誰だかわかりますか?
韓龍の2010.07.20付け記事からお借りしました。
「介護福祉研究」には、韓国に関するカテゴリが2つあります。
816 韓国には、これまで36件の記事を収載しています。
817 韓国介護には、韓国で発足したばかりの介護保険制度に関する専門的な論文などを収載しています。
いわゆる韓流ブームによって、韓国を知り、韓国を旅行する日本人も多くなってきました。
BSテレビなどでは、韓国のドラマが放映されていますね。
私が、韓国へ行ったのは、1992年にソウルで行われた韓国社会福祉学会のシンポジストとして短い旅をしただけです。空港からの車窓が日本ととても似ていた印象を今でも忘れません。
このときは、勤務していた大学の学長が都合で行けなくなり、無名の私がピンチヒッターで日本の高齢者政策を話したのです。英語での報告でしたが、冒頭の挨拶はハングルでしました。短いハングルでしたが、当時、勤務していた大学院にいた韓国からの留学生に翻訳してもらい、特訓して覚えたのです。
その趣旨は、
「私の知っている韓国人は留学生だ。彼らから韓国の人が礼儀正しく向上心の強いことを知った。すでに日本ではなくなりつつあることなので日夜彼らから学んでいる」
といったことをテープでおさめた留学生のハングルを暗記して挨拶したのです。
シンポジウムのあとのパーティでは、大勢の人からハングルで挨拶され、実は話せないということはすぐバレタのですが、日本語を話す人が多かったので救われました。
このシンポジウムでは、社会保障の類型論で有名なエスピン・アンダーソン教授も見えたのですが、彼のプレゼンは、当然のことながら、英語でしたね。私は、無名の私のプレゼンが「勝った!」と思ったのは、冒頭にハングルで切りだしたときの会場のしーんとした雰囲気ですね。となりにいたアンダーソン教授の「やるじゃないか」という表情を読み取っていました。
あっ 朝から自慢話でごめんなさい。
今日は、前期の最後の授業だというので、どうしても興奮してしまいますね。
韓国では、介護保険を導入したことで、これからは介護の具体的な分野での交流が促進されると思います。私には、伝えるものはないのですが、日本の介護の現場の人たちと、韓国の介護のスタッフとの交流が開かれたらついていきたいな、と考えています。
冒頭の似顔絵をかいた「韓瀧」のこと「げんきさん」から、鹿児島とソウル便のことを示唆され、(東京よりは近い!)「ソウル集合」の研修交流の日が近いと夢想しています。
韓龍の2010.07.20付け記事からお借りしました。
「介護福祉研究」には、韓国に関するカテゴリが2つあります。
816 韓国には、これまで36件の記事を収載しています。
817 韓国介護には、韓国で発足したばかりの介護保険制度に関する専門的な論文などを収載しています。
いわゆる韓流ブームによって、韓国を知り、韓国を旅行する日本人も多くなってきました。
BSテレビなどでは、韓国のドラマが放映されていますね。
私が、韓国へ行ったのは、1992年にソウルで行われた韓国社会福祉学会のシンポジストとして短い旅をしただけです。空港からの車窓が日本ととても似ていた印象を今でも忘れません。
このときは、勤務していた大学の学長が都合で行けなくなり、無名の私がピンチヒッターで日本の高齢者政策を話したのです。英語での報告でしたが、冒頭の挨拶はハングルでしました。短いハングルでしたが、当時、勤務していた大学院にいた韓国からの留学生に翻訳してもらい、特訓して覚えたのです。
その趣旨は、
「私の知っている韓国人は留学生だ。彼らから韓国の人が礼儀正しく向上心の強いことを知った。すでに日本ではなくなりつつあることなので日夜彼らから学んでいる」
といったことをテープでおさめた留学生のハングルを暗記して挨拶したのです。
シンポジウムのあとのパーティでは、大勢の人からハングルで挨拶され、実は話せないということはすぐバレタのですが、日本語を話す人が多かったので救われました。
このシンポジウムでは、社会保障の類型論で有名なエスピン・アンダーソン教授も見えたのですが、彼のプレゼンは、当然のことながら、英語でしたね。私は、無名の私のプレゼンが「勝った!」と思ったのは、冒頭にハングルで切りだしたときの会場のしーんとした雰囲気ですね。となりにいたアンダーソン教授の「やるじゃないか」という表情を読み取っていました。
あっ 朝から自慢話でごめんなさい。
今日は、前期の最後の授業だというので、どうしても興奮してしまいますね。
韓国では、介護保険を導入したことで、これからは介護の具体的な分野での交流が促進されると思います。私には、伝えるものはないのですが、日本の介護の現場の人たちと、韓国の介護のスタッフとの交流が開かれたらついていきたいな、と考えています。
冒頭の似顔絵をかいた「韓瀧」のこと「げんきさん」から、鹿児島とソウル便のことを示唆され、(東京よりは近い!)「ソウル集合」の研修交流の日が近いと夢想しています。
先生は、1992年に渡韓ですか? ソウルオリンピックが
終わり、韓国が本格的に成長していく時代ですね。
町並みもどんどん近代化していく中、身体に障害の
ある人や貧困生活にある女性や子供が道端や地下鉄の中で
物乞いをする姿に韓国の光と影を感じていましたが、
このごろはあまり目にしなくなりました。
2000年を過ぎてから(だと思いますが)障害者や高齢者を
主人公にした韓国映画が出てきています。
「オアシス」「マラソン」「おばあちゃんの家へ」など
所々に韓国社会の風刺を感じます。
よかったら夏休みにご覧くださいね。
関西に「故郷の家」という在日コリアンの入所を
意識して作られた特養がありますが、そこに韓国の
学生らが研修にきて、交流を進めています。
神戸にもあるので「ソウル集合」前に情報を収集しに
行って来ようかと思っています。
「母なる証明」という映画を見ました。
これも追加しておきますね。