ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

愛の調べ、シネマ&リサイタルを観に行く

2023年08月31日 | クラシック音楽

浜離宮朝日ホールで開催された映画とクラシック音楽の演奏をセットにした「愛の調べ」シネマ&リサイタルを観に行ってきた。5,500円、観客は平日昼ということでシニア女性が多かった。

朝日ホールは上品な感じのホールで、清潔感がある。552席ある。1992年にオープンし世界で最も響きが美しいホールの一つと評価されるシューボックス型(靴箱のような立方体)の室内楽専用ホール。1996年、米国音響学会は世界22カ国の76ホールを調査。その結果、ウィーンの楽友協会ホールなど3ホールが最高の「Superior」の評価を受け、浜離宮朝日ホールやニューヨーク・カーネギーホールなど6ホールが「Excellent」に挙げられたとHPに出ている。

今日のプログラム(1時開演、4時過ぎに終演)

第1部:映画「愛の調べ」上演

主演のクララはキャサリン・ヘプバーン、シューマンはポール・ヘンリード、ブラームスがロバート・ウオーカー。

第2部:伊藤恵、ピアノ・リサイタル

  • シューマン、幻想小曲集Op.12より、夕べに、飛翔、なぜに、夜に
  • クララ・シューマン、4つの束の間の小品Op.15
  • シューマン、ピアノ・ソナタ第3番より第3楽章
  • ブラームス、6つの小品より、第1曲、第2曲
  • シューマン、幻想曲より第1楽章
  • シューマン・リスト、献呈

この映画は初めて見た。シューマンとクララの物語、シューマン夫妻とブラームスの関係などはある程度知っていたので、あらすじは特に事前に勉強しなかった。映画の冒頭、事実と違う部分もあると断りがあったが、多分、シューマンの死後、ブラームスがクララに求婚したことを指していることかもしれないと思った。また、シューマンがどのようにして死に至ったのか、その部分はあまり語られていないような気がした。

映画の冒頭で、演奏会でクララがリストのピアノ協奏曲を弾き終わり、ステージ脇に帰ってくると父親が「ラ・カンパネラ」をアンコールで弾けと指示するが、クララは拒否してシューマンの作曲した「トロイメライ」を弾き、皇帝や王子も感動する、という場面があった。私も、ここでラ・カンパネラはおかしいだろう思った。それは激しい曲が2つ続くからだし、ラ・カンパネラがアンコール曲というのはピアニストとしてはキツいのではないか。

また、舞台がヨーロッパなのに言語が英語というのも違和感があった(これはよくあることだけど)。

第2部は伊藤恵の演奏会、知っている曲があまりなかったのは恥ずかしいが、素晴らしい演奏だと言うことだけはわかった。演奏後、彼女は観客に向かってマイクもなく話しかけ、このシネマ&リサイタルシリーズも10回目となった、映画では主人公は年取らないが私は10才も年取ったと述べていた。そして、アンコールとしてシューマンの「トロイメライ」を演奏しますと述べて、静かにこの曲を演奏してリサイタルは終わった。映画の最後にクララが皇帝の御前演奏のアンコールで「トロイメライ」を演奏したのと同じ曲をリサイタルのアンコールでも弾いたので盛り上がった。

お疲れ様でした。良い午後のひとときでした。


茨城県筑西市「あけのひまわりフェスティバル」を観に行く

2023年08月30日 | 街歩き

ゴルフの帰りに、茨城県筑西市明野で開催中の「あけのひまわりフェスティバル」の会場を訪問して、100万本のひまわりを観てきた。開催している場所はひまわりの里の呼ばれているところで、毎年、ひまわりを植えて夏になると多くのひまわりが咲いて、目立つところだった。ゴルフの行き帰りにこの場所を横目でみて、驚いたものだ。

それが多分、コロナのせいで3年くらい、ひまわりの種をまかなかったのだろう、空き地になっているところを車で横切るときに見て残念に思っていた。今年は3年ぶりなので今までにない出店などのにぎわいを見せていて、多くの人が来ていた。300円で切り株5つを持って帰れるサービスもしていた。

ゴルフの帰りだったので、もう夕方で日差しも弱く、雲がかなり出ていたので、見学するには適当な時間だった。ひまわりの背の高さは1.5メートルくらいで、花の形が先日益子で見たひまわりと違う種の部分が小さい品種も多かった。今が全盛期のような気がした。まだ開花していないものも少し見られた。

色は綺麗な濃いオレンジ色で、すべてのひまわりが東の方を向いていたが、下に垂れている花はほとんどなかった。これから垂れてくるのだろう。

30分くらい歩き回り、写真を撮り、家路についた。

お疲れ様でした。


「浅見ゴルフ倶楽部」でゴルフをする

2023年08月30日 | ゴルフ

スポーツ関係の投稿をするので、一言。

8月29日に金子勝彦氏の訃報に接した。享年88才。金子氏はサッカーの実況アナウンサーの草分けとして活躍され、テレビの「三菱ダイヤモンドサッカー」を昭和43年から20年間担当し、解説の故岡野俊一郎氏とともに世界のサッカーを伝えた方だ。平成24年に日本サッカー殿堂入りをした。

「三菱ダイヤモンドサッカー」は私が中学・高校生の時に毎週必ず見てた番組である。イングランドリーグやブンデスリーガーの試合を見て、金子氏と岡野氏の豊富な知識、軽妙洒脱な話しぶりでどれだけ興奮し、啓発されたことか。マンチェスター・ユナイテッド、バイエルン・ミュンヘンなどのチーム、ケビン・キーガン、バンクス、クライフ、ネッツアー、ベッケンバウアーなどの選手の名前は今でも思い浮かぶ。番組のテーマ曲も覚えているし、満員のウエンブリースタジアムの独特の雰囲気などが懐かしく思い出される。

ご冥福をお祈りします。

さて、先日、茨城県水戸市の浅見ゴルフ倶楽部でゴルフをした。お気に入りのゴルフ場だが、久しぶりだ。今日はカートのフェアウェイ乗り入れ可能だった。猛暑なのでありがたい。以前は乗り入れ許可していなかったが乗り入れOKに変更したらしい。評価できる対応だと思う。また、カートにはナビがついていたのも有難い。以前は2グリーンだったが、順次改造して1グリーン化し今は全ホール1グリーンである。これも評価できる。費用は2人で15,000円。

倶楽部ハウスも何年か前にリニューアルして綺麗になっている、ロッカーやトイレ、レストランも綺麗になっているのはうれしい。風呂場はどう改善したのかわからないが、水道やお湯の出力が弱く、湯船の湯の温度がぬるかったのが若干不満だ。

コースは浅見緑蔵設計の素晴らしいレイアウトである。今日は北、中とラウンドしたけど、南も面白いコースだ。比較的広々しており、極端なレイアウトはない。今日ラウンドしたホールでは北の9番のミドルが右ドッグレッグで右の角に大きな池があるのでプレッシャーがかかるホールだった(下の写真)。

グリーンのスピードは9.0フィートであったが実際には8.5フィートくらいに感じた。以前はもっと早く感じたが、この猛暑で短く芝を刈れないのだろう。ただ、グリーンに剥げたところはなく、手入れは完璧だと思った。ティーグラウンドの状態も良かった。今日ラウンドしてよかったと思うのは、ティーグラウンドのティーマークがスコアカード記載の距離と同じ位置に設置してあったことだ。このゴルフ場の姿勢は評価できる。

昼食だが、「いばらき乙女のずるびきうどん」を食べたが、ちょっと思っていた味と違っていた。しかし、ドリンクは飲み放題で有難かった。

今日のラウンドはハーフ2時間15分から20分くらい、途中、ちょっと待たされることがあったが許容範囲内であろう。

楽しめました。


恩田陸「蜜蜂と遠雷」を読む(その3)

2023年08月29日 | 読書

(承前)


(浜コンのHPから拝借)

  • 主人公の一人風間塵の演奏は、作曲家の意図に自分の演奏を合わせていくのではなく、逆に、曲を自分に引きつけていく、曲を自分の世界の一つにしてしまう、曲を通じて自分の世界を再現してしまう、と書いている。難しいが、自分の音楽の世界というものを持っているピアニストしかできないし、それは独りよがりと批判されることもあろうが、風間塵は、鳥は一人でも歌うでしょ、と言っている。
  • この小説ではコンクールを通じてコンテスタントが成長する姿を書いている。経験が少ない若いコンテスタントが多く、コンクールの期間が長いので確かにそういう面があるのかもしれない。
  • 6人が選ばれた本戦ではピアノ協奏曲が演奏されるが、6人全員が違う曲を選んだ、同じ曲を選ぶ人が多いとオーケストラも飽きが生じるという。ショパンコンクールなどはさぞオーケストラは大変だろうな、と書いている。そうかもしれない。オーケストラの責任も重大だが、同じ曲を続けて演奏というのも確かに辛いだろう。
  • また、本戦のピアノコンチェルトは実際にそれを経験したピアニストでないとわからない難しさがあると言う。CDで聴いているのと全然聞こえ方が違う。確かにそうだろう。これは先日観た演奏会形式のオペラの歌手も言っていたことと同じだ。自分のすぐ後ろで演奏している楽器の音が大きく聞えて、それ以外の楽器の細かい音が聞えないという。
  • コンチェルトの中にあるカデンツァは本来即興曲だが、本当に即興で演奏する人はまずいない。こんなことも知らなかった。
  • 主人公の一人明石が、西洋音楽の本場の欧州に行かなくても、それぞれの国にいて学び、そこから出てくる才能があっても良いのではないかと述べている。これもその通りだろう。明石が聴衆賞を取ったと言うことは、そういう時代が迫ってきているのではないか、と書いている。これは、東洋人がなぜ西洋音楽をやるのか、と言う先の問いに対する一つの答えでもあろう。
  • 生物でも何でも進化というのは一時期に爆発的に起こるもので、クラシック音楽もそうだった、きら星のごとく偉大な作曲家が生まれたのは奇跡か、と書いている。確かにそうだ、絵画でも同じだ。マネ以降に出てきた偉大な画家たちの多いこと、驚くしかない。
  • 予選、本戦とも選考が終了して結果が発表された後、審査委員を囲んで懇親会が開かれるという。そこでコンテスタントと委員が話ができるのは大変有意義だろう。こんな素晴らしい運営面の工夫があったとは知らなかった。

(その4、完)に続く


演劇「笑いの大学」を再度観る

2023年08月29日 | 演劇

以前、テレビで放映していた演劇「笑いの大学」(1996年)を観て大変面白いと思った。最近、PARCO劇場で当時と別の俳優で再演されたが、チケットがすぐに売り切れとなり買えなかった。そこで、録画が残っていた96年版のこの演劇を再度観ることにした。

三谷幸喜の傑作二人芝居「笑いの大学」

演 出: 山田和也 
出 演: 西村雅彦(向坂睦男:警視庁保安課検閲係)、近藤芳正(椿 一:劇団「笑いの大学」座付作者) 

この演劇は第4回読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞している。

舞台は昭和15年秋、すでに戦争が始まって世の中が暗くなっていってた時代、劇団「笑いの大学」では新しい演目の上演準備を進めていた。この新作の台本を作ったのは劇団の座付作者の椿(近藤芳正)だが、上演前に警視庁に台本原稿を見せて上演許可を得なければならない。警視庁保安課取調室に呼ばれた椿は検閲係の向坂(西村雅彦)から検閲結果を聞くが、その場面から舞台が始まる。舞台はこの二人しか出演しない。

この検閲係とのやりとりが全部で7日間かかる大変な作業になる。その1日ごとに舞台転換がなされる。そして、この暗い時代に少しでも明るい演劇を上演して世の中のムードを明るくしようと思う劇団と、戦時中に「笑い」をとるなどとんでもない、と考える検閲係とのやりとりが延々と続く。ここを直せ、あそこを直せと注文が出て、徹夜で書き直して翌日持って行くと、次にまた、ここを直せと言ってくる。

そんなやりとりがずっと続くのだが、全然飽きない。例えば、当初の原稿はシェークスピアのロメオとジュリエットをもじった喜劇となっていたが、このご時世に西洋ものはダメだとケチを付け、金色夜叉のもじりに書き変える、そうすると今度はキスをするシーンはダメだから直せと言う。これが次から次へと続くのだが内容が面白いので笑える、そして、最後には・・・

今回、見直してみて驚いた、座付台本作者役の椿を演じているのは近藤芳正(1961生まれ)ではないか。初めて見たときは全然知らない役者だったが、今回観て驚いた、あの映画「紙の月」、TVの「おやじ京都呑み」に出ているあの近藤芳正だ。この頃はまだ若いが、今のイメージと変っていない。この演目では近藤の熱演が光った。公演初日が段々と近づく中で、役者の稽古も必要だし、大幅な台本修正は受け入れたくないという切迫感、しかし下手すると公演中止となるリスク、何とかOKを出してもらうべく必死にもがいている様を面白おかしく演じていた。西村雅彦も検閲係のいやらしさと意外な一面を持つ人物像を実にうまく演じていた。

たった二人だけしか出演しない芝居なのに、ここまで観てる者を引き込むのは三谷幸喜の脚本が良いからだろうし、演出、出演者、その他すべての関係者が100%の力を出し切っているからであろう。私が今まで観た演劇の中では一番面白かった。人気があるので、また、再放送してほしい。


恩田陸「蜜蜂と遠雷」を読む(その2)

2023年08月28日 | 読書

(承前)

  • 近年、演奏家は作曲家の思いをいかに正確に伝えるかということが最重要課題になっている、演奏家の自由な解釈、演奏は歓迎されないと書いてある。ピアノ独奏の場合はそういう悩みがあるが、コンチェルトの場合などは指揮者の方針とどう折り合いを付けるのであろうか。
  • 二つの大戦頃からヨーロッパからアメリカに多数の指揮者や演奏家が逃れた、また戦後アメリカの音楽マーケットが成長して、演奏家も大規模ホールでの演奏、聴衆が望むわかりやすい曲が求められ、難しい曲や細かいニュアンスの出る音などは敬遠された、レコードならまだしも、CDはそのような細かいニュアンスの音を拾うことができないためこの傾向に拍車をかけた、と書いてある。その通りだろう。音楽評論家の石井宏氏は著書「誰がバイオリンを殺したか」で、19世紀以降のこのような傾向がもたらす弊害をいやというほど書いている。マーケットに迎合してクラシック音楽の繊細さがなくなったと。
  • ただ、一方、本書の中では、作曲家の生きていた当時の演奏を再現するだけでは、博物館に入ったミイラを取り出すようなものだ、音楽は現在を生きるものだ、とも書いている。難しい問題だ。
  • 主役の一人、風間塵という規格外のコンテスタントが出てきた時、審査委員も能力が問われる、と書いてあるが、そういう面は確かにあるだろう。審査で落として、後にこの風間塵が成功したら、あのときコンテストでこの子を落とした審査委員の○○だと一生言われるのだろう。審査委員も楽じゃない。
  • コンクールを開催すると言っても簡単でないし、採算が合わない例はいっぱいある、また、権威ある国際コンクールと認知されるためにはジュネーブにある国際音楽コンクール世界連盟に加入しなければならないし、加入したからと言って世界的な認知されるとは限らない、とある。知らなかった。
  • 良いコンテスタントが集まるコンクールは、その時代の国の勢いが反映されると書いている。最近では欧米よりもアジア系が多い。確かにそうかもしれない。その中で日本人は頑張っていると思う。スポーツのように日本人が上位を占めるとルールを変えるというえげつないことを西欧はやってきたが(スキージャンプや水泳など)、クラシック音楽ではそういうこともできないから、アジア人、特に職人肌の日本人は今後もどんどん国際舞台で活躍する人が出てくるだろう。
  • 音楽家は自分がどんな曲が得意か、自分に合っているか、わかっていない、生徒に教えてみて初めて気づくこともあるという。自分が好きな曲と自分に合っている曲は一致しないことがあるという。示唆に富んでいる指摘だ。音楽に限らず、他人が自分をどう見ているのか知らない人が大部分だから仕方ない面もあろう。
  • 主人公の一人、マサルは、自分は演奏もするけど作曲もするコンポーザーピアニストになりたいと書いている。確かに、現代ではピアニストは演奏するだけの人が圧倒的だ。しかし、昔はモーツアルトでもベートーベンにしてもコンポーザーピアニストだった。
  • 更にマサルは、現代音楽の大部分は限りなく狭いところで活動する作曲家と評論家のための音楽になっており、必ずしも弾いてみたい曲ではないと言う。現代音楽は聴衆を感動させないこと、メロディーがあると軽蔑されること、人気がないことを誇ること、人気のある曲を軽蔑さえすることなどを批判している。マサルの考えるとおりだと思う。絵画でも同様な気もするが、我々の理解が少ない面もあるかもしれない。

(その3)に続く


清澄白河のCafe「ALLPRESS(ESPRESSO)」に行く

2023年08月28日 | カフェ・喫茶店

東京都現代美術館に行った帰りに、清澄白河あたりをぶらぶら散策した。目的は洒落たカフェでも探してくつろいで帰ろうと思ったからだ。このあたりには最近、良いカフェで多くできているという。以前、ブルーボトルに訪問したが良いカフェであった。

今回、現代美術館の近くで探そうと思ってGoogleで検索すると、ここが出てきたので、行ってみた。現代美術館から歩いて10分もかからないところだ。静かな住宅街にある。この店はカフェというより珈琲豆を販売店で店頭にちょっとした机とテーブルを置いて喫茶もできる、というコンセプトのようだ。私が訪問したとき、たまたま店内の座席が一つ空いていたので座れた。

この店はエスプレッソを出す店で、ブラックとミルクを入れたものとどちらかから選んでください、とまず言われたので普段ブラックコーヒーを飲んでいるのでブラックの方でといったらLONG BLACK550円というエスプレッソを勧めたれたので、それを注文した。

出てきたものを飲んでみると酸味が強烈に強い特徴あるコーヒーだった。ミルク入りのラテにすればよかったと後悔した。初めての店では酸味か苦みか確認するのが重要な点を忘れていた。結構量も多いが全部飲んだ。店内を見回すと、レジカウンターの後ろのガラス張りの空間には大きな焙煎機があり、そこで焙煎しているようだ。雰囲気は良い。また、コーヒー豆を何種類か販売していた。値段はそれほど高くない。エスプレッソ好きには良い店だろう。

結構人が入ってきた。この付近では人気店なのであろう。若者が好みそうな洒落た店だ。コーヒーを飲んでいる間に夕立が来た。少し雨が弱くなるまでゆっくりコーヒーを飲んで店を後にした。

ゆっくりできました。ご馳走様でした。


恩田陸「蜜蜂と遠雷」を読む(その1)

2023年08月27日 | 読書

恩田陸著の「蜜蜂と遠雷」をKindleで購入して読んだ。文庫本だと上下2巻で販売している。恩田陸は1964年生まれの58才の女性作家だ。過去に彼女の書いた「夜のピクニック」を読んだことがある。「蜜蜂と遠雷」は2017年に直木賞(大衆文学)と本屋大賞のダブル受賞をしている。ちなみに「夜のピクニック」も第2回本屋大賞を受賞している。何かのきっかけか忘れたが、この本がクラシック音楽に関連した小説だと知ったので、読んで見ようと思った。

全体的なストーリーとしては日本で3年に一回開催されている芳ケ江国際ピアノコンクールに挑戦する4人の主人公たちのコンクール開始前から終了までを描いたドラマである。このコンクールは実際日本で開催されている浜松国際ピアノコンクールをモデルにしたもので、著者も小説を完成させるまで4回このコンクールを聴きに行って最初から最後まで客席で演奏を聴いたという。

クラシック音楽業界のことはある程度のことは知っていたが、本書には教えられることが多かった。本書を読んで感じたこと、教えられたことなどを書いてみたい。

  1. コンクールはピアノのうまい人を求めているのではなく、スターを求めていると書いてある。同感である。それは受賞してからも同様であろう。ピアノのうまい人はいくらでもいる、技術以外のプラスアルファで何が必要かを考えない人は世の中で評価されることはないであろう。ショパンコンクール2位を取った反田恭平はそれを徹底的に考えていると思う。
  2. クラシック音楽のファンは高齢化が進み、若いファンの獲得はこの業界の課題であると書いている。そうかもしれないが、若いときからクラシック音楽を聴く人はまれだ。年齢とともに文化的なものや芸術に興味がわいてくるのが自然だ。今後、働き方改革で生産性を向上させ、より余裕のある生活が実現すれば、クラシック音楽を聴く心に余裕のある人も増えてくるだろうし、新興国などが成長していけば、国全体で文化・芸術に興味を持つ人が一気に増える可能性もあるのではないか。
  3. 地方のコンクールなどでずば抜けた才能を持つコンテスタントが出てきて最高点を獲得しても、その人が特定の先生に師事していない場合など、適当な理由を付けられて予選落ちすると書いてある。これは問題であろう。何か国選弁護士みたいに安価で師匠を請け負う制度を作るか、著名な音楽家を配したコンテスタント支援会社を作り、その会社が保証人になるなど何らかの対応が業界として必要でしょう。
  4. この業界でプロとしてやっていける人は一握りで大部分の人はピアノ教師で生計を立てていると書いてあるがその通りでしょう。今年聴きに行った公演で、若い演奏家は海外で入賞しても食べていくのは大変な人が多いと言っていたを思い出した。また、以前も書いたが、ミヒャエル・ハネケ監督、イサベル・ユペール主演の2001年仏映画「ピアニスト」が、そのようなピアニストの狂気を存分に描いている。
  5. ピアノコンクールは乱立状態になっていると書いてある。コンクール以外に有能な音楽家や作家を見いだす手段はないものか。NHKなどがそういう未受賞の無名の演奏家を積極的に放送すべきでしょう。
  6. 日本人演奏家は何で東洋人が西洋音楽をやるのか、というところから考え始めなくてはならないと書いてある。私はもうそんなことは考えなくてい良いと思う。むしろ、なぜ西洋人でなければいけないのかを考えるべきだと思う。例えば、N響の首席指揮者はなぜいつも西洋人でなければいけないのか。もう高い報酬を払って有難く教えを乞う時代ではないだろう。国営放送なので希望者を公募して、プレゼンをさせ、審査をして決定してはどうか。仏人のクラウス・マケラのような有能な若手日本人指揮者を思いきって登用する可能性も持たせるべきだ。
  7. 音楽家として身を立てると、好きな音楽と聴衆から評価される音楽とは違うと書いてあるが、その通りだろう。漱石の「私の個人主義」という文庫本に「道楽と職業」という講演記録が収録されており、「芸術家が職業として優に存在し得るかは疑問として、これは自己本位でなければ到底成功しないことだけは明らかなようであります、およそ職業として成立するためには何か人のためにする、すなわち世の嗜好に投ずると一般のご機嫌を取るところがなければならないのだが、本来から言うと芸術家というものはその立場からして既に職業の性質を失っているといわなければならない」と話している。また、以前書いた樋口一葉も「うもれ木」で、陶芸技術を追求して世に迎合しなかったため、うもれ木のまま終わる陶芸家を描いている。だからこそ、功なり名を遂げた大金持ちは芸術家を支援することが求められると思う。

(その2)に続く


加藤陽子「それでも、日本人は戦争を選んだ」を読む(その3、完)

2023年08月26日 | 読書

(承前)

さて、今回は本書を読んで、これは違うのではないか、と感じたところが多くあったので、そのうち一つだけ書いてみたい。

  • 本書の結末の部分で加藤教授は、本屋に行くと「二度と謝らないための」云々等の刺激的な言葉を書名に冠した近現代史の読み物が積まれているが、それらの本は戦争の実態を抉る「問い」が適切に設定されていない、史料とその史料が含む潜在的な情報すべてに対する公平な解釈がなされてない、と書いている。
  • 刺激的な言葉を書名に冠しているのは本書も同じではないか。そして、戦争の実態を・・・の部分はそのまま加藤教授の本書にも当てはまると思う。
  • 例えば、加藤教授は本書の冒頭で、時々の戦争は、国際関係、地域秩序、当該国家や社会に対していかなる影響を及ぼしたのか、また時々の戦争の前と後でいかなる変化が起きたのか、本書のテーマはここにあります、と書いてあるが、この加藤教授の「問い」の設定こそ適切でないのでは。
  • すなわち、戦争がまずあるのではなく、日本を取り巻く国際情勢の大きな変化や脅威の増大が先にあったのではないか。日本軍のほめられた行動ではない所だけをことさら強調し、執拗に非難する一方、西洋列強の長年にわたる非白人国家への侵略、植民地支配、搾取、虐待などの悪意ある行動を非難しないし、その脅威が極東に及んできた状況を詳しく述べないのは歴史を総合的に見る視点を欠いている。
  • 満洲への分村移民、謀略による満州事変の勃発、捕虜の扱いなど、事実を究明すべく多くの文献を調べ、その研究成果も緻密で素晴らしいが、巨視的に世界情勢の変化を見て、いろんな角度から検討を加えて説明してこそ、歴史をより深く理解できると思われる。

国の歴史は個人の来し方と同様、ほめられたことばかりではないだろう。しかし、本書は教授が信ずる悪い点のみを必要以上に強調し、もう反論ができない先祖(軍部など)を非難ばかりして、見下してさえいる。本書のような歴史教育は、行き過ぎた贖罪意識を日本人に植え付け、日本人としての誇りを失わせ、国家に対しても良い影響を与えないであろう。

(完)


「デイヴィット・ホックニー展」を観に行く

2023年08月26日 | 美術

江東区の東京都現代美術館で開催中の「デイヴィット・ホックニー展」を観に行ってきた。デイヴィット・ホックニーは知らない画家だった。シニア料金で1,600円。結構混んでいた、来場者は若い人が多かった。

テイヴィット・ホックニーは1937年、英国生まれの86才、ロンドンの王立美術学校に学んだ後、米ロサンゼルスに移住した、現在は、フランスのノルマンディーを拠点に精力的に制作活動をしている現役の画家だ。96年にもこの現代美術館で個展を開催し、今回はそれ以来の27年ぶりの個展だ。120点余の作品が展示され、公式の映像コメントでは、作家本人が「私の人生の大半をたどることができます」と語っている。確かにそうだった。

今回の展示は、全8章からなる、簡単な感想をつけてみた

  1. 春が来ることを忘れないで・・・「ラッパスイセン」が綺麗
  2. 自由を求めて・・・1960年代初頭からの初期作品が並ぶ
  3. 移りゆく光・・・カリフォルニア移住時の作品、プールや庭のスプリンクラーを描いた作品が印象的
  4. 肖像画・・・ふたりの人物で画面を構成する「ダブル・ポートレート」、友人などを描いた肖像画を展示
  5. 視野の広がり・・・1980年代に訪れた転機に焦点を当てる、ピカソのキュビズムに影響を受ける
  6. 戸外制作・・・巨大な作品《ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作》が圧巻
  7. 春の到来、イースト・ヨークシャー・・・「春の到来、イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年」(下の写真)が圧巻


  8. ノルマンディーの12か月・・・全長90mの大作《ノルマンディーの12か月》に驚く(下の写真)


観た感想を述べよう

  • イギリス、カリフォルニア、ノルマンディーという気候が全く違う3カ所で制作された作品の違いがよくわかる展示となっている。ウォーター近郊の大きな木々の冬景色がなんともイギリスらしいし、青い芝生のある庭の「スプリンクラー」や「午後のスイミング」がいかにもカリフォルニアらしい、またノルマンディーの12ヶ月の季節の移り変わりは、印象派を生んだフランスらしい景色だ
  • 作品の中ではその大きさゆえ、「ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作」に驚く、これは50枚のキャンバスから成る巨大な作品で展示室の1面を全部埋め尽くす大きさ。同じ展示室のビデオで作者自身が制作過程を解説しているのはありがたい。写真が撮れないのが残念。
  • 次に圧巻なのは全長90mの大作「ノルマンディーの12か月」だ、大きな展示室の中をぐるりと一周するように展示してある。中国や日本の巻物に影響を受けたのだろう。1年間かけて戸外で描いた220点のiPad作品をもとに、モチーフを選び取り再構成し絵巻物状の作品としたものだ。こんなの初めて見た。
  • ピカソの影響を受けた時代には、やはりキュビズムのピカソの絵のような作品が多いが、比較的カラフルであった
  • 高齢となり、コロナの影響も受けた最近でも制作意欲が全然衰えないのがすごい、更にiPadなどの最新の文明の利器を利用して絵を描くというところもすごいものだ。
  • 今なお現役の作家であるが、抽象画ではなく具象画にこだわった制作姿勢が好きだ、描かれているものは実にオーソドックスなもので、観てる人に不安感を抱かせるようなものはなく、しあわせな気分にさせる絵が多い。
  • 日本にも来て、龍安寺を訪問したり、いろんな影響を受けたと思われる点がうれしい、北斎の浮世絵の雪景色のような絵もあった。

さて、最後に運営面へのコメントを書いておこう

  • 展示室は3階と1階だが、写真撮影は1階のみ可能だった。1階には大作も多くあるので、この対応は評価できる。
  • 展示作品の作品リストが紙の配布ではなく、QRコードで読み取るものだったのは進歩的であり評価できるが、紙の配布を前提にしたデザインでないため、一覧性にかけるところは課題であろう
  • ユース向け鑑賞ガイドが紙で配付されるが、ネットでも見れるようにしてほしい
  • 展示作品の説明の小さなパネルの文字が小さい、位置もかがんでみないと見えない低い位置にあった、なぜその位置にしなければならないのかわからない
  • 館内の冷房温度が低すぎ、寒く感じた、作品保護上の理由なのだろうか、電気代も高いので温度設定を見直してほしい

観に行く価値はあると思う。東京都現代美術館は展示室も多く、現代美術の室外展示や中庭展示などもあり、ゆっくり観たい人には1日かけるくらいの内容がある。