1941年4月7日生まれ(今度の4月で67歳)
△ 1961年春 公立某大学医学部に合格したがそこへは行かず国立の法学部へ進学
*医学部入学のための「支度金」が私には予想以上に巨額だった。
△ 1964年夏 大学4年生 某新聞社に合格したが結局就職はしなかった。
*ブログを書いて若き頃の夢を今果たそうと??
△ 1984年秋 本省課長を1年やって「これから」というとき退職した。
*このときの知識を年月で膨らまして、今「高齢者福祉論」を講ずる。
△ 1995年春 最初につとめた大学の「研究所長」を1期つとめて北海道へ。
*このとき、鹿児島を思ったが機会がなかった。
そして
2006年春、鹿児島へ。(義母が大隅半島に住む。89歳。要介護1。独居)
定年(70歳)まで、あと若干の年月が。
2年近く鹿児島に住み、この間、
・現実社会では奄美大島と出会い、
・バーチャル社会ではブログと出会う。
ついに、「現実」と「バーチャル」の接点がみつかりそうに・・
*冒頭のセリフは
『ワーズワース詩集』(岩波文庫、田部重治選訳。2004年第77刷)
p103、「決意と独立(水蛭とる人)」17節の末尾から。
William Wordsworth は、1770年4月7日生まれ。
**写真は、2月11日、長崎鼻のフラワーパークにて。
△ 1961年春 公立某大学医学部に合格したがそこへは行かず国立の法学部へ進学
*医学部入学のための「支度金」が私には予想以上に巨額だった。
△ 1964年夏 大学4年生 某新聞社に合格したが結局就職はしなかった。
*ブログを書いて若き頃の夢を今果たそうと??
△ 1984年秋 本省課長を1年やって「これから」というとき退職した。
*このときの知識を年月で膨らまして、今「高齢者福祉論」を講ずる。
△ 1995年春 最初につとめた大学の「研究所長」を1期つとめて北海道へ。
*このとき、鹿児島を思ったが機会がなかった。
そして
2006年春、鹿児島へ。(義母が大隅半島に住む。89歳。要介護1。独居)
定年(70歳)まで、あと若干の年月が。
2年近く鹿児島に住み、この間、
・現実社会では奄美大島と出会い、
・バーチャル社会ではブログと出会う。
ついに、「現実」と「バーチャル」の接点がみつかりそうに・・
*冒頭のセリフは
『ワーズワース詩集』(岩波文庫、田部重治選訳。2004年第77刷)
p103、「決意と独立(水蛭とる人)」17節の末尾から。
William Wordsworth は、1770年4月7日生まれ。
**写真は、2月11日、長崎鼻のフラワーパークにて。
医者になるには金が掛かる
からだと言ってました。
インターン時代は日々の食事にも事欠くくらいの薄給のうえ病院近くのマンションに住まないと急患に対応できないうえに労働時間が極端に長いのでバイトも出来ず専門書も高価だそうで一人前になるまでにはトンでもなく金か掛かるそうです。
退官され教育者の道を歩まれて24年
やはりbonn1979さんは学者の道が合っているのでは?
コメントありがとうございます。
就職のとき友人が
「どうして医者でもないのに厚生省(当時)へいくの?」といわれて以来
金沢の大学に勤務しているとき
学生の就職先の拡大ののため
老人保健施設へ挨拶に行き
「うちは主人(医者)のツテだけとっているので
お帰りください」と
窓口で追い返されたり
と
この問題
(医者になりそうでならなかった)
は長く私の人生で尾を引いたのでした。
いまは
人生行路も終点ちかく
鹿児島の温暖な気候と
新鮮で安い食材に
平安をえつつあります。