喫緊に上げねばならない記事が続き、いささか古いネタになってしまいましたが、本質的な問題としては変わらないのでよろしければポチ押しのご協力をお願いします。
平成が最後の年となり形の上では生前のご退位となった、ある種の安心感からか?
「週刊ポスト」に続いて「サンデー毎日」(8/19ー26)で保阪正康氏(現代史研究)が「天皇陛下『最後のおことば』」として平成最後の「全国戦没者追悼式」での天皇陛下のお言葉に託して論じています。
拙ブログ主の如きネット空間におけるバーチャル通名でズケズケと踏み込める記述とは違い皇室、なかんずく天皇陛下について語られる時の常で、名前を出した言論人はバリアを幾重に張りながら、したがって隔靴掻痒的まわりくどい文章にならざるを得ないのですが、保阪氏の論にも同種の傾向が見られ「解読」がそうたやすくもないのですが、問題の周辺を迂回する文章が指し示しているところはつまるところ「天皇陛下は平和憲法護持、憲法改正反対」のお立場であるということで、少なくとも拙ブログ主はそのように読みました。
天皇陛下ご自身が、そのお誕生日談話でそう明言され、また次期天皇陛下であらせられる皇太子殿下もまた平和憲法護持を、ということは憲法改正を、ということはアンチ安倍政権であることを明快に述べられているのに、それを受け止めかねて論理を逸した「いや、天皇陛下のご本意はそうではない」つまり、共産党他の野党や、朝日新聞、毎日新聞などが書き散らす九条護持論、安倍批判論とは違うという言い分も、覚めた目で見れば無理やりな「そうであって欲しくない」という願望論でしかありません。
しかしながら現実を直視せねば、現実が変わるわけでもなく新しい御代となれば、今上今上陛下のお言葉と、GHQベアテ・ゴードンを称揚なさる皇后陛下のお気持ちをただ口先でなぞる天皇陛下を私どもは仰ぐことになるだけのことです。
昭和天皇は、戦争犠牲者といご遺族について「今なお、胸がいたみます」と胸の内から、ほとばしるようなお言葉を発せられました。
昭和天皇の崩御は、追悼式の5ヶ月後のことでした。
昭和天皇最期の御姿
これに比して今上陛下は、「感慨は誠につきるところを知りません」。
で、用意された文章を無表情に読み上げられて、あたかも他人事。
これは保阪氏も擁護のしようがないようで、「(昭和天皇とは)一歩距離を置いた表現を使っている」としぶしぶ認めながらも、「お気持ちは(昭和天皇と)共有している」と擁護せざるを得ないのでしょう。名前を出しての天皇陛下への記述は、小心なほどにも細心でないと、自らへの気概はおろかサンデー毎日の社屋に押しかけられたり下手したらもっと酷い暴力的阻止・恫喝があるかもしれません。
平成元年の1月9日「即位後朝見の儀」で今上陛下は「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い(後略)」として、憲法を守る言葉を入れられましたが昭和天皇にこの種のご発言があったでしょうか。
天皇陛下が憲法を守るのは当たり前で、いぶかしがることはないという異見が予想されますが、わざわざ言葉にすることとそれに関しては黙して語らざることの意味は大きく異なります。
またお誕生日会見のお言葉他一連の文脈で捉えれば、覆いようもなく「平和憲法護持」のお立場であり、それを敷衍すれば憲法改正反対つまりはアンチ安倍総理であることは、明らかです。
保阪氏は、ひょっとしてうっかりとこう書いています。
「今上天皇と皇后が象徴天皇像を作り上げていくプロセスの中に」と。
皇后陛下がなにゆえ、天皇像を作り上げて行くのか、とツッコミを入れたいところですが、まさに。
平成が昭和と画然と異なることの一つに、皇后陛下が握られた強大な影響力と実権があります。そしてその皇后陛下のご実家は、小麦粉利権でGHQと癒着していたのです。そして皇后入内にあたっては、当時GHQが日本弱体化のために使った異教・キリスト教徒たちがジョセフ・フロジャックという神父を筆頭に動いています。
「当時の知日派のアメリカ人に感謝」とまでおっしゃる今上陛下が「憲法を守るべきもの」とおっしゃれば、それは端的に護憲論であり、それは憲法改正論と表裏一体です。
保阪氏の解釈によれば「今上天皇は『政体』の下に『国体』を置いた」という論です。
戦争を二度と繰り返さないという政治体制、それを保障している日本国憲法を守り「私(天皇)はその下にいると言っているようなもの」
だというのですが・・・・さて果たして、今上陛下が現況「政治体制の下」にいらっしゃるものかどうか。
まず公共放送を”私物化”されての「お気持ち」表明。この一件で、宮内庁に抗議の電話をした時のこと、担当職員は「天皇陛下はお気持ちを表明しただけのことです」と言うので「なんのためのお気持ち表明ですか、目的があったからなさったのでしょ。そしてそのお気持ちを受けて、政府が即動いたではありませんか。これは天皇陛下の政治関与ではないのですか」と突っ込んだら、黙り込んでしまわれましたが。
そして、皇室典範という憲法と密着した典範をいともあっさり無視してなったのが「生前退位」。困じ果てた政府は苦肉の策で「特措法」という逃げ道を作りましたが、やむをえぬこととはいえ、これにより時の天皇陛下の「お気持ち」一つで、憲法違反に抵触しかねない皇室典範無視を先例として作ってしまう結果になりました。
以降、お気持ち一つでなさり放題です。
保阪氏は天皇陛下の戦後50年のお言葉について触れています。「歴史を顧み」という言葉です。
字義を精確に述べるなら、顧みと省みは異なります。
省みる ⇒ 自分の行い、自分の考えに限定。
顧みる ⇒ 時代や出来事を振り返る。
しかしながら、即位以後の今上陛下のお言葉の文脈を遡れば、陛下のお使いになられた顧みるには、省みるのニュアンスが添い、そうでなければ「反省」の一語は出ません。
「歴史を顧みと言い、そして戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを祈念するとの強い意志が読み取れる」という保阪氏の一文は陛下のお言葉の一種の美化とも取れますが、しかし保坂氏はやんわりとした筆致ながら、陛下のお言葉が発せられた同じ戦後の節目に出された村山談話を並べて書いています。
村山談話は、日中戦争・太平洋戦争が侵略であったことを認めた談話ですが、これは歴史上の正確な観点からは事実と異なります。
戦後50年の陛下のお言葉は、その後も繰り返し使われることになり国民の脳裏に刷り込まれました。
保阪氏は明言を避けつつ、今上陛下のお言葉が村山談話と重なることを示唆している(と、ブログ主は読みました)。
保阪氏が村山談話の支持者かどうかで、保坂保坂氏の次の言葉の解釈が異なって来るのですが、あいにく氏の歴史観をブログ主は知りません。
「いかなることがあっても戦争の惨禍の反省の上に成り立っている戦後社会の軸は守りたい、との想いが感じられるのである」
と保阪氏は綴り、天皇陛下の「反省」を肯定しているのか、否定しているのかはわかりませんが、天皇陛下が村山談話と同じ史観に立ってのそれであることは、認めているようです。
保阪氏は、こうも書きます。
「小泉純一郎首相(当時)もやはり談話を発表しているが、村山談話と同様に日本の侵略を認める形になっている」
ということは、保阪氏は天皇陛下もあの戦争は日本の侵略であったと認めているとの認識でしょう。それを肯定するか、否定するかが評価の分かれ目ですが、ブログ主は大否定します。侵略目的ではなく自衛のための戦争でした。
昭和天皇の開戦詔書にも、「帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲」と明記されています。
今上陛下があたかもGHQが史観にのっとった侵略を首肯なさるなら、それは昭和天皇への違背です。
平成27年度(2015)の天皇陛下の文言はこうです。
「ここに過去を顧み、さきの戦争に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い・・・・・」
このお言葉を保坂氏は引きながら、
「この年の政治状況は全体に日本社会が右傾化しているような空気があり、それを天皇のこの言葉が案じているといった解説をする論者もいなかったわけではなかった」
その論者を保阪氏は否定するのですが、否定の論拠が薄いようにブログ主は感じました。天皇はそのような政治状況とは一線を画していた、という結論が唐突で、どのように、一線を画していたかの論理的説明とその結論に至るまでの道筋が欠落している、と。「この年」と保坂氏が述べる2015年は安倍総理の在任なので、天皇陛下は安倍政権下にある世の中の右傾化を天皇陛下が憂慮されて「深い反省」をわざわざ入れられた、と要するに保坂氏は述べているわけで、これはおそらくこの通りでしょう。
「戦後70年の追悼式でのおことばは、『深い反省』が入ったのだが、このことについて国民世論の中には踏み込み過ぎであるとの声もあった」
としながらも、保阪氏は踏み込み過ぎではないという今上天皇の擁護論に終始するのですが・・・・擁護しながらも、天皇陛下が改憲に反対の、つまりは憲法改正を推し進める安倍政権批判のお立場にあることを認めてしまった・・・・・とブログ主はそのように読んだのでした。
結局、保阪氏が提示する「事実」としての天皇陛下のご思想とお言葉にはそのとおりとブログ主は賛同しますが、その解釈に於いては陛下はWar Guilt Information ProgramにGHQにより染められたお方であらせられ、それどころか巨大なお立場での発信者でいらっしゃる、というのがブログ主の結論です。
W.G.I.Pとは文芸評論家の江藤淳がその存在を主張。大東亜戦争終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による日本占領政策の一環として行われた「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」
のことです。
ちなみに保阪氏は、この「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)という名称がGHQの内部文書に基づくものであると、櫻井よしこ氏、西尾幹二氏、ケント・ギルバートらと共に認めています。産経新聞の論調も然り。
「反省」という言葉は「罪悪感」がなければ、出ません!
そしてその罪悪感はGHQが、細心にシステマティックに日本人の心に刷り込んだものです。
保阪氏の小論文は次号にも続くそうなので次を待ち、必要とあらばまた取り上げてみたいと思います。
ちなみに、ある確かな情報筋によれば両陛下の安倍総理を疎まれること甚だしいさまだとか、しかしながら情報によらずとも天皇皇后両陛下が安倍総理をお嫌いなさま、以前からあからさまです。
繰り返しますが、先の戦争を「日本の侵略戦争」だったと認めなければ「反省」という言葉は絶対に出てきません。安倍総理は今年から決然とその言葉を、消しての追悼文でした。その「反省」を平成最後の年まで4年間、言い続けられたのが天皇陛下です。あたかも、安倍総理を牽制なさるかのように。そして安倍総理の追悼文はあたかも陛下のそのお言葉を予期しての内容であるようでした。
これも繰り返しますが昭和天皇は、「自衛のための戦争であった」とおっしゃり、反省などという言葉は用いられていません。
追記
保阪氏の思想の一端が、これで解かるかもしれません。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/44288?page=6
いまの安倍政権が軍事と統制に向けて突き進んでいることの背景には、戦後の左翼の側に問題もあるという気がするんです。私は、平和憲法という言い方に激しい違和感を覚えます。平和憲法と言った瞬間に、もはや守ることしか残されていませんよね。
この憲法は実際のところ非軍事憲法なんです。非軍事憲法を平和憲法にするには、多くの時間と能動的な努力が必要なはずなのに、戦後の左翼はそれをサボタージュして、憲法を守るという発想しか持たなかった。この思考停止を安倍首相につけ込まれている。
本来「戦後レジームからの脱却」は、安倍首相のように大日本帝国への回帰ではなく、非軍事憲法を真の平和憲法にする努力でもあり得たはずです。しかし左翼自体が保守化してしまったため、戦争と平和をめぐって何を変革すべきかという重要な論点が見えなくなってしまったと思います。
・・・・・・ここまで
祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え
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