薩摩の殿様
斉彬は、「篤姫」で人気ですが
この曽祖父にあたるのが
重豪です。
・木市は、もとは重豪の頃に庭師を呼んだのが始まり。(今日見た看板に書いてあった)
・鹿児島では(三越より格が上の)山形屋(ヤマカタヤ)は、重豪が山形の紅花商人源衛門(げんえもん)を招き、1773年に鹿児島で店を開いたのが始まり。
(『鹿児島県の歴史散歩』2005年、山川出版社、p4)
・中央駅の中央郵便局前の「明石屋」で桜餅を買う。
大きい屏風に、店の由来が。明石のものが江戸で店を開いていたら斉彬が鹿児島へ招聘したのが始まりと。
重豪(25代)は斉彬(28代)をたいそうかわいがったという。
この2人が江戸末期の薩摩藩の殿様の中で、開明的であり、財政赤字の責任者。
それ以外の殿様は、この2人に眉をひそめた?
*写真は、明石屋のお菓子「かるかん」
斉彬は、「篤姫」で人気ですが
この曽祖父にあたるのが
重豪です。
・木市は、もとは重豪の頃に庭師を呼んだのが始まり。(今日見た看板に書いてあった)
・鹿児島では(三越より格が上の)山形屋(ヤマカタヤ)は、重豪が山形の紅花商人源衛門(げんえもん)を招き、1773年に鹿児島で店を開いたのが始まり。
(『鹿児島県の歴史散歩』2005年、山川出版社、p4)
・中央駅の中央郵便局前の「明石屋」で桜餅を買う。
大きい屏風に、店の由来が。明石のものが江戸で店を開いていたら斉彬が鹿児島へ招聘したのが始まりと。
重豪(25代)は斉彬(28代)をたいそうかわいがったという。
この2人が江戸末期の薩摩藩の殿様の中で、開明的であり、財政赤字の責任者。
それ以外の殿様は、この2人に眉をひそめた?
*写真は、明石屋のお菓子「かるかん」
子供の頃から謎でした。
もし新潟から呼んでいたら
越後屋
だった訳ですね。
菅実秀(通称 臥牛:幕末の庄内藩家老)と西郷といい
鹿児島と山形は昔から縁が深かったんですね。
重豪をクローズアップする辺りは流石bonn1979さんですね。
確かに重豪・斉彬・西郷隆盛の右脳人間は歴代藩主からは嫌われていますね。