介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

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第2815号 住民は耐えるだけ?

2009-05-06 07:15:32 | 大隅半島→別ブログ
5月4日。

座っている人の後ろの建物の空調の排気口がちょうどベンチにかけてバスを待つ人にかかる。夏は暑く、冬は寒い。
乗用車の便がない高齢者などは、ここで長い時間待っています。

鹿屋市といえば、大隅半島の中心に位置しています。

空では、米軍の訓練機の音。かっての特攻基地は、いまは自衛隊の基地となっています。

大型スーパーができて、昔からの商店街はご他聞にもれずシャッター街。
競輪の場外馬券売り場を誘致した。
パチンコ屋が多い。
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鹿屋市内の荒廃ぶり (おうぎや)
2009-11-16 00:12:57
1999年の春、夏と秋、合計4回鹿屋を訪れました。
1987年に鹿屋市は国鉄大隅線という大切な公共機関を失いました。


鹿屋の駅は、現在の市役所あたりに建っていたと記憶しています。件のバスターミナルは、市役所より多少離れたところにあったと記憶しています。当時もすでにバスターミナル付近はシャッター街でした。


商店街の衰退は、おそらく国鉄大隅線の廃止で、一気に加速したことでしょう。もっとも鹿児島市内へは垂水からの錦江湾内フェリーであっという間に着きますし、鹿児島に用事がある方はフェリーで、一方大隅線は長い間、宮崎~日南線回り~または都城~志布志線~志布志~鹿屋という一定の乗降客の流れが定着していました。
鹿屋で一気に通学生(県立高校等)を中心とした乗降客が減って、少なくなったお客が垂水ではさらにほとんど下車し、国分回りで錦江湾をぐるりと遠回りするお客は、船酔いがかなりひどい方か、鉄道ファンに限られていたのが現状でした。


ここに旧国鉄の首脳陣の見通しの浅さ、地元議員と建設業者の関係等の所産が、昭和47年の海潟温泉~国分開業という形で実り、結果として大隅線の寿命を縮める役割を果たしたことは、誠に皮肉な現象です。


10年前の鹿屋での記憶では、すでに車社会がすっかり定着し、交通弱者のお年寄りと未成年者が取り残され、車でないと利用が困難な郊外店が栄えていました。それでも当時の市内にはまだ昔からあったと思われる商店街が残っていました。今ではどんなものでしょうか…。


鹿屋にまつわる私事をひとつ。
実は市内の古本屋で偶然、ソーシャルワーク(海声社、1984年)を見つけ、以来座右の書としてきました。読み続けるに従い、執筆者のお一人の方の著述が目につきました。それを読むうちに、この方に指導を仰ぎたいという気持ちが強まりまして、ついに2007年からその著者のお一人の先生に指導を受けています。その先生は、ハワード・ゴールドシュタインに大学院修士課程で指導を受けたそうでして、結局小生はゴールドシュタインの孫弟子になるのでしょうか?


そういったきっかけを作ってくれた街が、鹿屋市であったことが思い出されます。市内で有名な黒豚のとんかつも堪能でき、10年前の出来事が、昨日のように思い出されます。

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