ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

川越「手打ちうどん長谷沼」で昼食

2023年01月31日 | グルメ

川越に行く用事があったので、どこかで昼食をとることに。川越は鰻屋が多く、「いちのや」などでよく食べたが、最近はどこも混んでいるので、今日はうどんを食べることにした。今まで川越でうどんを食べるときは「藤店うどん」などに行っていたが今日は本川越駅そばの「長谷沼」に行ってみた。

この店は食べログ百名店に何回か選ばれているので行列でもできてるかな、と思っていたが、2、3人待っているだけで、すぐに入れた。店内はそれほど広くなく、20名程度の収容力か。わかめうどんと天ぷら3種盛り、肉汁つけうどんをたのんだ。代金は二人で2,000円。

食べてみると大変おいしい。つゆの味が独特で魚粉系のラーメンのつゆのような味がする。麺のコシは普通か。我々が入ってきた後も、並んで待っている人がいるので人気店なんであろう。おいしく頂きました。ごちそう様でした。

川越は最近また人気観光スポットになっているのではないか。平日なのにずいぶん観光客がいるように思う。最近アド街で取り上げられたのでその影響もあるのかもしれない。特に目立つのは新しいカフェや珈琲豆を売る店の増加だ。我が家もハウスブレンドの珈琲豆を作り、毎朝、ミルで挽き、サイフォンで抽出して飲んでいるが、現在豆の在庫が充分あるので、今日はここで豆を買わなかった。今度来る時は珈琲豆を買って帰りたい。

帰りには有名な和菓子屋「亀屋」によってこがね芋を買って帰った。

 


「阪田知樹ピアノ・リサイタル」を聴きに行く

2023年01月30日 | クラシック音楽

東京オペラシティーコンサートホール(大ホール)で開催された「阪田知樹ピアノ・リサイタル」に行ってみた。阪田知樹は1993年生まれの29歳、5歳からピアノを始め、6歳から作曲を始め、芸大音楽学部を中退後、ハノーファー音楽演劇メディア大学に特別首席入学、学士・修士課程とも最優秀の成績で卒業。内外のコンクールで入賞している。若手有望株の一人だろう。NHKのクラシック倶楽部で見たことがあるので名前と風貌は知っていた。

今日の座席はS席シニア料金で4,500円、平場の前の方の右側の席だった。ピアノ公演はピアニストの指の動きが見える左側の席が人気なのか、右側の最前列から7列目あたりまでは空席が目立った。ただ、全体としては7割方埋まっていただろうか。客層は明らかに若い女性が多く、若手の人気男性ピアニストの公演だとこうなるのか。しかし、オペラシティーの大ホールで公演できる集客力があるというのはたいしたものだ。今後の活躍次第でチケット代も1万円以上取れるようになるだろうし、なってもらいたい。

曲目は

  • .S.バッハ/阪田知樹:アダージョ BWV564
  • J.S.バッハ/F.ブゾーニ:シャコンヌ BWV1004
  • ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第23番 へ短調 Op. 57「熱情」
  • ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
  • ショパン:ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 Op. 58

(アンコール)

  • ラフマニノフ/阪田知樹:ここは素晴らしい処 Op. 21-7
  • アール・ワイルド:ガーシュウィンによる7つの超絶技巧練習曲 第6曲

ベートーベンの熱情とショパンのピアノソナタしか知らないが内容的にもこの二つの曲が今日のメインであろう。私は「熱情」が大好きで、かつ、技術的にも非常に難しい曲なのでこれに一番注目して聞いたが熱演だったと思う。

ただ、この「熱情」という曲だが、第2楽章の緩徐楽章の素晴らしメロディーの後に来る第3楽章は何という激しさであろう。最後の終わり方はまるで何かが爆発するような激しさである。ベートーベンの怒りの爆発ではないだろうか。同様な例は交響曲9番のフィナーレにも見られる。また、交響曲3番のフィナーレ、5番のフィナーレはどうであろうか。これはまるで苦難を乗り越えた勝利の宣言のようではないか。先日読み終えたフルトヴェングラーの「音楽と言葉」で「ベートーベンが予見的な透徹さをもって彼の最後のシンフォニーの使命の中に告示したあのシラーの言葉「兄弟らよ、星、輝く天の穹窿の上に、愛する父神は住みたまう」を彼が歌うとき、それは説教者の言葉でもなく、また、扇動家の言葉でもありません。それは彼が芸術の仕事の端初から、生涯をかけて生きてきたものでした。これこそ、またなぜ今日の人間も彼の歌を聴いて感動するかという理由をなすものでありましょう。」と述べているが、彼は本当に「扇動家ではなかった」のか、私は扇動家と紙一重の違いしかないと感じている。ロマン・ロランの「ベートーベンの生涯」を読むとゲーテがベートーベンと会ったときのこと、メンデルスゾーンからピアノでベートーベンの交響曲5番のはじめの部分を聞かされたときの彼の感想が書かれている。ゲーテは「まるで心を感動させるところがない。ただ人をびっくりさせるだけだ。大がかりだ。」と言ったが、やがて「こいつは偉大だ、無鉄砲なしろものだ。家がくずれおちはしないかと思うようだ」と述べたとある。また、ゲーテは心の底ではベートーベンの音楽に賛嘆を感じていたがしかしまたそれに恐れを感じていた。その音楽がゲーテの心の安定を奪ったからである。ゲーテが幾多の苦労の代償を支払ってようやく獲得した魂の静朗さをベートーベンの音楽が彼に失わせはしないかとゲーテは危惧したのである、と書いてある。ゲーテでさえこうなのであるから一般の人はこのベートーベンの3番、5番、9番、熱情のフィナーレを聞いてどう感ずるであろうか・・・

さて、クラシック音楽の公演では、時に演奏者がマイクを持ち、観客へのお礼、演奏する曲の解説などをしてくれる例があるが、今夜はそれは無かった。また、曲目選択の狙いについても公演パンフレットに書いてなかった。いずれの点も検討してほしいと思っている。

最近、男女を問わず、日本人の若者が国内外で活躍しているのは大変うれしい。著名な国際コンクールにも数多く入賞しているのだからたいしたものだ。芸術家、アスリートなどは国際舞台で活躍している日本人は少なくないが、クラシック音楽の分野はトップクラスではないだろうか。これはどういう背景があったのか、国の支援が大きかったのか、自発的な取組みか、楽団・劇団・音大などの指導・戦略が良かったのか、私は知らない。もっと注目されて良いだろう。ただ、先日聴きに行った公演で、国際コンクールに入賞してもそれだけではまだ食べていくのは大変だ、と説明されていたので現実はまだ楽な状況では無いのかもしれない。良いものを持っていながらそれをアピール、宣伝するマーケッティング連略が日本人は全般的には弱いと思うのでなんとか改善できないだろうか。SNS、YouTubeなどを有効に利用することも大いに検討すべきだ。いずれにしても今後のますますの活躍を期待したい。

 

「揚子江菜館」で夕食

2023年01月30日 | グルメ

この夜は7時からクラシック音楽の公演を見る予定だったので、その前に夕食を済ませようと思い、神保町の揚子江菜館に来てみた。過去、何度か来たことがある。この店のHPによれば明治39年創業とあり、歴史のある中華料理店だ。作家の池波正太郎氏が好んで来た店としても有名だ。また、冷やし中華もおいしくて有名だ。都営地下鉄の神保町の駅を降りてすぐのところにある。

5時半くらいに店に入ると1階には先客が2名、まだ席には余裕がある。池波先生は上海式焼きそばがお好みだったようであるが過去に何回か食べたことがあるので、今日は五目焼きそば1,480円を注文した。

出てきたものを見ると結構ボリュームがありそうだ。五目野菜の上になぜか一つだけ鳥の唐揚げがのっているのが面白い。麺は細麺で五目野菜と良く絡んで食べやすい。シニアにはちょっと量が多いが完食した。

ここはビル全体が揚子江菜館で使っているのか食事中に次々と入ってくるお客さんは上の階に案内されていた。個室か宴会用の部屋があるのだろう。コース料理もリーズナブルな値段で何種類か用意されているようなのでサラリーマンの宴会用にも家族用にも使えそうだ。今夜はクラシック音楽の公演を見るのでビールは飲まなかったが、今度家族とゆっくり酒を飲みながらコース料理も食べてみたい。

ごちそう様でした。


喫茶「サロンド冨山房Folio」にて

2023年01月29日 | カフェ・喫茶店

神保町から淡路町にかけての街はは好きである。古本屋、大型書店、美味しい店、しゃれた喫茶店などが一杯ある。この日は時間が取れたので神保町でコーヒーでも飲もうと思いネットで調べてサロンド冨山房Folioと言う店を探し行ってみた。この界隈では淡路町の高山珈琲、神保町の古瀬戸珈琲店などに何回か入ったことがあるが、少し新しいところも探してみようと思った。

Folioは三省堂の裏の神田すずらん通り沿いにある冨山房ビルの地下1階にある喫茶店である。入ってみると中は広いゆったりとした空間にテーブル席がゆったりと配置されていて、あちこちに多分冨山房出版であろう本が並べられている落ち着いた雰囲気の店である。先客は4名いたが全然混んでいるという感じではない。みんな一人客で、静かにコーヒーなど飲みながら本を読んだりタブレット端末を見て何か書き物をしたりしている。営業時間が12時から18時だったかずいぶん短い。これは多分冨山房が経営しているからそんなにあくせくしないのではと推測した。会社の人が喫茶室として商談で使ったり社員が寛ぐために使っているのかもしれない。

コーヒー600円を注文し、ゆっくり寛いでいると、カウンターで店主が豆を挽き、ペーバードリップしてコーヒーを抽出している姿が見える。注文の都度手間をかけてコーヒーを淹れているいるんだな。そんなところを見ているとなんだか落ち着いた気分になる。運ばれてきたコーヒーを見ると私の好きな少し大きめのしゃれたカップに入っている。おいしかった。

帰りに店主にちょっと聞いて見ると、30年前にこのビルができたときから営業しているという。あまり目立たないので知られていないのかもしれない。冨山房も出版不況で大変だと思うが、この店もいつまでも営業してもらいたいものだ。


「音と言葉」(フルトヴェングラー著)を読む

2023年01月29日 | 読書

フルトヴェングラー著「音と言葉」を読んだ。これはフルトヴェングラー自身の書いたエッセーや公演録である。作曲家や指揮者自身による手紙や論文は歴史の第1次資料として大変貴重である。クラシック音楽の分野ではモーツアルトの手紙やベートーベンの手紙が出版されているので読んでみたが大変良かった。本書も読んでみてフルトヴェングラーの考えが熱く語られていることがわかる。私はご多分に漏れずフルトヴェングラーファンであるが彼の指揮した曲のCDを全部聴いているわけではない。私が聴いた範囲では、彼の指揮に向いている曲とそうでない曲があるように思える。ベートーベンの交響曲でいえば、3番・5番・9番は彼の指揮が大変向いているように思う。

さて、本書だが、次のような構成になっている。

  1. すべの偉大なものは単純である
  2. バッハ
  3. ベートーベンの音楽
  4. ベートーベンと私たち(「運命」の第1楽章のための注意)
  5. 「フィデリオ」の序曲
  6. ロマン派について
  7. ブラームスと今日の危機
  8. ワグナーの場合
  9. アントン・ブルックナーについて
  10. ヒンデミットの場合
  11. 作品解釈の問題
  12. ウィーンフィルについて
  13. 音と言葉

ここで上記の概要を紹介することは私の能力ではできないが読んでみて特に彼が強調しているのではないかと感じた点を羅列してみると次のようになる。

彼の目から見ると今日の演奏は凡庸である、「楽譜に忠実な」というのは間違った考えである、今日「精神」と「官能」が分離されている、非官能化の最も致命的な一例は十二音階的作曲だ、支配せんとする理論家と生きようと欲する芸術家の闘いが今日音楽において激突している。ストラビンスキーもその一人だがおよそ感情を表現する能力というものを音楽から追放してしまおうとする一派がある、ストラビンスキーが頭からベートーベンの出発点は非現実的で実存的でないと宣言する言葉に賛同するわけにはいかない・・・・いや、とてもこんな簡単なフレーズで偉大な指揮者の考えを要約することはできない。

この本は、私のような音楽の素人には、何度も何度も読み返してみないと言わんとしていることは正しく理解できないであろう。


カルテッド・アマービレ演奏会を聴く

2023年01月28日 | クラシック音楽

1月22日放映のクラシック倶楽部のカルテッド・アマービレ演奏会を録画で見た。曲目は

  • 弦楽四重奏のための緩徐楽章(ウェーベルン作曲)
  • 弦楽六重奏曲第1番変ロ長調作品18(ブラームス作曲)

いずれも初めて聴く曲である。

カルテッド・アマービレのメンバーは

  • 第1バイオリン 篠原悠那
  • 第2バイオリン 北田千尋
  • ビオラ 中 恵菜
  • チェロ 笹沼 樹

カルテッド・アマービレは2015年、当時桐朋学園大学に在籍していた4人の弦楽奏者によって結成、2016年ミュンヘン国際コンクールの弦楽四重奏部門で第3位に入賞し活動を本格化、国内外の様々なコンクールで受賞を重ね、次世代を担うカルテッドとして活躍が記載されていると紹介されている。

番組のインタビューでは、桐朋学園大学に在学中磯村先生に指導してもらっていたが、ミュンヘンの国際コンクールに応募してみないかと言われた、アマービレはイタリア語で「やさしく、愛らしく」という意味だが最初なじみきれなかったが最近は段々板についてきた、コンクール後たくさん演奏会があり、たくさんの音楽家と共演できて感謝している、カルテッド以外でも活動しているが今日は4人が一つの響きになっていければいい、全員20代だ、と話していた。

ウェーベルンはオーストリアの作曲家で演目は1905年に書き上げた弦楽四重奏のための作品、長らく忘れられていた存在だったが作曲家の死から17年後の1962年に初演されたもの。

後半はブラームスが初の弦楽の室内楽曲として発表した作品、1859年から1860年にかけて作曲された、親交のあったクララ・シューマンらの音楽家たちに意見を求め修正を重ねて書き上げられたもの。

演奏を見ていると、最初のウェーベルンの時は全員お決まりの黒い服、後半のブラームスの時は女性陣は紺色のドレスを着ていたが地味目だ。オーケストラではないので女性はもっと派手な色の服を着た方が良いと思うが、恩師の御大から「派手な服などとんでもない」と言われたのか自ら控えたのか? 弦楽四重奏は地味な印象があるが全員20代の若さだし、服装くらい派手にした方が商業的には受けが良いのではと思うがどうだろう。また、このカルテッドは第1バイオリンと第2バイオリンは固定しており先のエール弦楽四重奏代とは運用が違う。こちらの方が一般的なのかな。

恩師のお二人は、それぞれ77歳、80歳とご高齢にも関わらず元気に演奏されていたが、喜ばしいものだ。観客の前で演奏できるのだから健康であり、呆けてなく、目も耳も問題ないのだろう。いつまでも現役で頑張ってほしいものだ。まるでおじいさんと孫が一緒に演奏しているようだった。4人はさぞかし恩師の前で緊張しただろう。


エール弦楽四重奏団を聴く

2023年01月28日 | クラシック音楽

NHK/BSのクラシック倶楽部で1月19日放映のエール弦楽四重奏団の演奏を録画で見た。演目は

  • 弦楽四重奏曲 ニ短調 D.810「死と乙女」(シューベルト作曲)
  • 弦楽四重奏曲 ト短調 作品10から 第1楽章、第4楽章(ドビュッシー作曲)

エール弦楽四重奏団のメンバーは

  • 山根一仁(バイオリン)
  • 毛利文香(バイオリン)
  • 田原綾子(ビオラ)
  • 上野通明(チェロ)

番組の説明では、エール弦楽四重奏団は2011年結成、エールとはフランス語で「翼」を表し、大きく羽ばたいていけるようにという願いを込めて名付けられた、普段はそれぞれソリストとして海外を拠点に活動し、不定期に集まり演奏活動を行っている、とある。

メンバーに対するインタビューでは、リハーサルではくつろげた、メンバーはお互い尊敬できる、お互いファミリーみたいだ、頻繁に会うわけではないがたまに集まって弾くのはちょうど良い頻度、普段は違う場所で違う先生について学んでいるので久しぶりに集まると簡単では無いが互いに影響・刺激を受けて作り合えるのは良いとのこと。

「死と乙女」は、シューベルト自身が作曲した歌曲「死と乙女」の旋律を第2楽章の主題に用いていることから同じ名で呼ばれている、当時シューベルトは病に侵されており死を感じていた心境を表現したものともいわれている、とのこと。

トビュッシーの「弦楽四重奏曲」は、彼の出世作「牧神の午後への前奏曲」とほぼ同じ時期に書かれ、1893年イザイ弦楽四重奏団によって初演された、ドビュッシー独自の音楽確立への第1歩となった傑作とのこと。

先日コンサートで聴いたときと同様、シューベルトの演奏時には第1バイオリンは山根、第2バイオリンは毛利だったが、ドビュッシーの時はそれが交替されていた。コンサートで生演奏を聴くのも良いが、テレビで演奏を見るのも演奏者の細かい表情や楽器の操作がわかって生演奏とは違った面で楽しめるので、これはこれで有意義だと思う。


「喫茶室ショパン」に行く

2023年01月28日 | カフェ・喫茶店

今週、早稻田松竹で「ザリガニの鳴くところ」を観た際、チケットを買ってから映画の開始時間まで余裕があったので、ちょっと離れているが要町にある名曲喫茶ショパンに行ってみた。前から行きたいと思っていたが行く機会が無かった。

要町の駅で降りて歩いて10分くらいか、住宅街の中にある。中に入ってみると先客は無く、大きなスピーカーの真正面の大きなテーブル席に座った。店主の宮本英世氏はクラシック音楽評論家としても有名で、氏の書いた本が店内のテーブルにずらっと並べてあった。私の持っている一冊もあった。コーヒーを注文して音楽に耳を傾けると、フランクのバイオリンソナタだ。店内はそれほど広くなく大人数は入れない、混んでるときは相席になるのであろう。壁には宮本氏がインタビューを受けた新聞記事の切り抜きや、フルトベングラーやトスカニーニの写真があった。レコードはCDを使っているようだ。

30分ちょっと滞在しただろうか、閑静な住宅街の中にあり、落ち着いた雰囲気で贅沢な時間を過ごせた。この店は商業目的と言うより店主のクラシック音楽にかける思いを少しでも普通の人に伝えて普及させたいという思いでやっているのだろ。おそらくお住まいもそこだろうから、ご自宅のレコード鑑賞部屋を一般公開しているようなイメージなのかもしれない。いつまでもお元気で続けてもらいたい。


名曲喫茶「ミニヨン」に行く

2023年01月27日 | カフェ・喫茶店

先日「ザリガニの鳴くところ」を観に行こうと思い早稻田松竹に開演時間直前に行ったら、なんと「満席です」と言われて「しまったー、以前もそういうことがあったんだった」と悔やんだ。座席数が少ないところにコロナで一部の座席を間引きしているので、人気映画の時は直ぐに満席になってしまうのだろう。

仕方ないのでどうしようかと迷ったが、映画は諦めて、どこか名曲喫茶にでも行こうと思い、荻窪の「ミニヨン」に行ってみることにした。10年くらい前に一度行ったことがある。場所はだいたい覚えているし、今はGoogleMapがあるので迷わずたどり着ける。

ビルの2階にある店に入ってみると先客は2人だけで、ゆったりと座れた。大きなスピーカーが2台、どっしりと構えてあり、カウンターの奥の壁がLPレコードでびっしりと埋まっているのが特徴、以前来たときと全くイメージが変わっていない。座席に着いてコーヒーを注文。450円という安さだ。入ったときに流れている音楽はなんとベートーベンの「英雄」だったのでうれしくなった。私の好きな曲だ。

店のホームページによればこの店の歴史は長く、当初、昭和36年に荻窪の北口に開店し、その後昭和46年に今の場所(南口)に移り、平成13年に名物ママが91歳で引退した、レコードは5000枚以上になっている。客層はクラシック好きの中高年だけでなく、書斎がわりに使う人やゆっくり寛ぎたい人など多岐にわたっているという。店内を見ると座席はゆったりとしており、ある程度の客数を収容できそうな十分なスペースがある。壁には絵や写真もかかっている。クラシック音楽をゆっくり聴きたい人には非常に贅沢な空間となっている。喫茶だけでなく奥にある部屋でミニコンサートやギャラリーもやっているようだ。

コーヒー一杯で一曲リクエストできるという。窓から薄い日差しが部屋にやさしく入り込む昼下がりのひととき、好きな音楽を聴きながらゆっくりくつろげる、何という贅沢であろう。こんなに空いていて経営は大丈夫なんだろうかとつい心配になってしまうが、いつまでも残ってほしい素晴らしい喫茶店であり、自分ももっと頻繁に来るようにしたいと思った。

 


映画「ザリガニの鳴くところ」を観る

2023年01月26日 | 映画

早稻田松竹で「ザリガニの鳴くところ(Where the Crawdads Sing)」(2022年、米、オリビア・ニューマン監督)を観に行った。シニア料金900円。なぜこの映画を観ようと思ったか。私は毎日洋書を30分程度読むことを習慣づけている、最近一冊読み終わったので、次は何を読もうかな、とAmazonの洋書コーナーで探したところ、この本のレビューコメントが38万件もあるのに驚き、読みはじめた。ところが、この小説の英語が非常に難解でわからない単語だらけなため、途中で諦めて読むのを止めた。滅多にこういうことはないのだが(カズオ・イシグロの本も難しかったがそれ以上であった)。そこで同名の映画があるのでそれを先に見てから読んだらかなり楽に読めるようになるのではないかと思い、今回観ることにしたものだ。

ストーリーは、ノースカロライナの湿地帯(March)にあるとき、1人の青年の死体が見つかり、容疑者としてその湿地帯の中の家に一人で住む若い女性カイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ、英、24歳)が浮かんできた。そして裁判で彼女の驚くべき生い立ちが明らかになっていく、もともと親子でこの湿地帯に住んでいたが父親の暴力に耐えかねて母親が、子どもたちが次々と逃げ出し、最後に年少のカイアだけが残った、学校にもなじめず、雑貨屋の夫婦に親切にしてもらいながら成長していくが、あるとき若い男性と湿地帯で出会ってから彼女の人生が徐々に変わっていく、そして裁判の最後でどんでん返しが・・・

見終わってみると、私はそれなりに面白かったと感じた。ハッピーエンドなところやどんでん返しがアメリカ映画らしいとは言えるが、素直に楽しめた。この湿地帯の場面であるが、私が10年ほど前にマイアミに行った際、エバーグレーズ国立公園にも足を伸ばしたが、そこの景色とよく似ていると思った(下の写真2枚はその時の写真)。

若干のコメントをすれば、(ネタバレ注意)、湿地帯で死亡していた男性はカイアが殺したのだろうが、それはレイプされそうになったときの抵抗時に彼が死んだのか、そうだとしたら、見晴台のところまで死体を引きずっていって偽装工作をしたのか、そこがわからなかった。もしそうだとしたら、正当防衛で裁判で勝てるので、そう正直に弁護士に言えば良かったのではないか、と思った。また、この映画を見終わって、何を考えさせられるのか、と言う点だが、単純に差別はいけないとか人を偏見で見てはいけないとか、陪審員制はそこを最後の砦としてきちっと仕事をしたとか、そういうことなのか。何か自分の身に置き換えて深く考えさせるような映画ではなかったかな、と思うが如何であろうか。あと、どうでも良いことだが、裁判で勝訴してから、兄が湿地帯の家に来て、その後母親が死んだことをカイアに話したが、白血病(leukemia)で死んだと言っているのに字幕では死因までは言わなかったのが気になった。

以上のコメントはあるが観て損は無い映画だと思う。