ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

映画「かがみの孤城」を観る

2024年02月29日 | 映画

テレビで放送された映画「かがみの孤城」を観た。2022年制作、監督原憲一、原作辻村深月。

直木賞受賞作家の辻村深月の同名の小説を劇場アニメ化したものである。日頃アニメはあまり見ないが、何かで読んでこの映画の評価の高いことを知り、観てみようとなった。

この映画の主人公は中学生の女生徒、こころ。学校で同じ女子生徒からいじめられ登校がいやになり自宅で過ごす日々が続いていた。

ある日、部屋にある鏡が突然光を放ち始め、その鏡に吸い込まれるように入っていくと、そこは別世界、湖の中にそびえたつ城の中であった。そこには同年代の男女6人がいた。小さい少女でオオカミの仮面をかぶった「オオカミ様」が出てきて7名の中学生に対して「この城の中に一つのカギが隠されている、それを一定の期限まで探し出した人は願いがかなえられる」と言う。

7名の中学生たちは戸惑う、願いなんかないよ、などと言ってカギを探そうとしないが、一緒に過ごす間にお互いのおかれた境遇がだんだんとわかってきて、みんな同じような悩みを抱えていることがわかってくると、仲良くなっていき、最後には・・・・

見終わってみるとなかなかよくできたストーリーだと感心した。いま、学校のいじめというのは一つの切実な問題で、子供や生徒がいじめで苦しんでいるとき、先生や親たちがどう対応すべきか、それを真剣に考えてないからこそ、最後に子供が自殺してしまうなどの悲劇が繰り返されるのだろう。そういった現状に対する取り組み方について一つの問題提起をしているのが原作であり、この映画なんでしょう。

自分の子供はそういうことはなかったので良かったものの、もし子供が登校拒否をしたらどう対応しただろうか考えさせられる。仕事で忙しくとても構っていられないから子供のことは妻に押し付ける、学校に文句を言えなどと言ったかもしれないし、自分だったら子供と向き合って状況をわかってあげようとしただろうか、などと考えてしまう。

学校に限らず、日本社会の中ではいまだにイジメ的なハラスメントが横行している。今朝も宝塚の問題がニュースに出てる。どうしてそうなるのかといえばいろいろ原因はあるだろうが、一つはこのアニメの中でも触れられているように、学校や会社や組織から抜け出すのが必ずしも容易ではないということだろう。軍隊などもそうだ。そういう状況では陰湿なことが起こりやすい。いやなら逃げる、それができるようになればいいのだが。それ以外にも、被害者が声を上げやすい雰囲気、周りが見て見ぬふりをしないことも大事かもしれない。

いずれにしても親や組織の上に立つ者がいかに感度をあげて気づいて、子供に寄り添ってあげるかが大事そうだが、これが簡単そうで難しいかもしれない。普段、普通にコミュニケーションが取れてる先生と生徒、親子ならそれもできようが、そうでないと急に寄り添えと言っても・・・。子供がいじめられた経験を持つ人が現在悩む親や指導者に助言したり、いじめを克服した人が自ら指導的立場になりアドバイスすることも効果的かもしれない。この物語の最後の方ではそういったことも大変うまいストーリーで描き出しているのが素晴らしいと感じた。

さて、この映画について、アニメの絵の制作者は特定の作家ではないようだが、街の景色や家の中などテレビを見ているのとほとんど変わらないほどのリアル感があった。素晴らしい技術だ。ただ、個人的な好みとしては主人公のこころの顔がどうもありきたり過ぎてどうかな、と思った。アニメで女子中学生と言ったら大体どのアニメでも同じような顔になっているような気がするのだがどうだろうか。

良い映画でした。


吉祥寺「いせや」の焼き鳥で「焼き鳥丼」を作る

2024年02月28日 | グルメ

吉祥寺のいせや総本店の焼き鳥を買って焼き鳥丼を作って食べたくなった。この店はよく知っており、最近はたまに吉祥寺に行った際、テイクアウトで買って帰ることがある。先月来た時、買いに行ったらその日はどういうわけか混んでいて焼くのに40分くらい時間がかかると言われてあきらめた。

12時から開店なので今回は吉祥寺でランチを食べた後すぐに行ってみた。南口のロンロンの一番端の出口から出て交差点の信号を渡ってすぐだ。さすがにこの時間はすいていてすぐにできそうだ。立ち飲みのカウンター横のところに注文する伝票がおいてあり、その伝票に今日買える焼き鳥の種類が印刷してある。そこに種類ごとに買う本数と塩かタレかの区別を書き込む。焼いているお兄さんに渡すとその場ですぐに支払いして番号札をもらい呼ばれるのを待つ。

この時間から既に飲んでいる人がいる。私は昼間からは飲まないが、たまには明るいうちから飲むのも悪くないだろう。1階と2階には座って飲むところもある。焼き鳥を焼く煙がもくもくと外に出るのがまた風情があって良い。

今日はたれの焼き鳥を10本くらい注文した。いくらだったか忘れたが1本100円くらいだ、安くてうまいよ、ここの焼き鳥は。焼き鳥丼はやはりタレで食べるのがおいしいのは実験済みだ。必ず買うのは、つくね、ネギ、手羽先、レバー、皮、シロで、あれば必ず買い、後は適当に注文する。焼きあがると紙の袋に入れて密封し、それをレジ袋に入れてくれる。

さて、自宅に帰り、嫁さんに作ってもらうのだが、ご飯をどんぶりによそり、その上に海苔を手で刻んでまぶす、とりそぼろがあればそれを少し乗せるが今日はないので省略、そこにレンジで温めた焼き鳥を串からとって盛り付ける、そして最後に焼き鳥が入っていた袋にたまっていたタレをかける。これで完成だ。家にシシトウがあればそれを乗せれば完璧である。

焼き鳥が2本分余ったので、酒のつまみにとし、寶の缶チューハイで流し込み、そして焼き鳥丼を食べた。おいしかった。素人でも簡単にできるレシピなので試してみる価値はあるでしょう。

ごちそうさまでした。


映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」を観た

2024年02月27日 | 映画

柏のキネマ旬報シアターで映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」を見た、1,600円。1991年、制作は米・独・仏・日本、監督ジム・ジャームッシュ(米、71)、原題Night on Earth。日本が制作国に入っているのに驚く。映画の冒頭とエンドロールで日本人の名前が何名か出てきたが詳しく見れなかった。ジム・ジャームッシュ監督作品では「ダウン・バイ・ロー」を観たことがある。

ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキを舞台に、タクシードライバーと乗客の人間模様を描くオムニバス映画。物語はすべて同じ日の夜10時から翌朝6時くらいまでの間の話となっており、舞台は夜の街がほとんどである。地球という同じ星の、同じ夜空の下で繰り広げられる、それぞれ異なるストーリーを描くためNight on Earthという原題になったのだろう。

ロサンゼルス

若い女性タクシー運転手コーキー(ウィノナ・ライダー)は、空港で偶然出会った映画のキャスティング・ディレクターの女性ヴィクトリア(ジーナ・ローランズ)を乗せる。運転しながらタバコを吸ったりガムをかんだりしてだらしない感じだが仕事はしっかりやるキュートなコーキーに可能性を感じたヴィクトリアは映画に出演しないかと持ち掛けるがコーキーは断る

ニューヨーク

寒い夜の街角で、黒人のヨーヨー(ジャンカルロ・エスポジート)はブルックリンへ帰るためタクシーをようやく捕まえると運転手は東ドイツから来たばかりの英語も運転も下手なヘルムート。途中でヨーヨーは、金は払うから自分にタクシーを運転させろと言い自宅まで行く、帰りのタクシーを心配そうに見送るヨーヨーだったが・・・

パリ

黒人乗客2人の態度に腹を立てたコートジボワール移民のタクシー運転手は、自分を見下す2人に怒って途中下車させる。次に若い盲目の女(ベアトリス・ダル)を乗せる。当初、運転手は気が強く態度の大きい女にいらだつが、女性が自分以上に鋭い感覚を持ち物事の本質が的確に見えているように思え、今度は自分が盲目の彼女を見下していたことに気づく

ローマ

1人で無線相手にうるさく話しかけるタクシー運転手ジーノ(ロベルト・ベニーニ)は神父らしき客を乗せるが、自分は神父ではないと言う。ジーノは勝手に懺悔し始めるが、その内容はくだらないハレンチな話ばかり。客は心臓が悪く薬を飲もうとするが、ジーノの乱暴な運転のせいで薬を落としてしまう。仕方なく我慢してジーノの懺悔を聞き続けるうちに亡くなってしまう

ヘルシンキ

雪が積もった街で無線連絡を受けたタクシー運転手ミカ(マッティ・ペロンパー)。待っていたのは酔った3人の労働者風の男。その中の1人アキは酔い潰れていて車に乗ってからも眠っているが、残る2人は今日がアキにとってどれほど不幸な1日かを語り始める。しかし、運転手のミカは「不幸はそれだけか」と客に聞く。むっとした客は、じゃあお前はどんなに不幸なのかと聞かれてミカが話し始めると・・・

それぞれの話が深く考えさせるものとなっている、そして舞台がパリやローマ、ヘルシンキになると、それぞれの国の言葉になり、俳優もそれぞれ国の俳優を使っている。舞台となった都市の景観も実によく考えられた場所で、画面を見ればすぐに「あーあの都市か」とイメージできるようなところで、現地の雰囲気がよく伝わってきた。

ストーリーはすべてタクシードライバーの絡んだもので、そのタクシードライバーが主役となっている。そして客を乗せるのは最初の話は昼間だが、目的地に着くころは夜になり、最後のタクシーは夜中に客を乗せ目的地に着いたときはうっすらと夜が明ける時間となっている。映画の冒頭に5か所の時計が並んで壁にかけてあり、それぞれの国の今の時間が示されている、その一つ一つについて順番に物語を見せ、時間が進んでいく、といううまい設定となっている。5つのストーリーを観て、自分はロス、ニューヨーク、パリ、ヘルシンキの4つのストーリーが良い話だなと感じた。

5か所の舞台が出てくるが日本がないのが残念である。アメリカが2か所なのでもう1か所はアジアの日本から選んでほしかった。

最後の舞台のフィンランドで運転手がミカ、不幸な客がアキとなっているのはフィンランドのカウリスマキ兄弟に敬意を表しての命名か。北欧の街の雰囲気がよく出ていて非常に良かった。

楽しめた映画でした。

 

 


吉祥寺の「Funky」でランチ

2024年02月26日 | カフェ・喫茶店

吉祥寺の「Bar and Kitchen Funky」で昼食を取った。初訪問。この店は1960年からある老舗のジャズ喫茶・バーだ、吉祥寺にはよく行くが知らなかった。ホームページを見るとサムタイムと同じ経営のようだ。

場所はパルコの向かい、油そばで有名な「ぶぶか」の左隣り、目立たないところにある。外から見るとそれとはわからないが、ランチの案内が出ているので喫茶店かレストランかというのはわかる。

ランチメニューがあるようなので入ってみた。開店して間もなくまだ客が入っていないところに入り、どこでも好きなところにと案内され4人掛けのテーブル席に一人座る。ランチメニューの中から「パテ‣ド・カンパーニュのランチプレート」1,380円を注文。スパゲッティも2種類あったがソースの内容がイメージできなかったのでランチプレートにした。飲み物付きでアールグレイの紅茶を選択、お替り無料。

店内はカウンター席もあり、カウンターの上にはウィスキーなどのお酒も並んでいる。夜になるとジャズバーになるのでお酒を置いてあるのだろう。写真OKとのことなので撮っていると、写真撮りたいならスピーカーがある2階で食べてはどうかと言われ、それならせっかくなので2階に移動。

2階には突き当りの壁にはJBL社の名機といわれるスピーカー「パラゴン」が設置してあり、LPレコードをBGMとして流している。ちょうどノラジョーンズの「カム・アウェイ・ウィズ・ミー」が流れていた。アルバムジャケットがスピーカー横に出してある。

このパラゴンというスピーカーは店のHPによれば「製造には高い技術を持つ木工職人が必要で、一つひとつが全て職人の手作業で制作されていたそうです。JBL社においてただ一人残った職人は、なんと日本人。誰でも制作出来るわけではなく、この最後の職人が引退した1983年にパラゴンの製造が終了、1957年から1983年までに約1,000台しか製造されていません。現在はジャズ喫茶を中心に、その音色を聴ける場所は希少となっています」と解説されている。そういう話を聞くと直ぐに修理用の部品の製造もやっていないだろうから壊れたらどう修理するのだろうと心配してしまう。

2階にもカウンターがあり、お酒がずらっと並んでいる。そして2階の天井は丸くくりぬかれた大きな空間があり、3階の一部が見える。3階にはLPレコードのライブラリなどがあるそうだ。店内の雰囲気は大変良い感じで、夜になればさらに最高の雰囲気になるだろう。

さて、食事のワンプレートで出てきた。大き目のパテと野菜、小さいパンが一つ盛り付けてあるヘルシーなもの。女性向きのメニューだと思ったが、太り気味だからちょうどいい。紅茶を飲みながらおいしく頂いた。紅茶のポットもカップもなかなか凝ったものだったし、味もおいしくお替りをした。

お客さんが何組か入っていたが、ゆっくりしていってくださいと言われたので40分くらいいただろうか、おいしく頂いて店を後にした。

ごちそうさまでした。


JGMやさと石岡ゴルフクラブでゴルフ

2024年02月25日 | ゴルフ

茨城県石岡市のJGMやさと石岡ゴルフクラブに行ってきた。初訪問。千代田石岡インターからすぐの便利な場所にあるためか茨城県の中では高い価格設定のため敬遠していたコースだったが、安いプランが出たので一度行ってみようと思って今回訪問した。費用は二人で20,000円。天気は曇りだが寒さはそれほどでもなかった。

JGMグループのコースは笠間とか宇都宮に行ったことがあるが、ナビ付リモコンカートでコースはワングリーン。笠間も宇都宮もいいコースだと思うので期待して行った。

このコースは、当初、八郷CCから東通ロイヤルCC、やさと国際ゴルフ倶楽部と経営母体が変わる都度コースの名前も変わってきた。

コースは広々しており、アップダウンもあまりない。小高い山の中腹を切り開いて造成したものだが、それを感じさせないコースづくりのうまさがあると思った。そして何より、このコースの一番の特徴は、筑波山が見えるホールが多いという展望の良さだ。これはコース設計のうまさだろう。そして、クラブハウス前の練習グリーンからは上りの9番、18番ホールが見えるのもいい感じだと思った。


アウト7番、右ドッグレッグのミドル、セカンド地点に行く途中から

各ホールはティーショットでプレシャーがかかる狭いホールはあまりない。あえて言えば、アウトの7番、右ドッグレッグのミドルホールとインの17番、落としどころにクリークが横切る打ちおろしのミドルホールが特徴があったが、面白いホールだ。


17番打ち下ろしのミドル、クリーク越えは240ヤード、クリーク越えもきざみもどちらも難しい

昼食はレストランでちゃんぽん麺、嫁さんは石焼ビビンバを食べたが両方ともおいしかった。注文はタブレットでありこの点は評価できる。

ただ、改善してもらいたい点もあった

  • プレーの進行については各ホールとも渋滞気味でハーフで2時間半かかった
  • 一部のティーグラウンドで人工芝が使われていた
  • ほとんどすべてのバンカーの砂が硬かった
  • ハーフ終了後レストランで昼食を取ろうとすると先客の食べ終わったあとをかたずけないまま放置しているテーブルだらけで端の方の席しか空いてなかった

楽しくラウンドできた一日でした。


吉田秀和「音楽のよろこび」を読む

2024年02月24日 | 読書

吉田秀和「音楽のよろこび」(河出書房新社)を読んだ。氏の本は何冊か持っているが、この本は最近本屋で偶然見つけて面白そうだったので買ってみたものだ。

この本は氏が指揮者、文学者、作曲家などクラシック音楽に造詣の深い人たちと雑誌の企画などで対談したときの対談集である。巻末の初出一覧を見ると1955年から2011年までに行われた12の対談であり、古いものもあるが内容的には今に通用する議論が多いと思った。

対談の相手を記せば

中島健蔵(フランス文学者、文芸評論家)
平島正郎(音楽学者、明治学院大学教授)
遠山一行(音楽評論家、東京文化会館館長)
園田高弘(ピアニスト)
高城重射(オーディオ評論家、音楽評論家)
斉藤義孝(ピアノ調律師)
藤原義江(オペラ歌手、(声楽家)
若杉 弘(指揮者)
柴田南雄(作曲家、音楽評論家)
武満 徹(作曲家)
堀江敏幸(作家、フランス文学者)

吉田氏や対談相手の各氏は音楽に関係した仕事のプロであり、私にとっては内容的にかなり難しい議論も多く、読むにはある程度の知識が必要だ。また、対談の内容は単に音楽に関するものにとどまらず、文化論的な話にもしばし及ぶなど広範囲であり参考になった。むしろ読んで参考になったのはそちらのほうの議論であった。

そこで、そう言った部分を中心に参考になったところを少し書いてみたい。そして自分が感じたことをコメントとして書きたい。

  • 日本人が(海外の演奏家から)学ぶべきことは、とにかく演奏家が個性を持っているということ、これが実は大きなこと(中島p10)
  • 金持ちでこういうことに(音楽)に金をまく人がふえるといい、ところが美術では松方コレクションとか、大倉とか、いるけど音楽にはどうして金が出ないのだろうね(吉田p20)
  • 日本では新しいものというと、前のものをやめて新しいものをということになる、つまり革命ですよ、しかしヨーロッパでは、せいぜい進化だ、つまり前のものとの関係を全然断ち切ってしまうなんてことはない、新しいものだから良いというのはヨーロッパには通じないし、それが本物だと思い、そうでなければならないと考えています。文明というのは新しく変えなければならんと考えて、いつも日進月歩しているのは日本だけじゃないか、日本は古いものを徹底的にやっつけてしまう、古い、すなわち良くない、新しい、即ち良い、日本ではとかくそうです(吉田p69)
    (コメント)その通りだと思う、明治維新では江戸の幕藩体制を否定した、昭和の敗戦後は戦前を軍国主義として否定した、その単純な発想が非常に危険だと思う。物事を単純化して黒か白かと決めつける発想から抜け出すことが日本の知的水準の向上のために必要だろう、吉田氏はそういうヨーロッパの知恵を指摘しているのだと思う。
  • 日本の一般的な弊害というか、ある一つのところで成功すると同じルートをたどって店開きをしようとするわけですね、商社でも何でも。芸というものはあくまで個性なんだから、ある一つの形を同じように真似することが、害あって益ないということがあまりよくわからないじゃないか、日本はそれだから派閥なんかが発達する原因だろうと思う、同じような先生について同じような学びかたをしている、それじゃあまり意義がないと思いますね(園田p133)
  • 外国から来た指揮者が日本のオーケストラは自発性がないと言うんですね、勘がすごく良くて、注文を出すとすごく敏感に反応するけれど、自発的な燃焼というものが足りない、これができたらすごく良いと思うんですけれどね、それは国民性もある(若杉p236)、国民性だったら直りっこないでしょう(吉田、P236)
    (コメント)若杉氏がいう自発性や自発的な燃焼とは具体的にどういうことかはわからないが、仮に氏の言う自発性を持っていたとしても、外国から来た指揮者を前にそのような自発性をいきなり発揮することしないのが日本人だろうし、それは確かに国民性であろう。そして、それが悪いことだとは思わない。それは世界に誇るべき日本人としての奥ゆかしさである、信頼関係を構築しつつ徐々に自発性を出していくのが日本人であり、それは直すべきではないと思う。
  • 日本の将来に育つべきオーケストラは、ある意味インターナショナルなものなっていくんじゃないかという気がする(若杉p232)、日本の方がローカルになるんじゃないか、日本というのはやっぱり非常に古い文化を持っている国ですから、日本の何千年の歴史を通して貫いている国民性というのはもっと深いところにあるわけですよ、それはなかなか変らないものがあるような気がするんです(吉田p232)
    (コメント)若杉氏のインターナショナルというのは海外のオーケストラの音楽と取り入れて自分のものにし、ベートーベンもモーツアルトもドビュッシーもできるようになることを意味している一方、𠮷田氏は、インターナショナルとは日本の音楽が世界の音楽に影響を与えることができてこそインターナショナルと考えている、この違いで議論が少しかみ合わないところがあるように思えた。
  • ジョセフ・コンラッドなんという人はポーランド人でイギリスに行って英語で書いた小説家だけれども、彼の作品は英国の文学の中でとっても大きな高い位置を占めている。なぜかというと英国人ではとても書けない、しかし間違っていない立派な英語を書くからだ(吉田p239)
    (コメント)昨年読んだコンラッドの「闇の奥」(その感想を書いたブログはこちら)がこんなところで出てくるとは驚いた。
  • 今でも終戦後に始ったいわゆる早期教育からきている技術偏重時代が続いている。外国から来るプレーヤーには、技術は随分ヘンテコでも、結構面白い音楽を聴かせる人が現にいくらでもいる、そういうのを押し出さないと音楽はつまらなくなってしまう、音楽とは本来そういう個性的なものであると言うふうにもっていく必要があるんじゃないか(柴田p250)
  • ベートーベンの音楽にはやっぱり開放感があるんです、僕に取っては、それから非常に激励されるようなところがあるわけです(武満p268)
    (コメント)良く言えばそういうことだと思うが、人によっては「人を扇動する危険な音楽」と評する場合もある(例えば、石井宏著「反音楽史」第3部第1章ベートーベンに象徴されるもの)、私もそういう気もしている
  • (日本の文化は)やっぱり「無」というところを目指していていたと思うんです、それはいまだに僕でさえそういうものに惹かれるし、憧れがある。けど、そこではやっぱり人間は生きられないね、だから、そのあとでまだ生きていこうとする人は、どうしてもニヒリストになるより仕方が無い気がするね、一番純粋で、おのれを虚しゅうすることのできそうな人こそ、もっとも危険なような気がしている(吉田p275)
  • (日本は近大西洋を手本にしてきて)日本人としての自我をもつことはできた けれども、個人がしたいことだけするという原則だけではどうしようもない事態にまできている(武満p275)。
    (コメント)自我は持てたかもしれないが個人の自由のみ強調して規律や責任を論ぜず、日本らしらまでどんどん捨て去るような制度や思想の導入が事態の悪化を招いているのではないか。
  • 戦争がいかに残虐で愚かなものであったかについて、今、みんなが語り出している、それはとても大事なことで、いかなる戦争も、愚かで非人間的なものであることは間違いないし、それを伝えることは正しい。けれども誤解を恐れずにいえば、それぞれの戦争には個別の「何か」があって、全ての戦争を「愚か」という一つの色で塗りつぶしてしまうと抜け落ちてしまうこともあるのではないか(吉田p305)
    (コメント)その通りだと思う、戦前は軍国主義だったと黒色一色に塗りつぶす議論の乱暴さがが今の日本だ。物事はそんな単純ではないということでしょう。

いろいろ考えさせられるいい本であり、それぞれの対談の内容は深く、何度も読み返して理解を深めるべき本だと思った。


川越のカフェ「COFFEE GALLERY」でくつろぐ

2024年02月23日 | カフェ・喫茶店

川越のカフェ「COFFEE GALLERY」に入った。初訪問。店のホームページには「蔵造りの街並みから徒歩5分圏内に店を構えるスペシャルティコーヒー豆屋。世界各国から厳選した15ヵ国以上20種類ほどのコーヒー豆を取り扱っており、注文を受けてその場で生豆から焙煎をしてご提供しております」とある。2019年5月にオープンなのでまだ新しい店だ。

この辺は良く来る機会があるが、前からちょっと変った感じの店構えなので気になっていた。そこで今回入ってみることにした。

店は通りに向ってガラスの壁になっており中が見える。店を入ってすぐ正面にはまだ焙煎していない白っぽいコーヒー生豆が種類ごとに小さめの樽に入って展示してある。外にはテーブル席があり、中にも入って左側の壁と窓ぞいに腰かける板敷きの椅子とその上にテーブルがいくつか間隔を保って設置してある。豆の展示の奥はカウンター席が左側にあり、カウンター内は厨房になっている。また、店の奥は焙煎所になっているがガラス張りなのでよく見える。

コーヒー豆はその場で選んで好みの煎り方で焙煎してくれるようだ。今日は初めてなので、コーヒーを注文した。2種類のコーヒーから選べるようになっており、我々は2人とも酸味の強くないものを選んだ、500円だったか。そして、ケーキが1種類置いてあるのでそれを1つたのんだ、これも500円くらいだったと思う。

席に腰かけて店内を見ながらゆっくりと待つ。見ていると、カウンター内で焙煎済みのコーヒー豆をミルにかけて粉にして、ペーパードリップで丁寧に抽出している。使っているものにもこだわりがありそうだ。新しい店なので設備など全てがきれいで清潔感がある。

出てきたコーヒーを飲むとおいしい。好みの味だ。コーヒーカップは白で、何も絵などは描いていないシンプルなもの。そしてサイズが結構大きめなのがうれしい。ケーキもベイクドチーズケーキで、上品な味に仕上がっておりおいしかった。

新しい店なのに結構次から次へと客が来店する。中国人観光客の団体や近所の常連客らしき人も来ている。もう既に地元に根付いているようだ。店は2人の男性によって切り盛りされているが、好印象だ。

おいしく頂きました。ご馳走様でした。


かげはら史帆「ベートーヴェン捏造-名プロデューサーは嘘をつく」を読む

2024年02月22日 | 読書

かげはら史帆著「ベートーヴェン捏造-名プロデューサーは嘘をつく」(河出文庫)をKindle読んでみた。本書は、「アントン・フェリックス・シンドラー」という人物がいったい何者なのかを書いたもの。彼はベートーヴェンの晩年に、音楽活動や日常生活の補佐役をつとめていた人物だ。1827年にベートーヴェンが亡くなったのち文筆活動に目覚め、1840年から1860年にかけて、全部で三バージョンの『ベートーヴェン伝』を書いている。

彼はベートーヴェンの死後、ベートーヴェンの遺品の中から手紙、楽譜、会話帳(筆談のためのノート)などを奪って、一部は廃棄したとされている。会話帳を例にとれば、本書の中で、彼は晩年、アメリカ人伝記作家アレクサンダー・ウィーロック・セイヤーの取材に応じ、かつて会話帳の一部を破棄したと告白している。いわく、会話帳は400くらいの数が存在していた。だがベートーヴェンが亡くなったあと、価値がないと判断したノートを大量に捨ててしまったという。

それだけではなく、彼は会話帳を改ざんしたと専門家の調査は結論づけている。書き加えたり削除したりしているのだ。本書の著者はその動機に注目する。そして研究者が明らかにした改ざん内容を一つ一つ検討して、改ざんは単に個人的な動機のみでなく別の理由がるのではないかと結論付ける。著者が挙げる具体例は以下のようなベートーヴェンの友人が書いた言葉を線を引いて見えにくくしている改ざんである。

「わたしの妻と寝ませんか? 冷えますからねえ」

この誘いにベートヴェンがどう反応したかはわからないが、故人の伝記を書くのに故人のイメージを損なうようなことに言及しないのはよくあることだ。また、そのような証拠を消し去ることも身辺者であればやむを得ないと著者は考える。

また、有名な「不滅の恋人の手紙」もシンドラーが会話帳とともに遺品から奪ったものだが、この手紙には宛先が書いていないし、実際に出したかもはっきりしないがシンドラーはこの手紙の宛先はかつての女弟子で「月光ソナタ」を捧げたジュリエッタだとした。手紙は1812年に作成したものだが、シンドラーが書いた伝記では1806年に書かれたとしている。それは1812年にはジュリエッタは結婚していたからである。

一人の女性を一途に愛する主人公としてのベートーヴェンを演出したいがために、会話帳のいかがわしい記載を削除し、架空のラブストーリーをでっち上げた。現実を理想に変えるための改ざんだったと考えられないかと著者は指摘する。

シンドラーが会話帳の改ざんを行ったことは広く知られているが、彼がどういった生い立ちでどういう人物で、どうして改ざんを隠し通せたのかなどについてはまだよく知られていない。そして、シンドラーが覆い隠した真のベートーヴェンを知りたいと望むならば、私たちがすべきなのは彼の存在を葬り去ることではない、シンドラーに限りなく接近し、彼のまなざしに憑依して、ロング・コートの裏側の「現実」に視線を遣ってみることだと著者は述べている。

本書で述べられているベートーヴェンの現実の姿についてはネタバレになるので、本書をお読みいただくとして、その中から上に書いたもの以外にもう一つだけ書いてみよう。

「汚い無精髭をはやし、使用済みの便器もほったらかし、風呂にもろくに入らないのに、食べ物の新鮮さにかけては極度に神経を尖らせ、気に入らなければ家政婦に卵を投げつけ罵倒する」

著者は最後に、シンドラーについて、不朽のベートーヴェン伝説を生み出した音楽史上屈指の功労者、それこそが正体だと結論づける。名コピーライター、名プロジューサーだ。

こういうことは他の人でも良くありがちなことであろう。そして、世の中には実際より良く書かれている人と、逆に実際より悪く言われている人とがあるだろう。新聞等で何度となく賞賛されたり、あるいは批判されている人物や制度といったものも素直に信じない慎重さが我々に求められるであろう。

面白い本でした。


「越生梅林梅まつり」に行く

2024年02月21日 | 街歩き

川越に行く用事があった日、用事を済ませて、時間があったので越生梅林を観に行きたくなった。ちょうど梅の満開の時期である。事前にネットで調べてみると、現在は紅梅が満開、白梅が咲き始めの時期なのでちょうど良いと書いてある。ここに来るのは2回目である。



川越の中心部から車で50分くらい、梅林があるところの直ぐ目の前に駐車場があり、500円を払って停める。そんなに混んでいないようだ。2月11日から3月17日まで「梅まつり」が開催されており、ちょうど良い時期だったが、なんだか確定申告の期間とほぼ同じ期間だなと思った。



越生梅林は「関東三大梅林」の1つとされている(越生の他は水戸偕楽園、小田原の曽我梅林)、園内は約2ヘクタールの広さがあり、樹齢約670年を超える古木「魁雪」をはじめ、白加賀・紅梅・越生野梅など約1,000本の梅の木が植えられている。梅林周辺も含めると開花時期には、約20,000本もの梅が美しく咲き誇るとのこと。


(黄色はロウバイ)

園内に掲示してある説明書きによれば、越生の梅は1350年頃、九州の大宰府から現在の梅園神社に分祀した際、菅原道真公にちなんで梅を植えたのが起源であると伝えられている、とある。


(これは福寿草)

入園料400円を払って中に入ると地形は奥に向って縦長になっている。咲いているのは紅梅が中心だが白梅も結構咲いていた。また黄色いロウバイも咲き誇っていたがそんなに本数は多くない。順番に見ていくと、特に紅梅については同じ紅梅でも濃淡があり、まだつぼみのものもあり、種類がいくつかあるのだろう。そんな差を見ていくのも楽しい。また、木の形も「しだれ梅」という種類があったりして面白い。また、横に広く枝が広がって下から支柱で支えている大きな白梅もあった。また、地面には黄色い可憐な福寿草も咲き誇っていた。

ゆっくり1時間ほど見物して楽しんだ。良い時期に来られて良かった。


川越の「いちのや」で鰻重を食べる

2024年02月20日 | グルメ

川越で用事があり、ランチタイムになった。何を食べようか、川越といえばうどんか鰻でしょう。前回来たときはうどんを食べたので今回は鰻を食べよう、となった。鰻といえば川越では「いちのや」が老舗。ちょっと早いが11時少し前にいちのやに行き、駐車場に車を停める、開店は11時で、もう何名か駐車場の車の中と入口の前で待っている。ここはある程度の広さの駐車場があるので便利である。

11時少し前に店の中に案内され、店内の待合場所で座って待つ。11時になって順番に席に案内された。今日は準個室(隣との境の壁の上の方が30㎝くらい空いていて、かつ、廊下が見える部屋)に案内された。店内はかなり広く、以前は奥の方の大部屋に案内されたこともある。メニューを見て鰻重(菊)4,300円をたのむ。

10分ちょっとくらい待っただろうか、もうちょっとあったかもしれないが、鰻重が来た。肝吸いとお新香が付いている。山椒をふりかけてさっそく食べるとおいしい。関東風の焼きと蒸しとで作った蒲焼きである。あっという間に平らげ、満足した。ただ、蒲焼きはもう少し熱々のものが好きだ。待ち時間からみて、一度焼いたものを温めなおして出しているのかもしれない(それも有りだが)。

会計をしていると続々と客が入ってくる、団体客もいる、一度「いちのや」で鰻を食べてみたい、という人が多いのだろう。店内には有名人が訪問した時の色紙がいっぱい貼ってあった。

おいしく頂きました。ご馳走様でした。

さて、今日川越に行く途中で荒川を渡っているとき、車窓に冠雪したきれいな富士山がくっきりと見えた。ここは何回も通っている道だが、こんなにはっきりと見えたのは初めてだ。