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ソーシャル・アタッシェ

2007-09-30 09:50:04 | 地球→ドイツブログ
このブログでの私のID(ブログ名)は、
bonn1979
です。
これは、Bonn(昔の西ドイツの首都)に1979にいた(1982年まで)
というところからつけました。
1941年生まれ、現在66歳の私にとって40歳直前になって
ドイツに住んだということが一番の思い出だという意味をこめています。


先日
「ソーシャル・アタッシェ」という言葉を使いました。
attache (フランス語。最後のeには、´アクサン・テギュが付くのですが)
は、もともと「大使館随員」という意味合いの言葉です。
a military attache が有名です。
大使館付き武官 といわれ、各国の軍の幹部候補生が大使館に派遣されている。
ドイツでも、向かいの部屋は防衛庁(当時)から派遣された武官がいた。
ボンには、当時各国の武官が駐在していたが、なんどか日本大使館の武官に誘われて、
「在ドイツ○○国武官主催晩餐会」のようなものに夫婦で招待されたこともあります。
多くのお客さんが制服を着ていて圧巻でした。

というわけで、
大使館にいる専門分野ごとのスタッフをアタッシェと呼ぶ慣わしです。
武官の他には、商務官や広報官などがよくでてきます。
そこで、新しい分野ですが、社会保障分野の担当ということで
「ソーシャル・アタッシェ」がおかれたわけです。
ドイツに在る日本大使館の場合、それまでに労働省からの専門家が
派遣されていましたが、ソーシャル・アタッシェは私が初代でした。

30年前の話で、いまのことは知らないのですが
終戦直後7000人いた日本の外交官は占領軍によって3500人へと半減させられた。
戦後の復興期を終えて、外務省が定員増を図ろうとしたころには
行政改革で「定員削減」の時代になっていた。
そこで、各省の定員を活用して外交官の定員を増す方法として
A省の定員を2名削ると、外交官ポストをA省に1名認める
という方法が考えられた。
私が初代で赴任したドイツ大使館のソーシャル・アタッシェのために
親元の厚生省の定員が2名削減された。

帰国間じかになって
「一等書記官」から「参事官」になった。
大使館に勤務したひとならわかるのですがこの違いは
とても大きいです。
例えば、新大使が赴任したときにその国の元首(ドイツでは大統領)
に天皇陛下の信任状を「奉呈」する儀式があるが
その出席者は、大使の他、公使(ドイツでは1人)、参事官に限られる。
(当時のドイツでは、たしか、私を入れて5人だったか)

外務省の当時の慣例では、入省17年10ヶ月になると参事官になると
いうわけで、以後、世界各国に厚生省から多くのソーシャル・アタッシェが派遣されたが、
参事官になったのは、私一人です。
(能力とかではなく、それだけ、年をとって赴任したという話です)


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1 コメント

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なるほど。。 (はるむん。)
2007-09-30 19:32:32
早速、お答えいただいてありがとうございます。
仏語だったのですね。。どおりで。。

そういった職種があることも知らず、
失礼いたしました。
また丁寧に教えていただいて
ありがとうございました。

ブログがとても秋らしくなりました。
熊本は暑かったのに、関東はとても寒くて、
びっくりしました。

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