BBの覚醒記録 

無知から覚醒に至る一つの記録です。「是々非々」がモットーで必要なら、
支持する政治家や弥栄を願う皇室への批判も厭わず。

ダイヤ買う慰安婦 性奴隷の嘘を淡々と検証する

2018-08-31 | 日韓問題

 

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国連委、慰安婦問題で4年ぶり対日勧告 日本主張受け入れず「元慰安婦への適切な相談なし」

産経新聞


【パリ=三井美奈】国連の人種差別撤廃委員会は30日、日本に対する報告書を発表し、慰安婦問題をめぐって日本政府に「被害者中心のアプローチによる恒久的な解決」を勧告した。2015年の日韓合意で「最終的かつ不可逆的解決」を確認したという日本政府の主張は受入れなかった。

 報告書は日本政府に対し、「恒久的な解決」には、韓国だけでなく「すべての国籍」の慰安婦も含め、日本が女性に対する人権侵害の責任を受入れるよう勧告した。元慰安婦や家族への適切な措置を含め、解決策を今後、同委員会に報告することも求めた。


 報告書はまた、日韓合意をめぐる日本の説明に「留意する」としたうえで、日本の対応は「元慰安婦への適切な相談がなく、軍による人権侵害への明確な責任提示をしていないという報告がある」と懸念を表明した。

 同委員会はジュネーブで開かれ、対日勧告は14年以来、4年ぶり。今回の勧告は、8月16、17日の同委員会による対日審査を踏まえて行われた。日本側はこの審査会合で、日韓合意について「両国が、多大な外交努力の末に合意に至った。この問題を次の世代に引きずらせないことが重要だ」と意義を主張。国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長(当時)も、この合意を歓迎したことを説明したが、委員から「政府間合意は問題解決にならない」などの反論が出ていた。

 同委員会は学識者ら18人の委員で構成。勧告に法的拘束力はない。

https://www.sankei.com/world/news/180830/wor1808300014-n1.html

 

 

朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実―文化人類学者が読み解く『慰安所日記』 単行本(ソフトカバー)  – 2017/11/23

  

崔 吉城   (著)

内容紹介

国家基本問題研究所
 第五回「国基研日本研究 特別賞」受賞作

本当に「強制連行」「性奴隷」はあったのか!?
「悪魔の証明」といわれた難問に終止符を打つ
第一級史料から紐解いた著者渾身の書き下ろし!

韓国で日本軍による朝鮮人女性強制連行の決定的資料とされた
『日本軍慰安所管理人の日記』の原典にあたり、その記述と内容を精査。


 慰安婦から見る慰安業は、営業、商売であった。
つまり、売春業の出稼ぎであった
 朴氏の日記では、彼女たちがどう募集に応じてきたか、
いわゆる「強制連行」されてきたのかについては、一切言及されていない。
この日記には、そうした「強制連行」に繋がるような言葉すらない


 性的被害をもって問題とすることは、どの国、どの民族でも可能だ。
それは、性が人間にとって普遍的なものであり、人間の生存にかかわる問題であり、
 恥と人権にかかわることだからである。
 韓国が、セックスや貞操への倫理から相手を非難することは、
 韓国自身のことを語ることに繋がっている。
つまり、それを詳しく論じることは、
いつか必ず本人に戻るブーメランのようなものなのである。
ただちに中止すべきであると言いたい

(本文より)

 


出版社からのコメント

著者の崔教授が研究の対象にしているのは、戦時中、日本軍占領地
(ビルマ、シンガポール)で慰安所の帳場人をしていた朝鮮人、
 朴氏が残した日記である。この日記は、『日本軍慰安所管理人の日記』と
 いうタイトルで韓国で出版され、日本軍による朝鮮人女性強制連行の
決定的資料だとされている。

 崔教授は戦後のバイアスのかかっていない日記原本にあたり、
 朴氏の足跡を尋ねて現地調査も行っている。
 崔教授のスタンスは明確だ。日韓の政治的な立場から意識して離れ、
あくまで学術的に、日記から客観的な情報を、可能な限り引き出そうと
 いうものである
 引き出された情報は慰安婦に関するものにとどまらない。
 崔教授は「日本植民地時代の朝鮮人の生活史を知る上で貴重なもの」とも述べている。

この日記を精読した崔教授によれば、
 「そうした慰安婦の連行などに関する記述は一切ない
 「『強制連行』に繋がるような言葉すらない」ということであった。
そして、この日記が強制連行の証拠だという主張に対して、親日の日記を
反日に利用するのは矛盾している、と指摘している。

 本書では「朝鮮人たちは当時、中国や東南アジアなどの日本軍占領地や前線地域で、
 食堂や慰安所などの商売を営んでいた。当地において朝鮮人は、ビルマ、シンガポール、
インドネシアの東ティモールやスマトラ、マレーシア、タイ、ボルネオなどに
広くネットワークを持っており、慰安業以外にも食堂、料理屋、餅屋、製菓所、
 豆腐屋、製油工場、写真館などを経営していた」という点も指摘されている。
 日記には、このような日本軍占領地でのバイタリティあふれる朝鮮人事業主たちの
経済活動が、随所に描かれている。慰安所の経営も彼らの事業の一つであった
(“性奴隷"を日本叩きの道具にする人達にとって不都合なことに、この日記に
登場する慰安所の経営者は皆朝鮮人である)。

この日記を書いた朴氏は、遠く離れた異国の地から、東方宮城に向かって遥拝し、
 慰安婦とともに開戦記念式に参加して皇軍の武運長久、戦没将兵の冥福を祈る、
 典型的な大日本帝国臣民であった。
 崔教授は「日記全体の文脈からは、彼が日本の帝国主義に不満を持ち、
 母国の独立を願う気持ちを持っていたとは、とうてい思えない」と述べている。
この日記には性奴隷はおろか、「虐げられた朝鮮人」の姿も見られないのである

 著者は韓国でタブーとされている米軍慰安婦について述べ、韓国メディアから
容赦ないバッシングを受けた。だが、そんな圧力に屈することなく、本書でも
学者として客観的な姿勢を貫いている。

 


◆殿堂入りベスト50レビュアー


5つ星のうち5.0
慰安婦は「性奴隷」でなかったことがよく分かる2017年12月2日
形式: 単行本(ソフトカバー)

 

著者の崔吉城氏は、2013年に韓国で出版された慰安所帳場人、朴氏の日記である「日本軍慰安所管理人の日記」の原本にあたり、1943年と1944年の2年分を熟読する。朴氏はこの2年間はビルマとシンガポールの慰安所で仕事をしており、崔吉城氏は、次のようなことを確認する。
・慰安婦には給与が支払われ、貯金や家に仕送りもしていた。
・慰安婦は、休みの日には自由に外出できた。
・産休を取る慰安婦もいれば、結婚退職する者もいた。また日本兵と慰安婦が結婚することもあった。
・師団から移転を命じられたが、慰安婦たちに反対され、行かなかった。

有名な慰安婦の文玉珠氏は、朴氏と同じ1942年7月10日に船でビルマに行っている。朴氏の日記と文玉珠氏の証言の内容とは、一致するところが多く、崔氏は合わせて読んでみた。
文玉珠氏は「食堂で働けばお金をたくさん貰える」という誘いに乗って、船に乗る。ビルマで文氏は将校たちに人気があり、宴会にたびたび呼ばれ、「チップが貰えるのが楽しみで、喜んで歌いに行った。」「週に1度か、月に2度は外出できた。」「ビルマは宝石がたくさん出るところなので、思い切ってダイヤモンドを買った。」「(野戦郵便局に)お金を500円預けた。生まれて初めての貯金だった。こんな大金が貯金できるなんて信じられないことだ。千円あれば大邱に小さな家が一軒買える。晴れがましくて、本当に嬉しかった。」といった描写が続く。
ある時、酔っぱらった下士官が来て、文氏が生理の最中だったので断ったところ、その下士官は日本刀で斬りつけてきた。「文玉珠は思わず刀を奪い、気がつくと反対にその下士官を刺していた。その下士官は死に、文玉珠は軍事裁判にかけられたが、正当防衛が認められ、無罪となった。」

慰安業は商売であり、慰安婦が「性奴隷」ではなかったことがよく分かる内容である。韓国では、日本軍による朝鮮人女性の強制動員の決定的資料だとされているらしいが、崔氏は、「この日記には慰安婦の募集の過程が書かれておらず、強制連行、軍が業者に強制して連れて行った、などということには一切触れていない。だから、この日記をもとにした『戦時動員の一環として組織的に強制連行を行った』という主張は、早すぎる結論である」と述べている。
また崔氏は、2002年に北朝鮮の平壌で開かれた北朝鮮主催の国際シンポジウムで、台湾の元慰安婦の体験談を聞いているが、その体験談でも、「看護婦の助手として、2年間の約束という口頭契約で働きに行ったが、そこは慰安所で、拒否することができなかった。前借金があるという理由で、お金をもらったことはなかった。軍人からチップをもらうことはあった。前借りした金を返してからは、軍人が払ったお金の一部が支払われるようになり、私はこれを軍事郵便貯金にして、総額で1800円くらい貯金した」とあり、売春の形になっていると述べている。
「日本政府には、賠償と謝罪を求めます」という元慰安婦の訴えが奇異に感じられる話ばかりだった


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興味深い著書は、元慰安婦という韓国人女性、文玉珠(ムン・オクチュ)氏が語り、慰安婦問題に取り組む森川万智子氏が構成と解説をつとめた「ビルマ戦線 楯師団の『慰安婦』だった私」(梨の木舎)だ。

 同書によると、韓国・大邱(テグ)の貧しい家庭で生まれた文氏は16歳の秋、日本人と朝鮮人の憲兵と、朝鮮人の刑事に呼び止められ、満州(中国東北部)東安省に連れて行かれ、朝鮮人の家で慰安婦にさせられた。大邱に一度戻った後、18歳のとき「日本軍の食堂で働きに行こうよ、金もうけができるよ」と友達に誘われ、ビルマ(現ミャンマー)・マンダレーに行き、だまされて再び慰安婦になった-とある。

 第1次安倍内閣は2007年3月、「政府が発見した資料には、軍や官憲による(慰安婦の)強制連行を直接示す記述はない」と閣議決定しているが、文氏は「強制連行」「だまされた」を主張しているわけだ。

 興味深い記述は、こう続く。

 ビルマでチップが貯まったとして、文氏は野戦郵便局に500円を貯金したが、《千円あれば大邱に小さな家が一軒買える。母に少しは楽をさせてあげられる。晴れがましくて、本当にうれしかった。貯金通帳はわたしの宝物となった》(76ページ)とある。
その後、文氏はビルマ・ラングーンの慰安所に移った。ここでは、少しは自由に行動していたようだ。

 《週に一度か二度、許可をもらって外出することができた。人力車に乗って買い物に行くのが楽しみだった》(106ページ)

 《ビルマは宝石がたくさん出るところなので、ルビーや翡翠(ひすい)が安かった。(中略)わたしも一つぐらいもっていたほうがいいかと思い、思い切ってダイヤモンドを買った》(107ページ)

 文氏は21歳のとき、タイ・アユタヤの陸軍病院で看護婦修行を始めた。同書には、母に小さな家が何軒も買える大金を送金した記述もある。

 《電報を将校にみせて、『母の葬式に金がいるから、お金を送りたい』というと、許可が出た。貯金からおろして五千円を送金した》(137~8ページ)

 文氏の境遇には同情を禁じ得ないが、この本を読む限り、とても「慰安婦=性奴隷」とは思えない。

 日本政府は、日本と日本人を貶めている河野談話の作成経緯を検証するだけでなく、「慰安婦の真実」についても再検証すべきではないか。

 

 

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