ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

目黒パーシモンホール「フレッシュ名曲コンサート」を聴きに行く

2024年03月21日 | クラシック音楽

目黒パーシモンホールの「フレッシュ名曲コンサート」に行ってきた。このホールは初訪問だ。目黒駅の近くかと思ったら都立大学が最寄り駅だった。S席、4,000円。15時開演、17時過ぎ終演。ほぼ満席に見えた。公演に先立ち、14:30から大ホールステージにて東響メンバーによるミニコンサート《ウェルカムコンサート》があったが、歩いて近くの駒沢オリンピック公園に行きたかったのでパスした。

会場の目黒パーシモンホールだが、パーシモンというのは「柿」のこと、ホールの付近は「柿の木坂」という地名、この柿を使ってパーシモンホールと命名したそうだ。ゴルフファンはパーシモンといえば昔のドライバーやフェアウェイウッドのヘッドがパーシモンであることでこの言葉は知っているが最近のコルファーは知らないだろうが。

このホールのホワイエにはカフェがあり、休憩時間には珈琲などを売っていたが、値段が350円だったか、安いので驚いた、目黒区の施設だからだろうか。

演目
シベリウス|交響詩「フィンランディア」
シベリウス|ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.47
チャイコフスキー|交響曲第5番 ホ短調 op.64

指揮
太田弦

バイオリンソリスト
中野りな

管弦楽
東京交響楽団

指揮者の太田弦は、1994年札幌市に生まれの30才、幼少の頃より、チェロ、ピアノを学ぶ。東京芸術大学音楽学部指揮科卒業、同大学院音楽研究科指揮専攻修士課程卒業。2015年、第17回東京国際音楽コンクール〈指揮〉で2位ならびに聴衆賞を受賞。これまでに読売日本交響楽団、東京交響楽団など多くの楽団を指揮。2019年4月から2022年3月まで大阪交響楽団正指揮者を務め、2023年4月より仙台フィルハーモニー管弦楽団指揮者に就任。2024年4月からは九州交響楽団の首席指揮者に就任予定の新進気鋭の若手指揮者だ。

バイオリンの中野りなは、2004年生まれの20才、東京都出身。3歳よりバイオリンを始め、桐朋女子高等学校音楽科卒業後、2023年4月より桐朋学園大学「ソリスト・ディプロマ・コース」及び、9月からはウィーン市立芸術大学にも在学。現在、辰巳明子、カルヴァイ・ダリボルに師事し研鑽を積む。2014年、第68回全日本学生音楽コンクール東京大会(小学校の部)優勝ほか数々の賞を受賞している。

今日の演目で注目したのは何と言っても中野りながバイオリンソリストを務めるシベリウスのヴァイオリン協奏曲だ。この曲はおなじみの名曲喫茶「バロック」のホームページで推薦版LPに挙がっている「ジュネット・ヌヴー(ヴァイオリン)、フィルハーモニア管弦楽団、ブラームス・シベリウス ヴァイオリン協奏曲」を見てCDを買い、結構聴いていたからである。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲はブラームスやベートーベン、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のようなわかりやすい曲ではないが、何回も聴き込んでいくうちになんとも言えない良さを感じてくる地味な曲だ。当日もらったプログラムノートの説明によれば、この曲は彼の唯一の協奏曲で、彼が当初ヴァイオリニストを志し、高度な技術を身につけたことが大きく影響しているとのこと。また、この曲は1903年に作曲後、翌年2月に大幅に改訂されて現在の形になった。彼の音楽はフィンランディアなどの国民楽派的な作風から透明感漂う簡潔な作風に変化するその前後にまたがる曲で、両方の要素を持った音楽となっている、と説明されている。

ステージに現れた中野りなは結婚式の新婦を思わせる純白のドレスを着て、素直で真面目そうで、聡明な感じのお嬢さんであり、その出で立ちには若いのに気品を感じた。一礼したあと、指揮者の太田弦と目配せし、演奏が始まると、彼女の実にきれいな、上品なヴァイオリンの音が響いた。見た目の印象とヴァイオリンの音色が見事に一致していた。常に冷静さを保ち、汗だくになって演奏するようなスタイルではなく、あくまでも上品に優雅に演奏していたように見えた。

ホワイエでは彼女のCDが販売されており買った人には終演後サイン会に参加できると案内されていた。もうCDを出すまでになっていたのかと驚いた。そして、アンコールに「パガニーニ24のカプリース第24番」を演奏してくれたが、これがもう素晴らしいというか、カッコイイというか、聴衆の唸らせかたを知っている憎いやつ、と言いたくなるくらい感激した。演奏の途中ピチカートでしばらく演奏するところなど、カッコイイよく決まっていた、こんなに決まった演奏は初めて観た。恐れ入りました。もうこれだけで今日の公演は満足しました。

さて、開演前にせっかくここまで来たのだから駒沢オリンピック公園に一度行ってみようと思い、行ってみた。ホールからさらに15分くらい歩く。大きな広場のある公園をイメージしていたが、到着して見ると野球場やテニス場など競技施設がかなりの敷地面積を取っていて、ちょっと戸惑ったが、良いところであった。パーシモンホール周辺から駒沢公園あたりの一角は高級住宅街であることもわかった。結構金持ちが多く住む地域であり、意識高い系のクラシック音楽ファンが多いのも分かる気がした。ホールが満席になるはずだ。

楽しめた1日でした。


佐伯周子ピアノ・リサイタルを聴きに行く

2024年02月10日 | クラシック音楽

東京文化会館小ホールで開催された佐伯周子第32回(ピアノ)リサイタルに行ってきた。3,000円、席は自由席。19時開演、20時50分終演。サブタイトルに「べーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソナタ全曲演奏会Vol.3」とある。

この「べーレンライター新シューベルト全集」についてちょっと調べてみると、ドイツの出版社であるべーレンライター社が出版したシューベルトの全楽譜集で、シューベルトの全作品を包括的に収録しており、未完の作品も含まれているものだ。1997年頃全巻が揃った。

佐伯周子は、宮崎市出身、洗足学園音楽大学大学院修了。これまでに、宮村京子、阪本幹子、林美奈子、矢野裕子、小林仁に師事。2016年11月シューマンのピアノ協奏曲をアンサンブル金沢と共演。2004年より「シューベルトピアノソロ曲完全全曲演奏会」を行い2019年に全26回完結。チェコ音楽コンクール2010年第1位。伊福部昭氏との縁をもとに現代曲の演奏、また近年では室内楽にも力を入れている。

今日の公演は、「シューベルトピアノソナタ完全全曲演奏会 全8回連続演奏会」を2028年シューベルト没後200年に向けて遂行中のうちの第3回目だ。

曲目

シューベルト:

ピアノソナタ 10番、嬰へ短調 D571+D570
ピアノソナタ 8番、イ長調 D664
ピアノソナタ 16番、イ短調 D845

当日配布されたプログラムに書かれた曲の解説では、

D664は技術的には易しく、可愛らしいソナタの作曲を要請されて作ったもの、第2楽章主題再現部が小さく変奏されている。D845は変奏曲とロンドで人気のあったシューベルトがその両方を楽曲に盛り込んだ作品。第1グランドピアノソナタと呼ばれる。この曲以降のソナタ・弦楽四重奏曲・交響曲の「時間的な大きさ」を確立した曲。

彼女の演奏を聴くのは初めてだし、曲目も初めてで、ぶっつけ本番で聴きに行った。ただシューベルトのピアノが好きだと言う理由のみで選んだ公演だったが、実際に聴いてみて良い曲だったし、彼女の演奏も素晴らしいと思った。

さて、この日の彼女の演奏会だが、東京文化会館の小ホールに集まった客は100人もいなかったかもしれない。東京に雪が降った翌日の交通の混乱を心配し、チケットを買ったけど来なかった人も少なくないかもしれないが、見た感じがら空きだった。これではあまりに寂しい。

本人はもとより、主催者、後援者としてパンフレットに載っている組織の人たちがもっと動員をかける必要があったのではないか。そういう努力が十分でなかったのではないか。SNSやいろんな手段で少なくとも半分くらい埋まるようにすべきだろう。こういったところも改善してほしい。

ネットで調べるとYouTubeには彼女のアカウントがあるがアップされている動画はわずかで訪問者も2桁しかない。Facebookもあるが投稿が少ない。Xなどをもっと有効に使うべきではないか。うまく使っているピアニストや音楽家は多いので参考にしてはどうか。練習が大変でそんなことやっている時間はないし知識もないよ、ということかもしれないが、まわりの詳しい人にサポートしてもらうとか、もっと努力しないといけないのではないか。

今夜の公演のプログラムを読むと、曲の解説などが書いているが、非常にわかりにくかった。もっと素人にもわかりやすい書き方が必要ではないか。特にピアノソナタ10の説明は素人には何を言っているのか全くわからなかったし、シューベルティアーデ推移というのが書いてあるが、なぜ唐突にこれが最初に紙幅を取って書いてあるのかよくわからない、その後の曲の解説も難しい。

一方、この夜の公演では途中、休憩時間が1回あり、その際、ホワイエで飲み物はワインなどすべて無料とのアナウンスがあった。これは粋な配慮というものだろう、関係者がこのくらいの知恵が働くなら、もっと他にも知恵を出して彼女をサポートしてほしい。

また、この日の公演では、3曲演奏した後、拍手に答えてアンコールを1曲弾いてくれたが、その前に来場の御礼とアンコールの曲の紹介を彼女自らの声で話したが、これは良いことだ。これについても、もう少し話す時間があっても良いのではないか、シューベルトに対する思いとか、何でも良いのだ、来ている人は彼女がどういう人なのか、話を聞いてその人柄や音楽に対する考え方の一端でも知りたい。そうしたことをやって少しでもファンを増やして欲しい。

今夜の終演後、彼女はホワイエに出てきて聴きに来てくれた友達などと談笑していたが、これも良いことだ。一般の人にもどんどん声をかけて欲しい。見たところずけずけと人前に出ていって話すようなタイプの女性ではないようだが、積極性も時に必要だ。自分をどんどんさらけ出して欲しい。きっとファンが増えると思う。

最近売れっ子の藤田真央の小説「指先から旅をする」を読んだら、彼がヨーロッパでリサイタルをした当初は座席が1割か2割くらいしか埋まらなかったと書いてあった。それにもめげずに彼は頑張った。私は多くの日本人音楽家を応援したい。もっと多く集客できて、チケットの値段ももっと高くても売れるようになって欲しい。今後も、日本人の公演を聴きに行って支援したい。彼女の来年の第4回の公演も絶対に観に行くので、いろいろ改善の上、是非頑張ってもらいたい。


読響「第263回日曜マチネシリーズ」を聴きに行く

2024年01月22日 | クラシック音楽

東京芸術劇場で開催された第263回日曜マチネーシリーズを聴きに行ってきた。今日は2階のA席、6,000円。14時開演、16時前終演。ヴァイグレ指揮の読響の演奏を聴くのは初めてだ。客席は1階はほぼ満員、2階・3階は8割方の埋まり具合か。来ている人の平均年令は高めに思えた。

出演

指揮=セバスティアン・ヴァイグレ(独、61)
クラリネット=ダニエル・オッテンザマー(墺、37、ウィーンフィルのクラリネット奏者)

演目

ニコライ:歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序(8分)
ウェーバー:クラリネット協奏曲第2番 変ホ長調 作品74(19分)
(アンコール:ダニエル・オッテンザマーによる即興演奏)
ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68「田園」(39分)

ウェーバー(英、1826年6月、39才没)のクラリネット協奏曲第2番を聴くのは初めてだ。事前にYouTubeで予習してみると結構親しみやすいメロディーだ。ループ再生にして午前中に読書をしながらBGMで何回も聞いていると、良い曲だなと思った。俄然、芸術劇場で聞くのが楽しみになってきた。

当日もらった読響のノーツを読むとウェーバーはクラリネット奏者のベールマンのために小協奏曲を作曲し、ミュンヘンで初演された際、バイエルン王が感嘆し、直ちにウェーバーに2曲の協奏曲を作曲するように求め、できたのがクラリネット協奏曲の1番と2番(いずれも1811年)であると書いてある。ただ、これ以降ウェーバーはオペラの方に興味を移していき、「魔弾の射手」は1821年初演である。

この曲を何回か聞くうちに何となくこの曲は何も知らされなければモーツアルト(1791年没)の曲ではないかと思えてきた。曲全体のムードもそうだし、部分的にもフィガロの結婚のようなメロディーもあり、ウェーバーはもしかしたらモーツアルトを意識して作曲したのではないかと思えてきたがどうであろうか。

クラリネットのダニエル・オッテンザマーはさすがウィーンフィルのメンバー、素晴らしい演奏だった。そして、アンコールで即興演奏をしてくれた。静かな曲でまるで尺八を吹いているように感じた。ところがその静かな演奏中、2階の私の席の直ぐ側で携帯の通知音であろうか2回も鳴らした不届き者がいたのにはがっかりした。

本日のメインは何と言ってもベートーベンの「田園」である。「田園」は私がクラシック音楽を聴き始めた40才頃からずっと聴き続けている曲であり、いろんな思いがある。以前、「田園」について思うところを当ブログで書いた(こちらを参照)が今日は少し別の観点から「田園」について述べたい。

ベートーベンの「田園」で思い出されるのはウィーン郊外のハイリゲンシュタットだ。田園交響曲の田園とはハイリゲンシュタットのことだ。ベートーベンはこのちいさな町をよほど気に入ったらしく11回も滞在した。そして、この町で「田園」の楽想をふくらませ作曲した。

問題は「ハイリゲンシュタットの遺書」のことだ。これはベートーベンが難聴を苦にしてハイリゲンシュタットで遺書を書き(1802年10月)、死のうと思ったが、死ななかった。その理由はわからないが作家の宮城谷昌光氏は「死にたいと思ったが、死のうとはしなかった、そして第5交響曲と第6交響曲を書いた、このあたりの微妙な心理の襞が重要だ」と書いている(「クラシック千夜一曲」)

このハイリゲンシュタットの遺書を書いた家が今ではベートーベン記念館となっている。ウィーン旅行に行ったとき是非ハイリゲンシュタットに行きたいと思い、シェーンブルン宮殿に行く時間を惜しんでハイリゲンシュタットのベートーベン記念館を訪問した。ただ、ベートーベンが歩きながら「田園」の構想を練ったことで知られる「ベートーベンの散歩道」が近くにあったが、嫁さんが朝から歩き回ってもう疲れたと言うので行くのは諦めたのが残念だった。


(ベートーベン記念館訪問時の写真から)

今日のヴァイグレ指揮の読響の演奏だが、「田園」については自分の評価基準が確立されており、すなわちベーム指揮の「田園」かトスカニーニ指揮の「田園」を理想とする、それと照らしてどうか、という判断をするのを常とするが、今日の演奏は合格点だと思った。私が注目するのは第5楽章だが、今日の演奏は素晴らしく、身も心も演奏に捧げることができた。ヴァイグレはなかなか良い指揮者だと思った。

終演後、出口のところで指揮を終ったばかりのヴァイグレが能登半島地震の義援金寄付の箱を持って立っていたのには驚いた。私は既に石川県指定の口座に直接振込済みであるので通り過ぎたが、ヴァイグレさんも偉いものだ。

 


東京芸術劇場「名曲リサイタル・サロン第28回辻󠄀本玲」を聴きに行く

2024年01月18日 | クラシック音楽

東京芸術劇場で開催された名曲リサイタル・サロン第28回辻󠄀本玲を観に行ってきた。2階席、2,400円。11時開場、12時過ぎ終演。1階席はかなり埋まっていたが2階席、3階席は空いている席も多かった。客層は中高年の女性が多かったようにみえた。

出演

辻󠄀本 玲(チェロ)
吉武優(ピアノ)

出演を予定していたピアニスト沼沢淑音は怪我のため出演できなくなり、代わって吉武優が出演となった

プログラム

  • S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番よりプレリュード(4分)
  • フランク:チェロ・ソナタ(28分)
  • ピアソラ:ル・グランタンゴ(12分)

アンコール

  • ラフマニノフ:ヴォカリーズ

ナビゲーター:八塩圭子

この公演の良いところはナビゲーターがついていて出演者にいろいろ質問して出演者の人となりがわかるところである。今日も八塩さんが二人にいろいろ日頃の活動のこと、リハーサルの模様、二人の初共演のきっかけ、好きな食べ物などを聞き出していて、面白かった。辻󠄀本氏はN響の首席チェリストであるとともにチェリストだけの6人のグループを率いていることなど知らなかった。二人とも焼肉が好きだと言っていたのはまだ若い証拠だろう。今日の公演の選曲方針を質問され辻󠄀本氏は、これだけ大きなホールで室内楽の公演なので盛大な(と言ったと思うが)雰囲気の曲を選んだと説明していた。

さて、演目だが、今日のメインはフランクのチェロソナタであろう。私はこの曲が好きだ。NHKのクラシック倶楽部でもこの曲を取り上げるバイオリニストが多いのでよく聴く機会があるのだ。当日配布されたプログラムノートの説明によれば、フランクはベルギー出身だが19世紀から20世紀にかけてフランスで活躍した。そしてこの曲はベルギー出身のバイオリンの名手ジェーヌ・イザイの結婚祝いに1886年に作曲された作品である。

このチェロソナタはバイオリンソナタとして作曲されたものであったが、その美しい均整の取れた音楽はチェリストにとっても憧れで次第にチェロでも演奏されるようになったとのこと。チェロで演奏されるのを聞くのは初めてだ。確かにこのように当初作曲家が意図した楽器と違う楽器で演奏されるのは良くあることなのだろう。例えば、私の好きなシューベルトの「アルベジオーネ・ソナタ」はアルベジオーネという弦楽器で演奏される前提で書かれた曲だが、現在ではバイオリンやチェロで演奏されている。

全体は4楽章から構成されているが、私が好きなのは第4楽章だ。チェロとピアノのかけ合いのような緊張したメロディーが続き、最後に向って盛り上がるからだ。辻󠄀本氏が言っていた大ホールで演奏するに相応しい音楽とはまさにこれだと思った。

さて、今日の公演ではこのチェロソナタの第2楽章が終わったところだと思うが、客席から盛大な拍手が起こったのでびっくりした。「あれ、今日は2楽章で終っちゃうの?」と思ったが、辻本氏らは冷静に第3楽章に移っていった。途中で拍手してはいけないと言うことはないので問題はないのだが・・・

あと、今日の辻󠄀本氏の演奏だが、曲を演奏しているときに右足でトントン床を叩いてリズムをとっていることがあった。その音が結構大きく、2階席にいる私にも聞えてきた。私は気になるのだが、これも必ずしも非難されるべきことではないのだろう。ピアニストなどでも同様な人はいるし、声を出して弾く人もいると思った。

最後のピアソラであるが、ご存知アルゼンチンタンゴの作曲家兼バンドネオン奏者である。タンゴだけでなく、クラシックの演奏家に依頼されて作曲した作品の数多くあるようだ、今日の演目もそうだ。これはチェリストのロストロポーヴィチに依頼して作曲したものだ。ピアソラらしさが随所に出ていた曲だと思った。

1時間ちょっとの昼休みの公演だが、最後はアンコールまで弾いてくれたのはサービス精神旺盛で感心した。また、ピアニストの吉武優氏はピンチヒッターにもかかわらず、素晴らしい演奏を披露してくれた。インタビューを聞いていると、どうも辻󠄀本氏の方が大先輩のような感じで遠慮していたようにみえたが、演奏の方は堂々と難しいチェロソナタを弾きこなしていたように思う。今後の活躍を期待したい。

楽しめました。

 


都響「第991回定期演奏会」(ブルックナー生誕200年記念)を聴きに行く

2024年01月14日 | クラシック音楽

東京芸術劇場で開催された東京都交響楽団第991回定期演奏会Cシリーズ(ブルックナー生誕200年記念)に行ってきた。今日はS席、6,600円。座席は若干の空席があったが、9割くらいは埋まっていたのではないか。

演目

モーツァルト/ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491
ブルックナー/交響曲第1番 ハ短調 WAB101(1891年ウィーン稿)

出演

東京都交響楽団
指揮:下野竜也
ピアノ:津田裕也

ピアノの津田裕也氏は、仙台市生まれ、05年東京藝術大学を首席卒業、10年東京藝術大学大学院修士課程を首席修了、11年ベルリン芸術大学を最優秀の成績で卒業。既に数々の賞を国内外で受賞しており、また、国内及びドイツの主要オーケストラとの競演、ソロリサイタルの開催、デュオやトリオを組み演奏やCDの発売などもしている。細身の体で繊細な感性をお持ちのように見えた。

さて、今日の演奏であるが、演奏開始前に能登半島の地震により亡くなった方々に捧げる追悼演奏をやりますとアナウンスがあり、バッハの管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068より「エア」(G線上のアリア)が演奏された。

モーツァルト/ピアノ協奏曲第24番、ハ短調 K.491。

モーツァルトのピアノ協奏曲の中で、ニ短調の第20番とともに短調をとるこのハ短調の作品は、1786年3月24日に完成したもの。私はモーツアルトの2つの短調のピアノ協奏曲はいずれも大好きだ。モーツアルトの短調の作品はただ暗い、もの悲しい、重いなどのイメージだけでは語れない、そういった中にも「美しさ」とか「やさしさ」を感ずるのである。本作品の第2楽章はホ長調であるが本当に素晴らしい癒やしのメロディーだ。今日の津田氏のピアノはその辺の所を良く演じていたと思う。

作家の百田尚樹氏は「この名曲が凄すぎる」(PHP)の中で、モーツアルトの短調はいずれも恐ろしいまでの傑作だとし、本当はモーツアルトの心の底から生まれる旋律は短調ではなかったかと述べている。そこまで私はわからないが、やはり24番は素晴らしいと感じた。

ブルックナー/交響曲第1番 ハ短調 WAB101(1891年ウィーン稿)

私はこの曲を聴くのは初めてだ。特に事前に予習としてCDを聴いてきたわけではないが、都響のホームページに出ている曲目の解説によれば、この1番交響曲は「全体の壮大な構成など以後のブルックナーの交響曲を特徴づけることになるいくつかの手法や性格が示されいる。初演は1868年5月、成功したとも失敗したとも評されているが、その後長らく演奏される機会がなかったが、1890年3月からこの第1番の改訂作業に入り、1年以上かけてこれに取り組む。こうして装い新たにされたのが改訂稿(ウィーン稿)だ、2つの稿の大きな相違点はオーケストレーションにあるため、当然ながら両稿の異同も主として響きの違いにある」とある。

この説明を読んだ上で本日の演奏を聴いてみたが、第一印象は良い曲だと感じた。後のブルックナーの交響曲を思わせる雄大さも感じた。演奏時間は50分の長さだったが、集中力を維持して聴けた。ただ、初稿(リンツ版)との違いなどはわかるわけもなく、指揮の下野竜也がウィーン稿をどう解釈して指揮するかが注目されるとホームページに書いてあったが、そこまでの知識はないのでこれ以上の感想は述べられない。

ブルックナーは今まで多く聴いてきたわけではない、CDで持っているのも4番、7番、8番だけだ。8番は朝比奈隆指揮の大阪フィル版とショルティ指揮のウィーンフィル版があるが、いずれも良い曲だと思っている。私の敬愛する宇野功芳氏もモーツアルトに加えブルックナーを絶賛しているので、今後もっとじっくりと聴いていきたい。

楽しめました。

 

 


「日本フィル 第248回芸劇シリーズ」を聴きに行く

2023年11月30日 | クラシック音楽

東京芸術劇場で開催された日本フィルハーモニー交響楽団 第248回芸劇シリーズを聴きに行ってきた。今日はS席、7,000円。ほぼ満席だった。

演目は、

山清茂/管弦楽のための木挽歌(こびきうた)
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 op.26
チャイコフスキー/交響曲第6番 ≪悲愴≫ ロ短調 op.74

指揮:カーチュン・ウォン(37、シンガポール、桂冠指揮者兼芸術顧問のアレクサンドル・ラザレフの来日中止により交替)
福間洸太朗(Pf)
日本フィルハーモニー交響楽団

ピアニストの福間洸太朗(41)は、日本フィルのHPによれば、20歳でクリーヴランド国際コンクール日本人初の優勝およびショパン賞受賞、これまで国内外の著名オーケストラと多数共演、50曲以上のピアノ協奏曲を演奏してきた。OTTAVA、ぶらあぼweb stationでの番組パーソナリティを務め、自身のYouTubeチャンネルでも、演奏動画、解説動画、ライブ配信などもしている。5か国語を操り国内外で活躍中とのこと。SNSをうまく活用しており、その点評価できる。今活躍する日本の若手・中堅ピアニストの一人だろう、たいしたものだ。

今日の演目について、

管弦楽のための木挽歌は

  • 木挽き職人が材木を切り、終わって村に帰って詩を唄い、それが盆踊りになり、都会でも流行し、民謡の持つ力を称える、という物語を音楽にしたもの。和太鼓なども使って古くからある旋律を使ったメロディーは親しみが持てた。

プロコフィエフのピアノ協奏曲3番は、

  • 「蜜蜂と遠雷」のコンクールの本選でマサルが弾いた曲だから興味があった。プロコフィエフは1918年にソ連を去り、1932年に復帰する。彼の曲は難解なものが多かったが復帰後は一般大衆に受け容れられる平易さを持つものに変容していった。
  • この3番は1921年に完成したのでまだ難解な曲を書いているときの作品だ。確かに簡単に理解できない曲だと感じた。福間のピアノの手の動きが座席からよく見えたが、いかにも難しそうな感じがピアノを弾けない自分にもよくわかった。

チャイコフスキーの悲愴は

  • 彼自身「私の一生で一番よい作品だ」と言ったと伝えられているそうだ、悲愴という表題はからの甥のダヴィドフが考え、チャイコフスキーも同意したもの。結構頻繁に演奏される人気曲だろう。宇野功芳氏もチャイコフスキーの交響曲で何か指揮しろと言われれば、この6番を選ぶと言っている。
  • この曲で面白いと思うのは、第3楽章の終結部分がまるで通常の交響曲のフィナーレのような盛り上がりがある所だが、実はそこで終わりではなく、次に哀切さ、嘆き、苦悩で満ちた第4楽章があり、最後は静かに終わる所だ。宇野功芳氏はそれを「絶望のうちに幕が閉じる」と言っている。そして彼自身の人生も初演後8日目に急逝して終わってしまう。彼の死因についてはいろいろ議論があるようだ。
  • 作家の百田尚樹氏の「この名曲が凄すぎる」によれば、この第4楽章の終結部は悲しみと絶望の深い夜の森の中で尚も希望にすがりつきながら、一人の男がさまよい歩く音楽に聞える、という。氏によれば、チャイコフスキーは生涯で12回の鬱病にかかっているそうだ。
  • この曲を聴いての感想だが、終結部の解釈より、第1楽章から第3楽章までの演奏で、時に大音響で演奏される部分が多く、喧しすぎるのではないかというもの。これは楽譜通りの演奏なのだろうが、あまりの大音響での演奏はどうかなと感じた。

少し気になったこととして、最初にオーケストラメンバーが舞台に揃って、後はコンマスを待つだけになったが、なかなか出てこなかった。何か事情があったのだと思うが「どうしたんだろう」と思った人は多かったのではないか。

今日は全曲終演後の写真撮影OKだった、その旨を公演会場にも配布されたプログラムの表紙にもハッキリとわかるように書いてあったのは高く評価できる。

さて、今日の公演前の昼食は、地元の駅前の日高屋で野菜たっぷりタンメン570円を食べた。この店も大好きだ、安くておいしい。本当に日本は素晴らしい国だ、こんなにうまいものが安く食べられるなんて。


「東京芸術劇場マエストロシリーズ 井上道義&読売日本交響楽団」を聴きに行く(一部修正あり)

2023年11月21日 | クラシック音楽

東京芸術劇場に「マエストロシリーズ、井上道義&読売日本交響楽団」を公演に行ってきた。今日は3階のB席、7,000円。ほぼ満員だったか、幅広い年令層が来ていたように見えた。

マーラー/交響曲第2番 ハ短調 「復活」

指揮:井上道義
ソプラノ:髙橋絵理
メゾソプラノ:林 眞暎(池田香織が病気療養のため降板)
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:読売日本交響楽団

劇場の説明では、コンサートホールの音響や空間を活かした公演として、これまで大編成の管弦楽作品を軸にマーラーの交響曲を数多く取り上げてきた、井上道義は、当シリーズに過去3度出演。第8番「千人の交響曲」(2018)、第3番(2019)、「大地の歌」(2021)と、マーラーの声楽付き交響曲を指揮してきた、そして2024年12月に指揮活動からの引退を表明する中、シリーズの完結編としても相応しい第2番「復活」が今回の演目として選ばれた、とある。

マーラーの交響曲2番だが、当日もらったプログラムによると、

  • 1894年に完成、1895年12月にベルリンにてマーラー指揮、ベルリンフィルによって初演され大好評だった。
  • 初演の12年後、マーラーはウィーンを追われ、アメリカに行くが、1907年ウィーンフィルとの最後の演奏会でこの曲を選んだ
  • この80分にわたる長大な交響曲のほとんどは、最後の合唱部に向けての「予兆」であり、その最後においてとてつもなくまばゆい光彩を放つ、それはマーラーの他の作品ではない類いの光だ
  • 終楽章の詩のうちクロプシュトックの2節で「よみがえり」を語っている。

宇野功芳氏は、2番について

  • 5番以降の観念的なシンフォニーへの前ぶれを感じさせると同時に、彼の特質である美しいメロディにもあふれ、それが効果的なオーケストレーションによる美音の氾濫と結びついて、あたかも壮大な壁画を見るような感動を与えてくれる
  • 第4楽章は大きな苦悩の中にある人間に信仰の感動的な声が聞えてくる、そしてフィナーレは人生の終末である、最後の審判のラッパが鳴り、やがて聖者たちと天国にいるものたちの合唱が歌う、「復活せよ、汝許されるであろう」

公演を聴いた感想を少し述べてみよう

  • やはりちょと長すぎる、途中、どうしても集中力が切れた
  • 歌手、合唱団の前にはマイクが置かれていた、マーラーが指揮した時代でもそうだったのだろうか、歌手2人の女性の声がどうしてもマイクのせいで無機質なものに聞えた
  • 終楽章の中で舞台ではフルートだけが音楽を奏で、他の一部の楽器が舞台裏で演奏しているように聞えたところがあった、モーツアルトの魔笛でもそういう所があるのでおかしくはないが、あれっと思った
  • 最後のコーラスが歌う部分は確かに良いなーと感じたが、全体的にはまだこの曲の良さはわからなかった、何か抽象的な部分が多すぎて私にはまだ理解する能力が無い
  • オーケストラは一番大きな編成になるのだろう、舞台いっぱいに、あふれそうなくらいであった、それが大音響で演奏するところが何カ所かあるが、やり過ぎだと思う。大ホールで演奏されることを前提に作曲しているのだろうけど、何事も行き過ぎはよくないのではないか。だから歌手がマイクを使わないと行けなくなるのではないか。

マーラー人気か、井上道義の引退のせいか、読響人気か歌手人気か、いずれにしてもこのホールがほぼ満席になる今の日本、クラシック音楽マーケットとしては魅力的なのだろう。だからベルリンフィルやウィーンフィルも来日するのであろう。私としては、まだ日が当たらず小ホールでさえ満員にできない若い演奏家の室内楽公演などにもっと行って楽しみ、彼らを支援したいと思う。

さて、今日の公演前の昼食だが、自宅で蒙古タンメンの冷凍食品を買ってあったので食べてみた。セブンで売っていたものを買った。

食べたら美味しかった。辛さは確かに強烈だが食べられないほどではない。が、実際の辛さは食後になってから強く感じた、いつまでも舌がヒリヒリした。自宅で食べたので食後に歯を磨き、辛さをすべて洗い流してから公演に行けたのはよかったが、それでもしばらく舌がヒリヒリした。

 

(2023/11/21 投稿後一部修正)

本日、読者のtoraさんよりコメントを頂き、当初投稿で言及した歌手や合唱団が使っていたマイクについて、それは拡声マイクではなく録音マイクではないかとのご指摘を受けました。確かにその可能性が高いと判断し、マイクについて言及した部分を削除しました。記録のため訂正部分に取消し線をつけています。


「河村尚子 × アレクサンドル・メルニコフ」を聴きに行く

2023年11月18日 | クラシック音楽

東京芸術劇場のVSシリーズVol.7、河村尚子 × アレクサンドル・メルニコフを聴きに行ってきた。19時開演、終演は21時ちょっと前。6,000円。9割方埋まっていたか。今日は前から2列目だった。

VSシリーズとは、初顔合わせとなる2人のピアニスト、ジャンルの違う2人のピアニストによる、表現の交歓の中で即興的に生まれていく、予想することのできない”衝突“を観客も一緒に体感する狙いの企画とのこと。

有名なピアニストは普通、連弾はやらないと言う。ピアノを引く手が交錯し、ペタルも2人が分けて踏む、個性と個性がぶつかり合い、なかなか呼吸が合わないからであろう。その意味でこのVSシリーズは意欲的な取組みと言える。

出演は、

河村尚子(42)
ミュンヘン国際コンクール第2位、クララ・ハスキル国際コンクール優勝。ドイツを拠点に、ウィーン響、バイエルン放送響などにソリストして迎えられ、室内楽でもカーネギーホールなどで演奏。現在、ドイツのフォルクヴァング芸術大学教授。

2019年秋公開の映画『蜜蜂と遠雷』(恩田陸原作、この本の読書感想はこちら参照)では主役・栄伝亜夜のピアノ演奏を担当し、その音楽を集めた。「河村尚子plays栄伝亜夜」もリリースされているようだが、これは知らなかった。また、ベートーベンのピアノソロ全14曲のリサイタルを開くなどしている。ドイツを拠点にしているので、ベートーベンが好きになったのかもしれないが、私も好きだから、彼女の演奏を聴けるのはうれしい。

アレクサンドル・メルニコフ(Alexander Melnikov、ロシア、50)
1989年のシューマン国際コンクール、1991年のエリザベート王妃国際音楽コンクールなど主要な国際ピアノコンクールで入賞、以来国際的に活躍している。室内楽では、現在、イザベル・ファウストとデュオを組んでいる。また、アンドレアス・シュタイアーなどとピアノ・デュオ活動も行っている。しかし、こういったロシア人のピアニストなどはウクライナ侵略後は、ロシアに住んだままロシア外で活動しているのだろうか。侵略についてどう考えているのだろうか。

演目は、

シューベルト/幻想曲 ヘ短調 D940
ドビュッシー/交響詩『海』(作曲者による1台4手版)
ラフマニノフ/交響的舞曲

「シューベルト/幻想曲 ヘ短調 D940」はピアノ1台4手連弾の傑作。「ドビュッシー/交響詩『海』」はドビュッシー自身の編曲による「1台4手連弾版」、オーケストラの名作としても知られる、そして2台ピアノ作品の金字塔「ラフマニノフ/交響的舞曲」。

今日の演目のうち、ドビュッシーとラフマニノフの作品は知らない曲で、事前にちょっと予習したが、そのくらいではその良さがわからない難しい曲だ。「海」という題名だから静かな曲かと思ったが、結構激しいところがあったのには驚いた。

最初のシューベルトの幻想曲は大好きな曲だ。なんとも言えない憂いを帯びたメロディーに惹かれる。作家の百田尚樹氏はクラシック音楽ファンとして知られているが、氏の書いた「この名曲が凄すぎる」(PHP)では24曲の氏が推奨するクラシック音楽が書かれており、この幻想曲D940も含まれている。氏によれば、この曲は誰にも教えたくない曲で、自分の何かが詰まっているような気がする曲だと述べている。

この曲はシューベルトが亡くなる年に書かれたもの。氏によれば、彼がほのかに思いを寄せていたエステルハージ家の姉妹の妹カロリーネに献呈するために書かれたものだが、実は彼女への愛の告白の曲として書かれた曲である、としている。身分違いの女性を口説くような勇気を持ち合わせていない内気なシューベルトは、この曲を彼女に献呈して自分の思いが伝わることを期待したとしている。そんなシューベルトの見果てぬ夢がこの曲の悲しみに充ちたメロディーに込められていると私も思う。

なお、この曲のCDはAmazonで探してもほとんど売っていないのはなぜなのだろう。

今日の公演であるが、2人のピアニストの息はピッタリと合っていたように見えた。事前に相当練習したようだ。メルニコフはおとなしい感じの人で、なんだか河村尚子の方がリードしていたように見えた。ピアノも2人で同時に弾く専用のものなのだろうか、それ専用のピアノに見えた。つまり、2台のピアノを使ったというより1つの大きなピアノに鍵盤が左右に2つついているように見えた。

さて、今夜の公演前の夕食だけど、池袋東口の蒙古タンメン中本東池袋店で食べることにした。激辛タンメンで有名で、名前は聞いていたが来たことがなかった。相当辛いらしいので、10段階の辛さの3の「みそタンメン」を選んでみた。

さすがにこれはあまり辛くなかった。次は辛さ度合い5の蒙古タンメンに挑戦しようと思う。女性も含め若い人がほとんどでシニアはいなかった。


「東京都交響楽団 第986回定期演奏会」に行く

2023年11月13日 | クラシック音楽

東京芸術劇場で開催された東京都交響楽団 第986回定期演奏会に行ってきた。14時開演で終演は16時過ぎ、S席7,000円、今日は1階席、前から10列目くらいの良いところ。日曜ということもあろうかほぼ満員であった。若い人も結構きていたように見えた。

演目は

シルヴェストロフ/沈黙の音楽 (2002)
シベリウス/ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.47
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番 ニ短調 op.47

出演は

ジョン・アクセルロッド(米、57)
アレクサンドラ・コヌノヴァ(Vn)(モルドバ、35)

都響のホームページからの抜粋した解説と、今日聴いた感想を書いてみたい。

シルヴェストロフ(1937~)は、ウクライナを代表する作曲家のひとり。旧ソ連において彼の作品は演奏が禁止されていたが、今世紀になって彼の作品を収めたCDが相次いで発売された。ロシアのウクライナ侵攻は、彼の運命も大きく変え、ドイツへ亡命した。彼が2014年に書いた「ウクライナへの祈り」は、ウクライナへの連帯を表明する作品として世界各地で演奏されるようになった。

今回の演目「沈黙の音楽 」は静かな曲で、沈黙という意味を音で表現したのか、と感じた。10分くらいの短い曲だった。

1904年に発表されたシベリウス(1865~1957)のヴァイオリン協奏曲は、彼が残した唯一の協奏曲。もともとヴァイオリニストを目指していた彼が作曲したこの曲は、傑作協奏曲として高い人気を博しているが1904年に披露された初稿は大失敗、大幅な修正を加えた改訂稿も酷評される。それでもジネット・ヌヴーやハイフェッツらの尽力により協奏曲の真価が少しずつ認められると、その後広く世界中で演奏されるようになった。

さて、バイオリンのコヌノヴァであるが、ピンチヒッターだ。当初予定のアリーナ・ポゴストキーナが気候変動問題への取り組みの一環として、今後一切航空機を利用しないことを決めたため、来日は不可能となったためである、やれやれ。

この協奏曲は、自宅でもヌヴーのCDでよく聞く曲だが、確かにそう簡単に理解できるような曲ではないだろう。何回も聞いていくうちにその良さを感じるタイプの曲ではないか。その意味で、今日のコヌノヴァのバイオリンによりじっくり聞けたのはよかった。彼女は派手な衣装で細身の体を着飾って、一生懸命に演奏していた。アンコールにバッハを弾いてくれた。

ショスタコーヴィチ(1906~75)の交響曲第5番は、ソ連によって歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』が厳しく批判され、絶体絶命の危機に陥った時に作曲した曲だ。ベートーヴェン風の「苦悩から歓喜へ」という明快な構成、輝かしいフィナーレで終わるこの曲の初演は大成功、危機を脱した。指揮したムラヴィンスキーは、このときが彼との初めての出会いだったが、以後、多くの作品の初演指揮を任せられた。彼の存命中は、社会主義の闘争と勝利を描いている曲と思われていたが、その後、実は彼がこの曲にスターリンに対する批判を込めたという考え方が広まった。

この曲は自宅ではバースタイン指揮のNYフィルの演奏でたまに聴くが、そんなに好きな曲でもなかった。今回、会場でじっくりと聴いてみると、なるほど解説にあるとおり、ベートーベン風の「苦悩から歓喜へ」ということがよく感じられ、最後に一番盛り上がるような曲になっており親しみを感じるようになった。ティンパニやシンバルが大活躍していたのでアクセルロッドから何回か終演後立ち上がるように促され、盛大な拍手を受けていた。

自宅でクラシック音楽を聴くときは、自室にいて読書などをしている時にずっとBGMで同じCDを繰り返し聞いているので、曲の細かいニュアンスなどはテレビや公演で理解する。そして公演などでじっくり聞いて、初めて曲の良さがわかることが往々にしてある。このやり方が自分には合っていると思っている、その意味で今回の公演はよかった。

さて、今日の公演前の昼食だが、会場に到着してからだと遅くなるので、自宅で、昨日買った吉祥寺いせやの焼き鳥を使った「焼き鳥丼」にした。


日本フィル 第755回定期演奏会を聴きに行く

2023年11月06日 | クラシック音楽

サントリーホールの大ホールで開催された日本フィルハーモニー交響楽団の第755回定期演奏会を聴きに行ってきた。今日は14時開演、A席、6,500円。9割方埋まっていたか、幅広い年令層の人が来ている感じがした。

クラシック音楽の公演会は平日に行きたいと思っていたが、平日の公演はほとんど夜の開催になる。サントリーホールや新国立劇場などは帰宅が遅くなるので、最近は土日の昼間の公演に行くようになった。ただ、上野であれば夜でも1時間くらいで帰宅できるので許容範囲だ。

平日の公演も半分は昼間にしてはどうだろうか、平日の観客はシニア層が大部分だ。それらの人は私と同じように遅い時間の帰宅はいやなはずだ。観客は減るどころか増えるのではないか。半分の公演だけそうしてみて実験してみてはどうか。

今日の演目、出演は

コダーイ:ガランタ舞曲(16分)
オルフ:世俗カンタータ『カルミナ・ブラーナ』(65分)

指揮:小林研一郎[桂冠名誉指揮者]
ソプラノ:澤江衣里
テノール:髙橋淳
バリトン:萩原潤
合唱:東京音楽大学
日本フィルハーモニー交響楽団

演目のカルミナ・ブラーナは、ウィキや当日配布された資料で調べてみると、

  • カルミナ・ブラーナ(Carmina Burana、「バイエルンの歌集」の意味)は、19世紀初めにドイツ南部、バイエルン選帝侯領にあるベネディクト会のベネディクトボイエルン修道院で発見された詩歌集を言う。
  • この詩歌集の中の歌詞のテーマは、I) 時代と風俗に対する嘆きと批判、II) 愛と自然、愛の喜びと苦しみ、III) 宴会、遊戯、放浪生活、IV) 宗教劇である。現在、この詩歌集はミュンヘンのバイエルン州立図書館に所蔵されている。

作曲したオルフは

  • ドイツ人でミュンヘン生まれ。前記の詩歌集から24篇を選び、曲を付けた。「初春に」「酒場にて」「愛の宮廷」の3部から成り、その前後に序とエピローグがつく。1936年に完成し、翌年6月8日にフランクフルト歌劇場で初演され、全世界に名前を知られるようになった。
  • この曲には、「楽器群と魔術的な場面を伴って歌われる、独唱と合唱の為の世俗的歌曲 」という副題が付いている

とある。これには驚いた。カルミナ・ブラーナもオルフも旅行に行ったばかりのドイツ・バイエルン州のミュンヘンと関係あるものではないか。全くの偶然だ、と言うかミュンヘンに行く前に勉強しておくべきだった。

指揮者のコバケンは

  • インタビューで「この曲で重要なのはコーラスだ、オルフはこの曲を作る前に自分のすべての作品を捨て去って取りかかった、この曲に内包されているエロスを理解してコーラスもオーケストラも自分の声や音を楽しまなければならない」と語っている。
  • 私が持っているCD(1947年ヨッフム指揮)のライナー・ノーツを読むと、この詩歌集には宗教的な詩がある一方、酒・女・歌と賭博など、反社会的・反道徳的なものも数多く、その頽廃性の中に、いわばアウトサイダーの風刺や一種の覇気が強烈なエネルギーとともに表明されている、とある。
  • コバケンがエロスを内包すると言っているのはここらあたりのことなのだろう。よって、コバケンは通常、合唱団は少年合唱団が務めるが、今回は夜の公演もあり、内容的に少年にふさわしくない部分があるので、東京音楽大学の学生に担当させたとインタビューで答えている。
  • 今日の公演では歌詞の対訳が資料として配布されていたのは有難かった。これを読むと、確かにエロス的な部分がある。現代の常識ではそう気にならないが、確かに少年が合唱で参加するのは適当でないかもしれない。


(座席がかなり左側だったので、うまく撮れなかった)

さて、今日の公演だが、最初のゴダーイのガランタ舞曲の演奏の前に、よく見えずらわからなかったが、コバケンが指揮台に上がる前、舞台袖で、この曲の特徴を説明してくた、と思う、と言うのは良く聞えなかったからだ。曲の特徴などを時にビアノを弾き、自ら歌いながら説明してくれた。素晴らしいアディァだと思った。

カルミナ・ブラーナは劇的なメロディーが冒頭から始まり、多人数の合唱など、盛り上がる部分が多い曲で楽しめる。が、ゲーテ的に言えば、はったりが多い人を驚かせる音楽、とも言える。演奏時間が1時間というのも長い方であろうが、全体的には楽しめた。歌手の3人も非常に良い声で歌っていたと思う。テノールの高橋淳は出番が少ないが、台本無しで熱唱していたのは迫力があって、感情がこもっていて良かった。

さて、今日の公演で気付いた点を若干述べたい。

  • 公演の全部が修了した後、写真撮影OKであったのは評価できる。その旨、ホール入口のボードにも張り出してあったし、館内放送でも何回か案内があったのも良かった。
  • コバケンの指揮は初めて見たが、83才という年を感じさせないお元気な姿に感動した。公演の案内などで見るコバケンと実際のコバケンとは良い意味でかなりイメージがかけ離れていた。上品な老紳士という感じがして良かったし、指揮する姿に威厳があった。
  • 今回は、コバケンの指示で演奏開始前に楽団員全員が起立してコバケンとともに客席に一礼していた。演奏終了後にも同様な対応がされ、左右の2階席にもコバケンの指示で丁寧に一礼がなされていた。非常に好感が持てる態度だと感じた。
  • 日本フィルのホームページにはこの公演の解説YouTube動画が2つ、コバケンのインタビュー記事などがアップされていた。これは有難い。事前に予習ができるからだ。また、開演前に奥田佳道氏によるプレトークが15分無料で聞けたのも良かった。

さて、今日の公演前の食事はサントリーホール前のパン屋ではなく、地元の駅前の松屋に寄って、期間限定メニューからマッサマンカレー(タイのカレー、ココナッツミルクを使っている)、830円を食べた。

松屋のカレーは本当にうまいと思うが、やはりカレーに味噌汁は合わないので代わりにサラダをつけてほしい。