【野口悠紀雄の著作から】
『戦後日本経済史』(新潮選書、2008)については、
昨日もこのブログでとりあげたばかりです。
「日本衰退の理由はなにか」
というタイトルは
この本の書評を書いた香西泰の小論文の見出しです。
(新潮社の『波』2月号、p30-p31)
香西泰は、元の経済企画庁のエコノミスト、
現在の政府税制調査会会長といえば、思い出す人もあるでしょう。
【現在の日本の惨状暴露】
香西は、短い書評の終わりの方で
「・・本書で最も重要なのは歴史を負った現在の日本の惨状暴露である。・・
社会保障財政の暴走処理には手がつけられない日本に再生の道はあるか。・・」
といっている。
私は、
昨日書いたとおり、野口悠紀雄のことも、『戦後日本経済史』のことも
知ってはいたが、香西の論のこのくだりで
本屋へ行き、注文をしたのです。
【「公的年金」というねずみ講】
では、香西の言う「社会保障財政の暴走」とは何をさすのか。
ここで、昨日は触れなかった、年金の箇所を紹介します。
(『戦後日本経済史』、p113-p115)
・戦前に生まれた人は、わずかばかりの保険料を払って年金を受け取る。
・その年金は、本人が払った保険料ではとても賄いきれないほど高額なので
あとから生まれた人々が負担する。
・厚生労働省は、これを「世代と世代の助け合い」と説明しているが、
先の世代があとの世代を支えることはできない。
・だから、正確には「あとの世代が先の世代を支える」制度である。
・日本の人口が増え続ければ、この仕組みは破綻しない。
・人口増加率が低下すると、あとから来た人々の負担率は上昇する。
【なぜ、こんなことに】
野口は、
1973年の、「5万円年金」をスローガンに行われた年金改正が
なぜ行われたのかについて
(別の本、『「超」リタイア術』で詳しく書いたとして)
・1970年代初めの空前の好況 1972年 14.5% 1973年 21.8%
・国税収入の伸び 1972年度 23.2% 1973年 35.1%
という環境を挙げた。
・当時は、まだ日本の人口構造において高齢者の比率は低かった。
【元年金局長の述懐】
私は、経済学は素人だし、学問の訓練も学部どまり。
ですが、公務員を退職後、偶然の機会を得て教壇にたつことになる。
そのときかばんを持っていたのが故人ですが伊部英男という人で
彼のかばんを持って研究会などのお供をした時代があります。
「・・年金局長の頃、自分の後ろには誰もいないことに気がついて
恐ろしかった・・」つまり、年金のような大切な政策について、政治家で
本質を理解していた人はいない・・ということをポロッといわれたことがある。
(1973年改正の少し前の年金局長)
『戦後日本経済史』(新潮選書、2008)については、
昨日もこのブログでとりあげたばかりです。
「日本衰退の理由はなにか」
というタイトルは
この本の書評を書いた香西泰の小論文の見出しです。
(新潮社の『波』2月号、p30-p31)
香西泰は、元の経済企画庁のエコノミスト、
現在の政府税制調査会会長といえば、思い出す人もあるでしょう。
【現在の日本の惨状暴露】
香西は、短い書評の終わりの方で
「・・本書で最も重要なのは歴史を負った現在の日本の惨状暴露である。・・
社会保障財政の暴走処理には手がつけられない日本に再生の道はあるか。・・」
といっている。
私は、
昨日書いたとおり、野口悠紀雄のことも、『戦後日本経済史』のことも
知ってはいたが、香西の論のこのくだりで
本屋へ行き、注文をしたのです。
【「公的年金」というねずみ講】
では、香西の言う「社会保障財政の暴走」とは何をさすのか。
ここで、昨日は触れなかった、年金の箇所を紹介します。
(『戦後日本経済史』、p113-p115)
・戦前に生まれた人は、わずかばかりの保険料を払って年金を受け取る。
・その年金は、本人が払った保険料ではとても賄いきれないほど高額なので
あとから生まれた人々が負担する。
・厚生労働省は、これを「世代と世代の助け合い」と説明しているが、
先の世代があとの世代を支えることはできない。
・だから、正確には「あとの世代が先の世代を支える」制度である。
・日本の人口が増え続ければ、この仕組みは破綻しない。
・人口増加率が低下すると、あとから来た人々の負担率は上昇する。
【なぜ、こんなことに】
野口は、
1973年の、「5万円年金」をスローガンに行われた年金改正が
なぜ行われたのかについて
(別の本、『「超」リタイア術』で詳しく書いたとして)
・1970年代初めの空前の好況 1972年 14.5% 1973年 21.8%
・国税収入の伸び 1972年度 23.2% 1973年 35.1%
という環境を挙げた。
・当時は、まだ日本の人口構造において高齢者の比率は低かった。
【元年金局長の述懐】
私は、経済学は素人だし、学問の訓練も学部どまり。
ですが、公務員を退職後、偶然の機会を得て教壇にたつことになる。
そのときかばんを持っていたのが故人ですが伊部英男という人で
彼のかばんを持って研究会などのお供をした時代があります。
「・・年金局長の頃、自分の後ろには誰もいないことに気がついて
恐ろしかった・・」つまり、年金のような大切な政策について、政治家で
本質を理解していた人はいない・・ということをポロッといわれたことがある。
(1973年改正の少し前の年金局長)