ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

宮下奈都「羊と鋼の森」を読む

2024年05月09日 | 読書

宮下奈都著「羊と鋼の森」(文春文庫)をKindleで読んだ。この小説は2015年に刊行され、2016年の本屋大賞を受賞した。

この小説は、調律師をモチーフにした仕事小説であり、主人公の外村(とむら)青年の成長物語である。全然音楽の下地がない外村が、ある日学校の体育館にあるピアノの調律に訪れた板鳥氏の調律を見て衝撃を受け、卒業後、調律の学校に通い、板鳥の勤務する楽器店の調律師になり、周りの先輩たちを見ながら、成長していく物語である。

主人公の外村は幼いころ北海道の山間の集落の中で育った、そして家の近くの牧場で羊が飼われていたことを見てきた。本書の題名「羊と鋼の森」の羊はフェルトの材料、鋼は弦の材料、そして森は外村が育ち、羊が育ってきたところ、というわけだ。

本書を読むまで、ピアノが音を出す仕組みなど詳しく知らなかった。鍵盤を押すと、鍵盤に連動しているハンマーが鋼の弦を打ち、音が鳴る。ハンマーは羊毛を固めたフェルトでできている。ピアノには88の鍵盤があり、それぞれに1本から3本の鋼の弦が張られている、ということも知らなかった。

本書を読んで知ったこと、感じたことなどを書いてみたい

  • 最初のほうで上司の調律師の柳と外村が、木の名前の話をし、柳が自分は木の名前など全然知らないが、外村は木の名前だけでなく花の名前も知ってだろう、それはかっこいい、言う場面がある。昔読んだ坂東真理子「女性の品格」(文春文庫)の中で、日本は自然に恵まれた国で、昔から日本人は多くの花や木を愛でてきた、「万葉集」や「古今和歌集」、「枕草子」や「源氏物語」の中には花や木が歌われ、描かれてきたが、現代の日本人はこれらの花や木を知らなくなってきている。そうした木や花の名前を知っているということは、自然をいとおしむ態度につながり、自然を丁寧に観察しているといってよいでしょう、と述べている、これを思いだした。
  • 小説の中で、上司の調律師の秋野がどうして調律師になったか話すところがある、彼は、以前はピアニストを目指していたが、あきらめて調律師になったという、そして、外村が担当することになった双子の姉妹もそろってピアノを弾くが、妹は途中でメンタルな理由で弾けなくなり、最後は調律師を目指すという、そのような経歴の人が多いのかなと思った。それはいいことだと思う。最近テレビで「さよならマエストロ」というドラマがあり、その中でマエストロ役の西島秀俊が、指揮者になる人は演奏者の気持ちがわかっていなければならない、何か楽器が弾けなければその気持ちもわからない、と言っていたように思う、そういう意味で調律師もピアニストの気持ちや苦労がわかる人がなるというのはいいことだと思った
  • ピアノというのは精密な楽器だということがよく分かった、家庭にあるピアノ、コンサートホールにあるピアノ、結婚披露宴をやるレストランにあるピアノなど、置かれた状況、気象条件など音に影響するいろんな要因を考えて調律しないといい音は出ないというのがよく分かった
  • ピアノコンサートを聴きに行く場面があり、上司の秋野がステージに向かって右側に座っている理由が出てくる。私もピアニストの手元が見える左側がいい席だと思っていたし、実際に公演に行っても大体左側の席に多くの観客が座っている、ところが、この小説では、むしろ音に集中するためピアニストが見えないほうが良い、ピアノの大屋根の向きを考えても、音は右手側に伸びると考えるのが自然だ、と外村が考える場面がある。なるほどそういうものかと思った
  • 調律師が客の要望を聞き、理解するのはなかなか難しいということがよく分かった、お客さんが、くっきりした音がいい、とか、丸い音がいいとか、その目指す音は人によって感覚が違うので言葉だけで理解するのは難しい、確かにそういうものだろう
  • ピアノの音は調律によって変わるが、椅子の高さでも変わること、したがって、調律をするときはお客さんに一度椅子に座って弾いてもらって高さを調整してから調律するという、また、ピアノの脚のキャスターの向きによっても音が変わることが出てくる、実に微妙なものだ
  • 上司の板鳥さんが、調律で一番大切なものは、との問いに、「お客さんでしょう」と答えるのは意味深である、確かにそうかもしれない、外村は小説の中で何回か客から、もう来ないでいいとか他の調律師に交代させられている、これはショックだろう、それがなぜなのか小説の中では明らかにされない

調律師の仕事に関して忘れられないのは、むかし、辻井伸行のピアノコンサートに行った時のことだ。コンサートで、突然、ピアノ弾いていた辻井伸行が演奏を中止して、「これは僕の音ではありませんのでこれ以上演奏できません」と言って退場してしまったことだ。観客はみんな呆然として、どうなるのだと驚いた。そのあとどうなったかは覚えていないが、多分、休憩になり、その間に調律師が調律をやり直して、また演奏したのだと思う。本当にびっくりした経験だ。

また、最近でもあったのだが、ピアノの公演に行ってホールに入ると、舞台上で調律師が調律をしている時がある。ということは、調律後の音を確認せずに本番の演奏を始めるということだが、本書を読むと、そんなことがあり得るのかと感じた。そういえば、辻井伸行のケースも確か本番直前まで調律をしていたように思う。調律師が忙しすぎる人気の調律師なのか、何か事情があるのでしょうが、あまり美しい姿でないことは確かだ。

さて、この小説だが、クラシック音楽に興味のある人には読む価値が大きい本であると思うが、純粋に小説として読むと、ストーリーが単調なように感じた。読んでいって意外な展開もなければどんでん返しもない、色恋沙汰も全然ない、もう少し話に起伏があったほうが読んでいて面白いだろうと感じた。


坂口安吾「堕落論」を読む

2024年05月08日 | 読書

坂口安吾(1906年〈明治39年〉~1955年〈昭和30年〉、48才没)の「堕落論」(青空文庫)をKindleで読んでみた。無料。名前は知っていたがどういう小説を書いているのかは知らなかった、今回読もうと思ったきっかけは忘れたが、興味を持った。

堕落論は終戦直後の1946年(昭和21年)4月に発表されたもので、わすか14ページのエッセー(評論)である。ウィキペディアによれば、「堕落論」は、終戦後の暗澹たる世相の中で戦時中の倫理や人間の実相を見つめ直し、〈堕ちきること〉を考察して、敗戦に打ちのめされていた日本人に大きな影響を与えた、とある。

読んで安吾が主張していることやその感想を書いてみたい

  • 農村社会の不合理さ、理不尽さ、農村の耐乏生活、排他性、独特のずるさなど、農村は文化の担い手などにはなりようがない
  • そしてその耐乏、忍苦の精神が合理性を無視し、戦時中は兵器は発達せず、兵隊は耐乏の兵隊で、便利の機会は渇望されず、肉体の酷使耐乏が謳歌されて、無残極まる大敗北となっている
    コメント
    排他性は農村だけでなく、あらゆる集団であったでしょう。合理的発想より精神論を振りかざすのは確かに日本人の欠点でしょう、合理的判断ができずに情緒的な感情で意思決定すれば、仮に再び戦争になったらまた負けるでしょう

  • 天皇の尊厳などは常に利用者の道具に過ぎず、真に実在したためしはない、昔から最も天皇を冒涜する者が、最も天皇を崇拝していた
  • 藤原氏や将軍家がなぜ天皇を必要としたか、それは自らを神と称して絶対の尊厳を人民に要求するのは不可能だからだ、この戦争(大東亜戦争)がそうではないか
  • 昨年の8月15日、閣下の命令だから忍びがたきを忍んで負けよう、それは嘘だ、我ら国民は戦争をやめたくて仕方なかったのではないか、天皇の命令など欺瞞だ
  • われわれ国民は天皇を利用することには狎れており、その自らの狡猾さ、大義名分というずるい看板をさとらずに、天皇の尊厳の御利益を謳歌している、そして人間の、人性の、正しい姿を失ったのである
    コメント
    天皇を権威として利用してきた歴史という指摘はその通りでしょう、その結果、人間としての正しい姿を失った、という点はちょっとピンとこないが、それは以下で

  • 人間の、また人性の正しい姿とはなんぞや。欲するところを素直に欲し、嫌な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ
  • 好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎとり、赤裸々な心になろう、そこから自我と、そして人性の、真実の誕生と、その発足が始められる
  • 日本国民諸君、私は諸君に日本人、及び日本自体の堕落を叫ぶ、日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ
  • 私は日本は堕落せよと叫んでいるが、実際の意味はあべこべであり、現在の日本が、死して日本的思考が、現に大いなる堕落に沈淪しているのであって、我々はかかる封建遺制のカラクリにみちた「健全なる道義」から堕落することによって、真実の人間へ復帰しなければならない
    コメント
    安吾が主張する「堕落しろ」というのは現実を支配している封建的発想から自由になれということでしょう。一方、つい先日読んだ「日本文化防衛論」で、三島由紀夫は、人間性の無制限な解放は必ず政治体制の崩壊と秩序の破壊に帰することは自明である、と述べているが(p132)、安吾はそれでも良いから不合理な古い制度などは全部破壊してしまえと極論を言っているのだろう

  • 人間の真実の生活とは、常にただこの個の対立の生活の中に存しておる、この生活は世界連邦論だの共産主義などというものがいかように逆立ちしても、どうもなしえるものでもない。
  • 我々の為し得ることは、ただ、少しずつ良くなれ、ということで、人間の堕落の限界は案外、その程度しか有り得ない。人間は無限に墜ちきれるほど堅牢な精神に恵まれていない。
    コメント
    安吾の「堕落せよ」との主張は極論で過激に見えるが、実は常識的なものだと思った。ただ、人間の堕落の限界をあまり重く考えていないようだが、共産主義者などがそれを悪用して、三島の主張するような事態を引き起こす可能性は高いだろう

いろいろ研究すると面白い作家かもしれない、と感じた。

 

 


筒井清忠「戦前日本のポピュリズム、日米戦争への道」を読む(その3・完)(追記あり)

2024年05月04日 | 読書

2024/5/4追記

現在放送中の朝ドラ「虎に翼」で、寅子の父直言が「共亜事件」という政財界を揺るがした疑獄事件で逮捕され裁判にかけられる。いろいろあって被告人は全員無罪となったが、裁判官が「無罪となったのは証拠不十分ではなく、疑惑そのものが全く存在しなかったためだ」と説明する場面があった。

この事件のモデルは「帝人事件」である、事件がでっち上げであったことが筒井清忠氏の本に書いてあった(下記の一番上の記載参照)。同様な記述は昨年読んだ北岡伸一氏の「日本の近現代」にもあり、その時もブログで取りあげた(こちら参照)。

自分が書いたブログで取り上げた事件がテレビで放映されたので、記念にその旨追記した。なお、寅子のモデルとなった三淵嘉子さんの父親の武藤貞雄さんは、この帝人事件とは無関係でありテレビのだけのフィクションである。

以下、2023/11/19当初投稿

(承前)

  • 時事新報が報道した帝人事件は、その後各メディアが大きく取り上げ、政治家・官僚が16名も逮捕・起訴され、斉藤内閣は総辞職した。たが、この時も明確な証拠を示しての報道ではなかった。その結果、裁判では全員無罪となった。裁判官は、この判決は証拠不十分で無罪になったのではなく、全くの犯罪の事実がなかったことによる無罪であり、この点間違えの無いようにされたいと語った。無罪判決が出ると新聞は、政界腐敗と批判して内閣崩壊までさせた反省もなく、検察批判に転じた。こうしてこの事件は政党、財界の腐敗を印象づけ、正義派官僚の存在をクローズアップさせた事件として記憶に残るものになった。
    (コメント)最近では慰安婦強制連行報道が典型だ。根拠があやふやな本を頼りに大騒ぎし、日本及び日本人の名誉を大きく傷つけ、日韓関係を無用に悪化させた。
  • 1939年に欧州で第二次大戦が始まり、ドイツの勝利が続くと、例えば大阪朝日は連日のように独伊の優勢とイギリスの劣勢を論じた、7月13日には「大転換必至の我が外交、日独伊連携・現状打破外交へ」と題し、「世界大変革の大渦の真っ只中に東亜の現状打破とその新秩序建設に向かって長期推進せんとする日本と、欧州の再建に向かって現状打破の大業に邁進しつつある独伊とが、世界新秩序偉業の前にその関係をいよいよ緊密化して行くのは必然の姿である」と論じた。
    (コメント)世界情勢を見る目がないのは戦後も同じではないか。
  • ドイツの大勝に煽られて、バスに乗り遅れるなという大衆の興奮があったが、この「バスに乗り遅れるな」という言葉を初出は朝日新聞(1945年6月2日)のようだ。
    (コメント)新聞社が何かキャンペーンのように大げさに報道し、1つの方向性や空気を作り出したら、「何かおかしくないか、違った見方は無いのか」と思うべきでしょう。最近のガザのパレスチナ人がかわいそうだと言う報道もそうだ。

この本の最後で著者は以下の様に述べている。

大衆運動の結果、普通選挙が実施され、大衆の代表としての二大政党制が成立した後、新聞は、二大政党制を積極的に支援し育成しようとしなかった。政治家の腐敗、スキャンダルを大々的に報道し、大衆に政党不信を植え付けた。この結果、新聞・知識人は、より清新と観られた近衛文麿・新体制や軍部に現状打破勢力として期待をしていくことになるのである。しかし、この既成政党批判と清新な力への渇仰が招いたのは、結局は大政翼賛会という名の政党政治の崩壊と無極化であった。戦前のポピュリズムが招いた国内政治における最後のものは大政翼賛会だったのである。

では戦後も続くこのような傾向をどうして改善していけば良いのか、著者は、読者自身に考えてもらいたいとしながらも、その基礎となるのは清沢洌が説いたように日本のメディアの知的向上であり、その前提としての統計など正確な資料報道の重視であると説く。そして、メディアに対して批判・攻撃をするばかりでなく、よいメディアを育てていくのも、政党政治を育てるのと同じく国民がなさねばならぬことだという認識が広く必要であろう、と締めくくった。

著者の言うとおりだろう。ネットでは新聞論調に左右されない多様な意見が出てきているのは良い傾向だ。また、AMラジオの朝のニュース番組でも新聞論調とは異なる中道路線の番組があり、これも多様性の観点から良いことだ。新聞やテレビで世の中の空気が1つの方向に傾くのが一番危険だと思う。ここに新聞再生のヒントがあるのではないか。

(完)


三島由紀夫「文化防衛論」を読む(3/3)

2024年05月04日 | 読書

(承前)

学生とのティーチ・イン(三島の講演、その後の質疑)

  • 日本ではどういう危険があるかというご質問だったと思いますが、それは政治体制の危険じゃないと思います、つまり日本人の民族性というものだと思います、日本人の民族性は、ご承知の通り振り子のように、こっちの端へ行くとまたこっちの端へ行く傾向があるので、それをこっちの端へ行かないように、いまいろいろ平和憲法なりがチェックしているわけです、戦前のような形で容易には起こりえないというふうに私は考えております
    コメント
    極端から極端に振れるブレの大きさは日本人の民族性かどうかわからないが、非常に危険であることは間違いないと思う、しかし、三島の「平和憲法がチェックしている」とか「戦前のような形で容易には起こりえない」との考えは甘いと思う、平和憲法自体が極端な発想であり、憲法制定当時と最近の日本の周辺環境、世界情勢があまりに違い過ぎるということを大部分の日本人はもう気付いている、変われないのは・・・
  • 共産社会に階級がないというのは全くの迷信である、日本では社会主義者も共産主義者もみんな軽井沢にプール付きの別荘を持っている、そして日本にはどういう階級がありますか、会社の社長だって昔の三井、三菱に較べれば自分の自由なんて一つもありゃしない、こういう人たちの家に行ってみましても、昔だったら召使い何十人といたがいまは二三人だ、私は階級差というものの甚だしい例をヨーロッパでたくさん見てきたが日本では無階級に近い
    コメント
    その通りでしょう、三島のいうとおり今の日本には欧米のような格差もないし、2.26事件当時の貧困はないでしょう
  • 戦争ではいつも共産党はそうなんです、ソ連に限らずこういう国は熟柿作戦と申しまして、柿がまだ熟さないうちには決して自分でもいで食べようとしない、熟して落ちかかってきたときに手を出してポッともぎ取って食べる、上海で戦後、市民は戦争に飽き飽きしていて、平和を求めていた、もう平和さえくれれば何でもいいやという心境になっていた、そこに人民解放軍が呼びかけてきた
    コメント
    戦後の日本も同じでしょう、国民が厭戦気分になってきたところに、正義の味方米軍が来て、悪い日本人を処刑し、日本人に贖罪意識を植え付け、保守派を一掃した、そしてその隙に左派思想が学校、マスコミに入り込み、或は自ら転向して検閲などの占領政策に協力し、それが固定化した
  • 軍隊は栄誉のために死ぬという大きな特徴を持っているので、それがないと傭兵になってしまう。やはり何かのために死ぬということが大事である、それが私がかなり抽象的な「文化防衛論」で述べたことです、結局文化を守るために死ぬのであり、その文化の象徴が天皇の役割ということなのです。
    コメント
    国のため死ねるかという質問にNoと答える人の比率が多い国の一つが日本となって久しい、これは国家権力や愛国心を敵視し、自由が何にもまして大事だと主張してきた左派マスコミ報道が影響してるでしょう
  • 私は、言論と日本刀は同じもので、何千何万人相手でも、俺一人だというのが言論だと思うのです、一人の人間を多勢で寄ってたかってぶち壊すのは、言論ではなくて暴力という、日本で言論だと称されているものは、あれは暴力
    コメント
    その通りだ、特定の代議士の非違をあげつらって社説で何度も非難する新聞があるが、こういう冷静さを失った紙面作りは批判を通り越して暴力でしょう。わが国新聞は、ジャニーズ問題の報道姿勢をみても、とても言論などと偉そうに言えるものではないだろう

果たし得てない約束

  • 25年前に私が憎んだものは、多少形は変えはしたが、いまも相変わらずしぶとく生きながらえている、生きながらえているどころか、おどろくべき繁殖能力で日本全体に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善という畏るべきパチルスである、こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終るだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった、おどろくべきことには、日本は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである、政治も、経済も、社会も、文化ですら
    コメント
    その通りでしょう、そしてそれは今も続いている。それにもっとも貢献しているのがメディア、学者でしょう、更に自民党も戦後体制から脱却するのをとっくの昔に放棄し、安易に流れ、選挙の前になると保守的ポーズを取るだけの無責任政党になりはてた、全員が戦後体制利得者となり、現状変更を拒み、やがて国を滅ぼすでしょう
  • 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない、このままいったら日本はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする、日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、ある経済的大国が極東の一角に残るであろう、それでも良いと思っている人たちと私は口をきくきになれない
    コメント
    あまりに有名な一節。これを打破するのは、新聞・テレビなどの左派思想に洗脳されていないネット世代が社会の大部分を占めるようになった時だと思う、彼らが左に傾きすぎた日本を健全な中道路線に戻し、自由と平和の維持に積極的に貢献する責任ある国家「日本」を作ってくれるでしょう。明治維新も戦後の復興も若い人たちがやった、今の日本もきっと若い人たちが再生してくれるだろう

(完)


三島由紀夫「文化防衛論」を読む(2/3)

2024年05月02日 | 読書

(承前)

  • 守るとは何か、守るという行為には必ず危険がつきまとう、平和を守るにはつねに暴力の用意が必要であり、守る対象と守る行為との間には、永遠のパラドックスが存在するのである(p40)、「平和を守る」という行為と方法が、すべて平和的でなければならないという考えは、一般的な文化主義的妄信であり、戦後の日本を風靡している女性的没理論の一種である(p50)
    コメント
    女性的云々というところは除き、その通りでしょう、これがわからないのがリベラル左派新聞や軍事研究を忌避する学者たちでしょう、ならず者国家からみれば良心的日本人であり、かつ、利用価値のある日本人たちだ。非暴力的な方法だけではウクライナは守れなかった事実を見て国民は現実に気付いている
  • 日本は世界にもまれな単一民族、単一言語の国であり、われわれの文化の連続性は、民族と国との非分離にかかっている、異民族問題の強調自体がこの民族と国の分離の強調であり、終局的には、国を否定して民族を肯定しようとする戦略的意図に他ならない、在日朝鮮人問題は日本国民内部の問題ではあり得ず、革命主体としての異民族の利用価値を認めたものに他ならない(p60)
  • 国と文化の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるのが天皇であり、雑多な、広汎な、包括的な文化の全体性に、正に見合うだけの唯一の価値自体として、われわれは天皇の真姿である文化概念としての天皇に到達しなければならない(p73)、菊と刀の栄誉が最終的に帰一する根源が天皇であるから、軍事上の栄誉もまた文化概念としての天皇から与えられなければならない、天皇に栄誉大権の実質を回復し、軍の儀仗を受けられることはもちろん、連隊旗も直接下賜されなければならない、そうしなければ容共政権が成立したとき、天皇制は利用され、ついには捨て去られるに決まっている(p79)
    コメント
    三島氏が容共政権成立の際の天皇の立場を心配するのはわかるが、天皇に国の統治権ではなく栄誉大権の実質を回復しても、結局、戦前と同じように誰かにうまく利用されるだけになるのではないか

自由と権力の状況

  • チェコ問題はタカ派を勢いづかせると同時に、ハト派にも奇妙な論理を許し、大国の武力の前には戦っても甲斐ない僅かな武力を用いるよりもチェコのような非武装の抵抗こそ唯一の力であると主張する者もある。完全無防備抵抗は民族の自立を否定する思想であると言わなければならない
    コメント
    その通りでしょう、テレビでウクライナに対して被害をこれ以上出さないために直ぐに降伏せよと主張する声のでかいコメンテーターがいた
  • そもそも人間性の無制限な解放とは、おのずから破壊を内包し、政治秩序の完全な解体を目睹し、そこに究極的にはアナーキズムしか存在しないのは論理的必然である。言論の自由ないし表現の自由と、あらゆる形の政治秩序との矛盾がひそんでいる。人間性と政治秩序との間の妥協こそが民主主義の本質なのである(p131)
    コメント
    その通りでしょう、自由が大事だとばかり主張している人たちは無責任であると思う、自由には責任が伴うし、自由が無制限に認められるわけでもない

(続く)


三島由紀夫「文化防衛論」を読む(1/3)

2024年05月01日 | 読書

三島由紀夫著の文庫本「文化防衛論」(ちくま文庫)を読んだ。三島(1925-1970、本名平岡公威)の小説は「金閣寺」や「仮面の告白」、「サド侯爵夫人」、「春の雪」などしか読んでないが、昨年、猪瀬直樹氏の書いた「ペルソナ」を読んだ(その時のブログはこちら)、この本は平岡家三代の物語で大変面白かった。最近も「三島由紀夫論」という本が出ており、依然として注目すべき作家となっているようだ。

今回は小説ではないが、偶然見つけた面白そうなタイトルの本だから読んでみた。その中で特に感心を持ったところを記載してコメントしてみたい。よって、これは本書の要約ではない

反革命宣言

  • われわれは共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企図、あらゆる行動に反対するものである
  • われわれは護るべき日本の文化・歴史・伝統の保持者であり、代表者であり、かつその精華であることを以て自ら任ずる、よりよき未来社会を暗示するあらゆる思想とわれわれは先鋭に対立する
  • 戦後の革命思想は、弱者の最低の情念と結びつき一定の政治目的へ振り向けた集団行動である、彼らは日本で一つでも疎外集団を見つけると、それに襲いかかり、それを革命に利用しようとするのである、例えば原爆被害者を自分たちの権力闘争に利用した
  • 政府にすら期待してはならない、彼らは最後には民衆に阿諛するからである

コメント
共産主義や革命思想の欺瞞は指摘の通りである、左派は弱者、少数者、被害者などに寄り添う姿勢を見せながら、それらの人たちを政治的主張のために利用している、よって利用価値の無い被害者などはほとんど取り上げないのは今も同じでしょう
ただ、政府にも期待せずに自分たち少数で日本の文化・歴史・伝統を守ろう、と何か自分たちで行動を起こそうとしている(現に最後に起こした)、その行動の中身が問われる。また、よりよき未来を否定するという考えもよく理解できない

文化防衛論

  • 若い人たちと話した際、非武装平和を主張するその一人が、日本は非武装平和に徹して、侵入する外敵に対しては一切抵抗せずに皆殺しになってもよく、それによって世界史に平和憲法の理想が生かされればよいと主張するのを聞いて、これがそのまま、戦時中の一億総玉砕思想に直結することに興味を抱いた、戦時中の現象は、あたかも陰画と陽画のように、戦後思想へ伝承されている
    コメント
    その通りでしょう、戦前は極端な強硬論、戦後は極端な消極論(平和論)、ブレが大きく思い込みが激しい日本人や日本の言論空間。どちらも国を危うくする発想だと思う。常に多様な見方に接し、頭の体操をする癖をつけないと日本は再び危険な状況を迎えるでしょう
  • 文化とは、例えば源氏物語から現代小説まで、禅から軍隊の作法まで、すべて「菊と刀」の双方を包摂する。現代では「菊と刀」の「刀」が絶たれた結果、日本文化の得失の一つである、際限もないエモーショナルなだらしなさが現れており、戦時中は「菊」が絶たれた結果、別の方向に欺瞞と偽善が生じたのであった(p48)
    コメント
    その通りでしょう、その意味で現代の日本は戦前と同様に非常に危険な状況にあると言えるでしょう、新聞や学者は軍事を極端に忌避する、この「刀」を敵視するが如き極端な発想が危険である。また、理性や合理的・科学的判断に訴えるのではなく、情緒的感情(エモーショナル)に訴える、これも大変危険である。「安全だが安心できない」とか、「唯一の被爆国」とか、情緒的な主張は国際社会では説得力が無いでしょう、最近の福島原発処理水の海洋放出は科学的主張が国際社会を説得した一つの好例であろう

(続く)


丸山真男「日本の思想」を読む(3/3)

2024年04月26日 | 読書

(承前)

Ⅳ「である」ことと「する」こと(講演記録)

  • 私たちの社会が自由だ、自由だといって、自由であることを祝福している間に、その自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。自由は置物のようにそこにあるのではなく、自由となろうとすることによって、初めて自由でありうると言うことなのです(p159)
    コメント
    その通りでしょう、「自由」を「平和」に置き換えてみても同じでしょう、そして自由や平和になろうとすることとは、自由や平和を戦ってでも勝ち取るものだ、というのが丸山氏の好きな西欧の歴史であり、現にウクライナでは自由を勝ち取るために戦っている。日本だって同じでしょう
  • 人々は大小さまざまの「うち」的集団に関係しながら、しかまもそれぞれの集団によって「する」価値の浸潤の程度はさまざまなのですから、どうしても同じ人間か「場所がら」に応じていろいろにふるまい方を使い分けなければならなくなります。わたしたち日本人が「である」行動様式とのごった返しの中で多少ともノイローゼ症状を呈していることは、すでに明治末年に漱石がするどく見抜いてたところです
    コメント
    丸山氏の指摘するとおりでしょう、漱石の講演録「現代日本の開化」には、西洋の開化は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である、開化の推移は内発的でなければ嘘だと申し上げたいのであります、西洋人が百年の歳月を費やしたものをわずかその半ばに足らぬ歳月で明々地に通過し終えるとしたならば吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇り得ると同時に、一敗また起つ能わざるの神経衰弱にかかって、気息奄々(えんえん)として今や路傍に呻吟しつつあるは必然の結果として正に起るべき現象でありましょう」と述べている
  • 近代精神のダイナミックスは、まさに右のような「である」論理・「である」価値から「する」論理・「する」価値への相対的な重点の移動によって生まれたものです、もちろん、「であること」に基づく組織(たとえば血族関係とか、人種団体とか)や価値判断の仕方は将来とてもなくなるわけではないし、「すること」の原則があらゆる領域で無差別的に謳歌されてもよいものでもありません(p181)
  • 徳川時代のような社会では大名であること、名主であることから、その人間がいかに振舞うかという型がおのずと決まってきます(p163)、儒教的な道徳が人間関係のカナメと考えられる社会が、典型的な「である」社会だということを物語っております(p164)
  • これに対してアカの他人同士の間に関係を取結ぶ必要が増してきますと、どうしても組織や制度の性格が変ってくるし、またモラルも「である」道徳だけではすまなくなります(p164)、封建君主と違って、会社の上役や団体のリーダーの「えらさ」は上役であることから発するものでなくて、どこまでも彼の業績が価値を判定する基準となるわけです(p167)、一般的にいって経済の領域では、「である」組織から「する社会」組織へ、「属性」の価値から「機能」の価値への変化がもっとも早く現れ、もっとも深く浸透します、ところが政治の領域では経済に比べて「する」論理と「する」価値の浸透が遅れがちだということです(p168)
  • ところが制度を判断する際には、まだ多分にその制度の現実的な働きによってテストしないで、それ自体として、いいとか悪いとか決めてしまう考え方が強く残っています、しかも現代の国際国内政治がイデオロギー闘争の性格を帯びているために、自由世界と全体主義世界とか、資本主義と社会主義とか言う分け方をあらゆる政治現象の判断に「先天的」に適用しようとする傾向が、右のような「である」思考に加乗されることになってきます(p170)
    コメント
    確かに氏の指摘するとおりでしょう、物事を黒か白かと単純に決めつける発想は知的態度とは言えない。例えば、氏は共産主義を悪と決めつけるのは間違えで、共産主義のイデオロギーの中には人道主義といった普遍的価値の側面があると述べている(p171)、ただ、そのような側面は理論上あるだろうが、共産主義の実践においては人権侵害が行われている例も多いので、その理念と実践には大きな乖離がある
  • 政治行動とか経済活動といった社会行動の区別は「する」論理から申しますと当然に機能の区別であって、人間や集団の区別ではない、文化団体である以上、政治活動をすべきではない、教育者は教育者らしく政治に口を出すなというふうに考えられやすいのです、しかし、民主主義は非政治的な市民の政治的関心によって、また「政界」以外の領域からの政治的発言と行動によって始めて支えられるといっても過言ではないのです(p175)、政治と文化とをいわば空間的=領域的に区別する論理こそまぎれもなく、政治は政治家の領分だという「である」政治観であります(p177)
    コメント
    誰であれ政治的意見を述べるのは自由であり、それは当たり前だ。それをあえてここで書くのは、この当時、日教組の政治的影響力が強く、また、学生運動が激しい時代だったから、そういうことと関係しているのか、具体的に書かないから何を言いたいのか実にわかりにくい
  • 日本の近代の宿命的な混乱は、一方で「する」価値が猛烈な勢いで浸透しながら、他方では強靱に「である」価値が根を張り、その上、「する」原理を建前とする組織が、しばし「である」社会のモラルによってセメント化されてきたところに発しているわけなのです(p178)
  • 現代のような「政治化」の時代においては、深く内に蓄えられたものへの確信に支えられてこそ、文化の(文化人ではない)立場からする政治への発言と行動が本当に生きてくるのではないでしょうか、現代の日本の知的世界に切実に不足し、最も要求されるのは、ラディカル(根底的)な精神的貴族主義がラディカルな民主主義と内面的に結びつくことではないか(p182)
    コメント
    空疎な言葉の羅列で実にわかりにくく、わざと何を言っているのかわからないように書いた文章ではないか。自分は精神的貴族であり、文化の担い手であり、そのよう文化を代表するものたちが政治に意見を言うのは有意義で、それでラディカルな民主主義が実践できるのである、とご高説を述べた選民意識に満ちた文章だ、「ラディカルな」とは字義通り過激なマルクス主義革命のことではないのか、それを巧妙にわかりづらく、しかし、その世界にいる人にはわかるように書いた文章ではないか

あとがき

  • 私の分析に対する批判の明確な誤解と思われる受取り方の例としては、もっぱら欠陥や病理だけを暴露したとか、西欧の近代を「理想」化して、それとの落差で日本の思想的伝統を裁いたとか、いった類いである、これに対する理論的な答えとしては、 「陸羯南(くがなつかん)」の小論や「明治国家の思想」を見て頂くほかはない(p189)。
    コメント
    大事なところなので、理論的な答えを説明してほしかった、(1/3)でもコメントしたとおり、氏の説明は西欧を誉めあげ、日本の状況を批判するというようにしか見えない

本書の読後感であるが、難解な部分も多かった、特に「Ⅰ日本の思想」がそうだった。本書が想定する読者は大学の研究者や日本思想を勉強している学生等なのであろう、難しいことをわざと難しく解説していると感じた。

本書にはデカルト、ベーコン、ヘーゲル、スピノザ、ホッブス、コント、ルソー、スペンサー、バッグなどの哲学者か思想家だろうか、フリードリヒ・ヘール、チャールズ・ビアード、K・レーヴィット、W・ヴンド、A・ローゼンベルグ、E・トレルチ、K・マンハイムなどの研究者だろうか、多くの西欧人や小林秀雄などの日本の知識人の考えをふんだんに引用している、丸山氏は「おれは難しい古今東西の文献に目を通してすべて知っているのだ」と言うことをひけらかしているように思えた

丸山氏は進歩的文化人のリーダー的存在だったのだろうが、なぜ「進歩的」などと言われるのかよくわからない、西欧の思想やマルクス主義を信奉するのが進歩的なのか、もっとも、もう進歩的文化人など死語になっているが

最後に、丸山氏であるが、弟子の中野雄氏が書いた「丸山眞男 音楽の対話」(文春新書)という本があり、随分前に読んだことがある、この本を読むと丸山氏はかなりのクラシック音楽ファンであることがわかる。この機会に再読してみたくなった。

(完)


丸山真男「日本の思想」を読む(2/3)

2024年04月23日 | 読書

(承前)

Ⅱ近代日本の思想と文学

  • 文学と政治の駆け比べの意味転換(国勢と文学はかけ離れていたが、政治の走路が「民間」的な文学にぐっとすり寄ってきた)と、文学に対する「論理的構造を持った思想(マルクス主義)」の切り込み(プロレタリア文学の誕生)と、この二つの軸が「台風(マルクス主義とコミュニズム)」の基本構造を形成している、しかもこの二つの軸は「政治は、より正確にはプロレタリアートの立場に立つ政治は、科学の意識的適用である」という命題によって内面的に離れがたく結合されていた(p89)

Ⅲ思想のあり方につて(講演記録)

  • インテリという等質的な機能で結ばれた層が存在しないということは、文学者、社会科学者、自然科学者それぞれがいわば一定の仲間集団を形成し、それぞれの仲間集団が一つのタコツボになっている、こういう事態として現れています(p142)
  • ただ、日本の特殊性はどこにあるかというと、ヨーロッパですとこういう機能集団の多元的な分化が起っても、他方においてはそれと別の次元で人間をつなぐ伝統的な集団や組織というものがございます、例えば協会、クラブとかサロンとかいったものが伝統的に大きな力を持っていて、これがコミュニケーションの通路になっているわけです(p143)
    コメント
    こういう記述にも西欧は日本より優れているという意識が垣間見られる
  • ただ、日本の場合注意しなければならないことは、現在の日本全体としては必ずしもクローズド・ソサエティではない、それどころか日本全体としては、世界中に向って開かれている、タコツボ化した集団がインターナショナルに外に向って開かれているということ、そういう所ですからいわゆるナショナル・インタレストというものが、ハッキリした一つのイメージを国民の間には結ばないのは当然であります(p146)
  • 数年前に吉田首相が全面講和を唱えた著名な学者のことを曲学阿世という言葉で罵倒したが、その学者を知る人はそれからもっとも遠いことは明らかでした。ところが日本のオールド・リベラリストの人々の少なからずが、その吉田さんの言葉にひそかに、あるいは公然と喝采をおくった、そういう人たちの現代日本についてのイメージは、自分たちが圧倒的な力を持つ進歩的勢力に取り巻かれているというものだが、実は進歩派の論調は一、二の総合雑誌でこそ優勢だけれども、現実の日本の歩みは大体それと逆の方向を歩んできた、吉田さんに喝采した人たちはマイノリティどころかマジョリティーの上にあぐらをかいていることになるわけです(p148)
    コメント
    吉田首相の曲学阿世発言は言い過ぎだろうが、結局、吉田首相の判断が正しかったことは明らかであろう、学者が自分の信念で理想論を言うのは問題ないが、現実を無視した理想論は国家を危うくするのは今も昔も同じでしょう
  • 戦前の日本では、こういうタコツボ化した組織間の間をつないで国民的意識の統一を確保していたものが天皇制であり、特に義務教育や軍隊教育を通じて注入された「臣民」意識でした、戦後は、共通の言語、共通のカルチャーを作り出す要素としては何と言ってもマスコミが圧倒的な力を持つということになります(p150)、ただ、マスコミによる驚くべき思考や感情、趣味の画一化、平均化が進行している、民間放送がいくつできても放送内容はどれも大体同じものになってしまう(p151)
    コメント
    マスコミの驚くべき思考の画一化は丸山氏の指摘するとおりでしょう、しかも、マスコミ、特に新聞は自分たちの信ずる主張を振り回すだけで、それとは異なった見方があることを読者に紹介しない、世論誘導してるといわれても仕方ないでしょう

(続く)


丸山真男「日本の思想」を読む(1/3) 

2024年04月21日 | 読書

丸山真男「日本の思想」(岩波新書)をKindleで読んでみた。1961年発刊の古い本だ。丸山真男といえば戦後の進歩的文化人の代表とも言える存在であり、いまだに年配者を中心に支持者が多いようなので、一度読んでみようと思った。

この本を1回読んだだけで理解することなど無理だが、学生のように本書ばかりを何回も読み返すわけにもいかないので、無理を承知で著者の主張を章を追って順に見ていき、それらについての私の感じたことをコメントとして書いてみたい

Ⅰ日本の思想

  • 著者が本書を書いた問題意識は、あらゆる時代の観念や思想に否応なく相互関連性を与え、すべての思想的立場がそれとの関係で自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸にあたる思想的伝統はわが国には形成されなかった、というものだ(p10)
    コメント
    著者はあとがきで、本書は、もっぱら欠陥や病理だけを暴露したとか、西欧の近代を「理想」化して、それとの落差で日本の思想的伝統を裁いたとかいった類いの批判は誤解であると述べているが、そうとも思えない。一例をあげれば、まえがきで、各時代のインテリジェンスのあり方や世界像の歴史的変遷を辿るような研究が第二次大戦後に西欧やアメリカでは盛んになってきた、このようなアプローチはヨーロッパの思想史学では必ずしもめずらしいものではなく、History of western ideasとかGeistesgeschichte(独語「知的歴史」の意)とかいったいろいろの形で行われてきたものである、と述べており、日本にはそれがないとしている(p8)、これなどは日本は遅れており、西欧が優れていると言っているのと同じではないか
  • 一方、著者は、およそ千年をへだてる昔から現代にいたるまで世界の重要な思想的産物は、ほとんど日本思想史のなかにストックとしてあるという事実とを、同じ過程としてとらえ、そこから出てくるさまざまの思想的問題の構造連関をできるだけ明らかにすることにある、とも述べている(p189)
    コメント
    本書の中で著者がどのようにその構造連関を明らかにしたのかわからなかった
  • そして、本書はこうしてわれわれの現在に直接に接続する日本帝国の思想史的な構造をできるだけ全体的にとらえて、現にわれわれの当面しているいろいろな問題(知識人と大衆・世代・思想の平和的共存など)がその中で発酵し軌道づけられてゆくプロセスなり、それらの問題の「伝統的」な配置関係を示そうという一つの試図に過ぎない、としている(p191)
    コメント
    著者には、自分を知識人として大衆と区別する優越意識があるのがここだけではなく本書の他の部分でも出ているのは残念だ
  • 著者は開国の意味するところを、維新を境にして国民的精神状況においても個人の思想行動を取ってみても、その前後で景観が著しく異なって見えるとしている(p16)。そして、伝統思想が維新後いよいよ断片的性格を強め、諸々の新しい思想を内部から整序し、あるいは異質的な思想と断固として対決するような原理として機能しなかったこと、まさに、そこに個々の思想内容とその占める地位の巨大な差異にもかかわらず、思想の摂取は外見的対決の仕方において「前近代」と「近代」とがかえって連続する結果が生まれた、としている(p16)
  • この結果、新たなもの、本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利は驚くほど早い、過去は過去として自覚的に現在と向き合わずに、傍に追いやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるの、という(p18)。
  • しかし、ヨーロッパ哲学や思想がしばしば歴史的構造性を解体され部品としてドシドシ取入れられる結果、高度な抽象を経た理論があんがい私達の旧い習俗に根ざした生活感情にアピールしたり、「常識」的な発想と合致する事態がしばしばおこる、これを精神的雑居性と言った、この雑居性の原理的否認を要請したのがキリスト教とマルクス主義だ(p21)
    コメント
    維新後の状況についての著者の指摘はその通りであろう、今に続いていると言える。マルキシズム、戦勝国史観、新自由主義などに感化されてしまう浅はかさ、丸山氏はそうではなかったと言えるか
  • 維新後の日本には二つの思考様式の対立がある、一方は「制度」、もう一方は「自然状態」だ、日本の近代化が進行するにしたがって官僚思考様式(制度)と庶民的思考様式(精神)とのほとんど橋渡しし得ない対立となってあらわれるが、それは一人間の中に共存し、使い分けられることもある、これは日本における社会科学の「伝統的」思考形態と、文学におけるそれ以上に伝統的な「実感」信仰の相交わらぬ平行線も同じ根源に帰着する(p60)
  • 戦後にわが国で社会科学的思考を代表し文学的「実感」の抵抗を伝統的に触発してきたのはマルクス主義であり、そうなったのは必然性がある、例えば、日本の知識社会はこれによって初めて社会的な現実を、政治とか法律とか哲学とか個別的にとらえるだけでなく、それを相互に関連付けて総合的に考察する方法を学んだが、それが悲劇の因をなした(p63)
    コメント
    その素晴らしいマルクス主義も今では西欧思想史として学ぶことはあっても、革命を起こそうなどと考えている人はごく少数になったでしょう
  • マルクス主義はいかなる科学的研究も完全に無前提では有り得ないこと、科学者は一定の価値の選択のうえにたって知的操作を進めて行くものであることをあきらかにした、そしてマルクス主義は「党派制」というドラスティックな形態ですべての科学者に突きつけた、そして、世界を変革することを自己の必然的な任務としていた、おおよそデカルト、ベーコン以来近代的知性に当然内在しているはずの論理は、わが国ではマルクス主義によって初めて大規模に呼び覚まされたと行っても過言ではない(p64)
    コメント
    以上のような記述を読むと丸山氏はマルキシズムを評価していたと言えるのではないか、そして変革、すなわち革命思想を信奉していたのではないか、このような思想の流入と戦わず持ち上げていたことは先に述べた維新後の状況の指摘と矛盾してないか

(続く)


半藤一利「昭和史1926-1945」を読む(その4・完)

2024年04月03日 | 読書

(承前)

  • 1940年に三国同盟を締結し、日独伊ソの四国が提携し米英にあたるという日本の方針があったとき、1941年6月にドイツはソ連に進攻を開始した、もし、この時、チャーチルがいうように日本が本気で自国のことを考え全体を見極めていたら、ドイツが約束を破ったのを理由に三国同盟から離脱して中立となり、戦争不参加を決め込むこともできたのです。ドイツの勝利を信じていた日本は三国同盟に固執した
    (コメント)
    半藤氏のいうとおりでしょう、一度決めるとその決定に都合のよい事実しか見なくなるのが今に続く日本人の習性でしょう
  • 昭和16年4月、日米交渉打開のため新鋭米派の野村吉三郎海軍大将を駐米大使に赴任する、これをこころよく思わなかったのが反英米だった外務省でした、それは昭和14年9月に野村さんが外務大臣に就任して反英米派の幹部を交代させる人事をやったことがすごい反発を招き、当時の阿部内閣が貿易省を作る構想を打ち出したとき外務省の全部局が猛反対し、キャリア130人が全員辞表を出して大騒動になった経緯があったからです、その野村さんが中米大使になった時にまた反野村でかたまっていく
    (コメント)
    外務官僚でありながら国際情勢を観る眼がなく、さらに気にくわない外務大臣に反発して国家を危うくする、こういった過去をしっかり書いたことは高く評価できる
  • 日米開戦の攻撃30分前に交渉打ち切りの最後通牒が手渡されることになったが、大使館外交員どもの怠慢というか無神経が災いし、結果的に通告が1時間遅れとなった、これは野村大使に対する外務省エリートたちの反感、不信、不協力の態勢がなしたことでしょう
    (コメント)
    本書の中で、違う理由で遅れたという議論も紹介されているが、私も半藤氏の外務官僚に対する怒りに同意したい、そしてさらに呆れるのは、本書には書いてないが、戦後この日本大使館のキャリア外交官たちが公職追放された来栖三郎以外ほとんど出世することだ
  • 真珠湾攻撃を多くの作家、評論家も万歳万歳の声を上げた、評論家の中島健蔵、小林秀雄、亀井勝一郎、作家の横光利一など、ただ一つだけ注意しておかないとならないのは、開戦の詔書には今までの3つの大戦(日清、日露、第1次大戦)は国際法遵守を述べていたが、今回はそれがないことです。真珠湾攻撃に宣戦布告がなかったことと、開戦布告前に開戦の意図を隠しマレー半島に上陸しタイ国に軍隊を送っていたからだ
    (コメント)
    開戦の詔書の問題点については知らなかった
  • ミッドウェイ海戦から10日ばかりたった6月18日、日本の文学者が大同団結し、「日本文学報国会」を作りました、会長徳富蘇峰、菊池寛、太田水穂、川上徹太朗、深川正一郎、尾崎喜八が各部門の代表になり、吉川英治が「文学者報道班員に対する感謝決議」を唱和して朗読した、自分たちもまた、この戦争に勝つために大いなる責任を与えられ、頑張ろうじゃないか、というのです。日本の文学者はどんどん戦争謳歌、戦意高揚の文学になります
  • 昭和20年8月9日、日ソ中立条約を破りソ連軍が満洲に進攻して来た、8月14日ポツダム宣言受諾を通知したのだからソ連もわかっているだろうと思い込んだがこれが浅はかだった、ポツダム宣言受諾は降伏の意思表示でしかなく、降伏の調印がなされるまでは戦闘は継続されることを知らなかった、満洲の悲劇が始まるのです
    (コメント)
    こういうことは知らなかった
  • 昭和史の20年がどういう教訓を私たちに示したか、その一つは何か起ったときに、複眼的な考え方がほとんど不在であったというのが昭和史を通じて日本人のありでした
    (コメント)
    その通りでしょう、リーダーたちのみならず、新聞がそれを助長していたでしょう、半藤氏も述べているが、昭和史20年の教訓は今でも通用するでしょう
  • 昭和史全体を見てきて結論として一言で言えば、政治的指導者も軍事的指導者も、日本をリードしてきた人々は、なんと根拠なき自己過信に陥っていたことか、ということでしょうか。そして結果がまずくいったときの底知れぬ無責任です、今日の日本人にも同じことが見られて、現代の教訓でもあるようですが。
    (コメント)
    その通りでしょう。そして新聞が何をしてきたのかについても総括してほしかった

いろいろ勉強させられた良い本でした。

(完)