翻訳は木下順二氏(1914年~2006年、92才没)である。ウィキペディアで調べてみると、劇作家、評論家であり、東京帝大文学部英文科ではシェイクスピアを専攻、シェイクスピア翻訳をライフワークにしていた、著名な進歩的文化人であり日本共産党のシンパ、日本芸術院会員・東京都名誉都民に選ばれたが辞退した、国家的名誉は受けないとの考え。ガチガチの左派だ。著作や業績を見ると演劇界、言論界の大御所といったところだ。
  • 同じシェークスピア翻訳家でも先日読んだ「演劇論」の著者の福田恆存氏(1912年~1994年、82才没)は木下氏とは正反対の政治的スタンスの人だから面白い。シェークスピアの翻訳はこのほか松尾和子氏なども含めていろんな人が手がけているが福田氏は「演劇入門」で「翻訳上演となれば、その翻訳が重大な問題になるはずだが、それは完全に無視された、誤訳、拙訳が大手を振ってまかり通ったのである、それは今でも変わりない」と述べている、翻訳家の小田島雄志氏のマクベスの翻訳を例にとり、「英文和訳に近い説明的な文章としか言い様がなく、マクベス夫人の緊張と興奮を伝えていない」と批判を加えている。福田氏が指摘する誤訳、拙訳の対象に木下氏が入っているのかどうかは名指ししていないのでわからないが、存命中、大御所同士の対談などがあったのか、そうだったら是非聞いてみたいものだ。
  • ところで、翻訳劇の場合、誰の翻訳を使うのかを誰が決めるのだろう。

 

主な出演

佐々木蔵之介(リチャード3世)
手塚とおる (アン夫人)
今井朋彦 (マーガレット)
植本純米(エリザベス)
長谷川朝晴 (クラレンス公ジョージ)
山中崇(バッキンガム公)
阿南健治(エドワード4世)
壤晴彦(ヨーク公夫人)
渡辺美佐子(代書人)


彩の国シェイクスピア・シリーズ「ジョン王」を観る

2023年02月26日 | 演劇

埼玉会館でシェークスピアの演劇「ジョン王」を観た。今日の席は2階の前の方、A席で9,000円。ほぼ満席に見えたが当日券も発売していたので満員御礼ではないのだろう。彩の国シェイクスピア・シリーズは25年目になり、全37演目を手がける、故蜷川幸雄氏が芸術監督を務めて始まった、今回のジョン王で最後、今日は最後の最終日だった。その意味で記念すべき日に観劇できたということになる。

キャスト等は

フィリップ・ザ・バスタード(小栗 旬):ジョン王の兄リチャード獅子心王の私生児。
ジョン王(𠮷田鋼太郎):イングランド王、残忍で優柔不断な男。
皇太后エリナー(中村京蔵):亡きヘンリー2世の妃でジョン王の母。
コンスタンス夫人(玉置玲央):幼きアーサーの母。アーサーを王にするためフランスを頼る。
ルイ皇太子(白石隼也):フランス王の息子。冷静な野心家。
ヒューバート(高橋 努):ジョン王の腹心。ジョン王の命でアーサーを殺そうとする。           
ブランシェ(植本純米):ジョン王の姪でスペインの王女。ルイ皇太子と結婚する。
フィリップ2世(櫻井章善):フランス王。正当な王位継承者アーサーを支持しジョン王と戦う。

上演台本、演出:吉田鋼太郎

あらすじは以前のブログ参照こちら

キャストで特徴的なところを一つ、女性役3役(皇太后、ブランシュ、コンスタンス)を男性キャストで実施したためオールメールキャストになった点がある、𠮷田の解説によると、この3人の女性は「モーレツな女性」であるため、ということらしい

舞台を観ての感想

  • 役者が皆、熱意を持ってやっているのは伝わってきた
  • 日本の演劇を観て感ずるところだが、俳優が常に大声で怒鳴っているように話すのはどういうわけか、会場が比較的大きいので通常の話し方では聞こえないことを意識しているのか、常に大声でまくし立てているところを聞かされると聞いてる方も疲れる、何とかならないか
  • 大きな声で話すのと同時に、話すスピードが速すぎないか、聞き取りづらい
  • 上演中の写真撮影を禁止するのは当然だが、上演前やカーテンコール時には写真撮影許可してほしい、世界的に見てもオペラなどでもカーテンコール時に写真撮影を認めるところが出てきているので、そのような取組みはファンサービスとして積極的に取り入れてほしい、ファンが撮影した写真をSNSに使ってくれれば宣伝にもなるので劇場や俳優にもメリットが大きいのでは
  • 演劇中、ジョン王や私生児が歌を歌う場面があったがなんだかミュージカルか宝塚でも観ている感じがした、演劇は言葉だけでやるものではないのか、なぜ歌わないといけないのか

客層であるが、ほとんど女性だったのには驚いた、9割以上か。小栗旬効果か。ホワイエで写真か何か知らないが売っていたところにそれを求める女性たちの長い行列があった。

 


「人間ぎらい~メランコリックな恋人 喜劇5幕~」を観る

2023年01月18日 | 演劇

NHKのプレミアムステージで放映されたモリエール原作の「人間ぎらい」を観た。プレミアムステージは毎月1回、演劇公演を2演目放映する番組で、ここ2、3年演劇に興味がでて毎回録画して見るようにしている。この「人間ぎらい」は1月8日に放映されたもの。

モリエール(1622-1673、仏の劇作家)の本は恥ずかしながら今まで全然読んでこなかったが昨年11月東京芸術劇場で上演された「守銭奴」を見に行った際に、事前に原作を読み興味が持てる作家だと感じたので、今回のプログラムを見て早速観劇することにした。公演が行われた2022年はモリエール生誕400周年だ。

番組の解説によれば、モリエールは人間の誰もが持っている虚栄心や偽善的な心を繊細に描いた数々の喜劇を世に送り出した、「人間ぎらい」は17世紀のフランスの貴族階級の人間模様を鮮やかに描き出していく、主人公のアルセストはお世辞やおべっかが大嫌いで自分が思ってきたことは正直に相手に伝えてきた、友人のフィラントは正直過ぎるアルセストの生き方を心配するが耳を貸さない、アルセストの恋の相手セリメーヌは自分に好意を寄せる人に対しては誰にでも愛想良く振る舞う、アルセストはセリメールの八方美人的な性格に苛立つが彼女への恋心は変わらない、アルセストは自分の信念に従いある決心をするが・・・と説明されている。

演出の五戸真理枝(文学座)はTVのインタビューで「人間ぎらいは学生時代にタイトルに惹かれ、アルセストの世の中への批判について共感し、かつ、救われずに終わるところが笑えた、泣けてきた」と話している。五戸は今まで多くの作品の演出を手がけているとのこと。また、主演の采澤は「現実の演劇の世界でも自分があまり良い印象を持たなかった作品でもお世辞を言ったりしている自分がある」と「人間ぎらい」の魅力について聞かれてこう答えている。

結末に救いが無いのはフランス映画ではよく見るのだが、演劇でもそうなんだ。世の中少し斜めに見て皮肉り、一つのことで思い詰めないし、思い詰める人間を皮肉る、こういった私が見るフランス人の特徴は、マスコミ誘導により常に世論が一つになりやすい日本人としても大いに参考にすべきだと思う。

なお、舞台に設置してある黄色い三角の小舞台と階段が何を意味しているのかわからなかった。

<スタッフ>
作:モリエール
翻訳:北 則昭(新訳)
演出:五戸 真理枝

<出演者>
釆澤 靖起(文学座) アルセスト:五戸とは2回目の共演
那須 凜(青年座) セリメール:五戸とは初めての共演
齊藤 尊史(民藝) フィラント
真那胡 敬二(アンティーヌ) オロント
小川 碧水(フリー) エリアント
頼経 明子(文学座) アルシノエ
平尾 仁(青年座) アカスト
斉藤 祐一(文学座) クリタンドル