紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

20 宇宙人

2022-06-12 06:24:26 | 夢幻(ステタイルーム)23作



 男は意識を取り戻した。朝日が雲間を刺すように光を強めていた。髭が伸びてざらつく。
 運転席のドアに川の流れが迫っていた。
 助手席側には堤防の斜面が見えるだけだ。どちらもドアは開けられそうもない。

 シートベルトを外す。
 エンジンをかける。車が揺らいだ。パワーウインドーの助手席側の窓をゆっくり下げる。冷気が一気に車内の酒の臭いを追い出す。
 百六十五センチ、六十五キロの肉体を窓から出すにはどうするか。腹の脂肪を掴んでみる。昨夜の宴会料理がそのまま停滞している。
 眠気が吹き飛んだ。上着を脱ぐ。車は川へ滑り落ちる危険をはらんでいた。
 運転席から助手席へ移動する。何秒間か息を止めたままだ。
 腹式呼吸を止めて胸式呼吸に切り替える。少しでも体を縮めたい。
 窓枠に両手を掛ける。頭を出す。目の前の名も知らない草の葉が鼻先をくすぐる。くしゃみを堪える。
 膝と腕と背筋と腹筋と、あらゆる筋肉を使って窓から抜け出るまで無我の境地。

 草を掴んで堤防をよじ登る。やっと、現在地を確認。我が家から一キロメートル北の八田川の堤防だ。
 堤防上の道路から、車は川の縁までダイブしたのだろう、車輪の跡も残していない。
 歩き出した。三十年連れ添った妻の顔を思い出す。いつも怒ると言うように、茨城生まれが高音で京都風に言うだろう。
「まぁどうしましたんね。怪我は? あら、それはようございました。あんたはんは宇宙人やさかい、何処でどないしても、イチコもツギオも、うちかて心配はしてまへん」
 きっとまた、生命保険は増額されるだろう。


著書「夢幻」収録済みの「ステタイルーム」シリーズです。
主人公はそれぞれの作品で変わります。
楽しんで頂けたら嬉しいです。




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