【ILO懇談会】
7月18日付けの厚生労働省のHPに
第10回ILO懇談会議事要旨
があり、
第10回ILO懇談会資料
がアップされています。
*ともに、2008年4月15日のもの。後者のタイトルは「議事次第」ですが、配布資料がアップされています。
【ILO】
ILO International Labour Organization
は、1919年に生まれた国際組織で、使用者・労働者・政府の3者構成で、労働時間の労働保護に関する基準を決めているところです。
ILO
一番上の目次のうち「region」
をクリックして
右側の「日本語」
を選ぶと
「ILO駐日事務所」がでます。
【重要な4つの国際基準を批准していない】
冒頭の
「第10回ILO懇談会」に戻りますが、
第47号条約 週40時間労働 1935年
第105号条約 強制労働禁止 1957年
第111号条約 差別待遇の禁止 1958年
第158号条約 使用者の発意による雇用の終了 1982年
の
重要な国際条約について、
使用者・労働者・政府の各委員が、議論をしています。
結論を言えば、
日本はまだ、これらの基本的な条約を結べる状況ではないということなのです。
国内法の改正に難題があるというわけです。
*この懇談会は、2003年8月27日に第1回を開催しています。
その後の審議内容と提出資料は厚生労働省のHPにアップされています。
*研究会等→国際課 でクリックします。
【雇用・労働保護は社会の基盤】
最近、日本社会におきている問題の根っ子には、
○ 働きたいのに働く場がない
○ 働いている人は体を壊すほど働かされる
○ 同じ仕事をしているのに、待遇に差がある
○ 「おいしい仕事」への採用には不透明な手心が加えられる
○ 若い人は、社会への参加としての自分の仕事のイメージがつくれない
といった、雇用の確保や労働保護の分野での政策の弱さがある。
マーケット(経済市場)に任せておけば、弱い立場の被雇用者の安心・安全がない。
7月3日付けのこのブログで
五十嵐 仁『労働政策』(日本経済評論社、2008年5月)のことを紹介しました。
何故、日本の労働政策が、この数年だめになったのか?
についての優れた考察があります。
*詳しくは、回を改めてお話しますが、政治のトップがアメリカ流の市場万能主義の採用したこと、ちょうどその頃、行政改革で労働省が厚生省と統合され、その際に、労働保護の担当局である「労政局」が廃止されたことなどは象徴的な事実です。
同書、p34 p190
【ILOの創始メンバー】
五十嵐『労働政策』の最後の第6章 pp.241-274
は
「ILOと労働政策」
で、歴史的な経過を踏まえた日本の問題点を整理しています。
長くなりましたが、
1919年にILOを作った会議には、9カ国が集まっており、日本はその中の1国でした。 p256
当時の日本の国際的な評価を反映していますが、参加の内容は余りほめられたものではなかった。
労働サミットからみえること
では、岩清水さんが
世界の中での日本の労働の課題について、新潟でのサミットを借りて述べています。(2008年5月13日、「岩清水日記」の記事)
*写真は、
少し前に撮った、甲南通りの夕方です。(まっすぐ行くと鹿児島中央駅)
7月18日付けの厚生労働省のHPに
第10回ILO懇談会議事要旨
があり、
第10回ILO懇談会資料
がアップされています。
*ともに、2008年4月15日のもの。後者のタイトルは「議事次第」ですが、配布資料がアップされています。
【ILO】
ILO International Labour Organization
は、1919年に生まれた国際組織で、使用者・労働者・政府の3者構成で、労働時間の労働保護に関する基準を決めているところです。
ILO
一番上の目次のうち「region」
をクリックして
右側の「日本語」
を選ぶと
「ILO駐日事務所」がでます。
【重要な4つの国際基準を批准していない】
冒頭の
「第10回ILO懇談会」に戻りますが、
第47号条約 週40時間労働 1935年
第105号条約 強制労働禁止 1957年
第111号条約 差別待遇の禁止 1958年
第158号条約 使用者の発意による雇用の終了 1982年
の
重要な国際条約について、
使用者・労働者・政府の各委員が、議論をしています。
結論を言えば、
日本はまだ、これらの基本的な条約を結べる状況ではないということなのです。
国内法の改正に難題があるというわけです。
*この懇談会は、2003年8月27日に第1回を開催しています。
その後の審議内容と提出資料は厚生労働省のHPにアップされています。
*研究会等→国際課 でクリックします。
【雇用・労働保護は社会の基盤】
最近、日本社会におきている問題の根っ子には、
○ 働きたいのに働く場がない
○ 働いている人は体を壊すほど働かされる
○ 同じ仕事をしているのに、待遇に差がある
○ 「おいしい仕事」への採用には不透明な手心が加えられる
○ 若い人は、社会への参加としての自分の仕事のイメージがつくれない
といった、雇用の確保や労働保護の分野での政策の弱さがある。
マーケット(経済市場)に任せておけば、弱い立場の被雇用者の安心・安全がない。
7月3日付けのこのブログで
五十嵐 仁『労働政策』(日本経済評論社、2008年5月)のことを紹介しました。
何故、日本の労働政策が、この数年だめになったのか?
についての優れた考察があります。
*詳しくは、回を改めてお話しますが、政治のトップがアメリカ流の市場万能主義の採用したこと、ちょうどその頃、行政改革で労働省が厚生省と統合され、その際に、労働保護の担当局である「労政局」が廃止されたことなどは象徴的な事実です。
同書、p34 p190
【ILOの創始メンバー】
五十嵐『労働政策』の最後の第6章 pp.241-274
は
「ILOと労働政策」
で、歴史的な経過を踏まえた日本の問題点を整理しています。
長くなりましたが、
1919年にILOを作った会議には、9カ国が集まっており、日本はその中の1国でした。 p256
当時の日本の国際的な評価を反映していますが、参加の内容は余りほめられたものではなかった。
労働サミットからみえること
では、岩清水さんが
世界の中での日本の労働の課題について、新潟でのサミットを借りて述べています。(2008年5月13日、「岩清水日記」の記事)
*写真は、
少し前に撮った、甲南通りの夕方です。(まっすぐ行くと鹿児島中央駅)