写真は、
見見楽楽~九州ぶらり放浪記~ 2010.07.22付けからお借りしました。
【高校野球が中止になった夏】
文藝春秋のPR誌『本の話』(2010-8)で、
『幻の甲子園』(早坂隆)の紹介記事を読む。
本の副題には、「昭和17年の夏」と「戦時下の球児たち」とある。
執筆は、キャスターの草野 仁pp.10-11
幻の甲子園
この本は、「立ち読み」ができて、パソコンで出だしの数ページが読めます。
昭和16年から昭和20年の5年間、高校野球(当時は「中等学校優勝野球大会」は中止された。
昭和16年7月、すでに地区予選が始まっていたのに、文部省はこの大会の5年間の中止を通達した。その年12月に太平洋戦争が始まり、まさに5年後の昭和20年に戦争は終わった。その微妙なタイミングに驚かされる。
*私は、昭和16年4月生まれ、同級生には「東洋一」(とよかず)君がいたりする世代。
物語は、「実は、廃止になったハズの大会が、昭和17年夏には行われた」という話を詳しく取材した。若者たちの「戦意高揚」を兼ねて「第1回大日本学徒体育振興大会」が開かれ、その中の一競技として「第1回全国中等学校体育大会野球大会」を開催するという方法が編み出された。この大会は、全国中等学校体育野球連盟の公認する大会としては認められておらず、朝日新聞社の記録には記載されていない。
【もう一つの中止】
このエッセイの紹介だけでは、日頃スポーツネタには暗いわがブログで取り上げることもなかった。
友人にして私のブログの技術指南役であるgenesislife氏の
鹿児島散歩
の2010.07.22付け記事を読んで、もう一つの重要な「野球が中止になった夏」のことを知ったからです。
おととい、7月22日は、鹿児島県の県予選が行われた日で、私も自宅でTV観戦しました。
その7月22日、といっても1918年の夏、の7月22日は、富山県魚津の漁村の女房たちから始まった「米騒動」が起きた日だった。
「鹿児島散歩」は、そこから、「戦争と平和」というトーンの記事に話を進めています。
* 高校野球は、1915年に始まったばかりだった。甲子園球場で行われるのは、第10回大会(1924年)からである。
【魚津】
魚津は、現在、魚津市。
私は、高校卒業まで富山市にいた関係で懐かしい地名です。8年ほど前、金沢の大学に勤務していた頃、魚津市にある特別養護老人ホームの理事をしていた関係で何度か魚津市へも行きました。海岸にある「米騒動の起きた場所」という箇所へも行きました。
1918年夏、富山県から起きた米騒動は、またたくまに全国に波及し、当時は、軍隊が出動して制止している。この動乱で、当時の寺内内閣は総辞職し、内務省に「社会局」が設置される。これが、1938年の厚生省へとつながっていく。(その後、2001年、厚生労働省となる)
*立ち読みした限りでは、早坂の本には「米騒動で野球が中止になった」という言及はない。また、草野の書評でも触れられていない。
見見楽楽~九州ぶらり放浪記~ 2010.07.22付けからお借りしました。
【高校野球が中止になった夏】
文藝春秋のPR誌『本の話』(2010-8)で、
『幻の甲子園』(早坂隆)の紹介記事を読む。
本の副題には、「昭和17年の夏」と「戦時下の球児たち」とある。
執筆は、キャスターの草野 仁pp.10-11
幻の甲子園
この本は、「立ち読み」ができて、パソコンで出だしの数ページが読めます。
昭和16年から昭和20年の5年間、高校野球(当時は「中等学校優勝野球大会」は中止された。
昭和16年7月、すでに地区予選が始まっていたのに、文部省はこの大会の5年間の中止を通達した。その年12月に太平洋戦争が始まり、まさに5年後の昭和20年に戦争は終わった。その微妙なタイミングに驚かされる。
*私は、昭和16年4月生まれ、同級生には「東洋一」(とよかず)君がいたりする世代。
物語は、「実は、廃止になったハズの大会が、昭和17年夏には行われた」という話を詳しく取材した。若者たちの「戦意高揚」を兼ねて「第1回大日本学徒体育振興大会」が開かれ、その中の一競技として「第1回全国中等学校体育大会野球大会」を開催するという方法が編み出された。この大会は、全国中等学校体育野球連盟の公認する大会としては認められておらず、朝日新聞社の記録には記載されていない。
【もう一つの中止】
このエッセイの紹介だけでは、日頃スポーツネタには暗いわがブログで取り上げることもなかった。
友人にして私のブログの技術指南役であるgenesislife氏の
鹿児島散歩
の2010.07.22付け記事を読んで、もう一つの重要な「野球が中止になった夏」のことを知ったからです。
おととい、7月22日は、鹿児島県の県予選が行われた日で、私も自宅でTV観戦しました。
その7月22日、といっても1918年の夏、の7月22日は、富山県魚津の漁村の女房たちから始まった「米騒動」が起きた日だった。
「鹿児島散歩」は、そこから、「戦争と平和」というトーンの記事に話を進めています。
* 高校野球は、1915年に始まったばかりだった。甲子園球場で行われるのは、第10回大会(1924年)からである。
【魚津】
魚津は、現在、魚津市。
私は、高校卒業まで富山市にいた関係で懐かしい地名です。8年ほど前、金沢の大学に勤務していた頃、魚津市にある特別養護老人ホームの理事をしていた関係で何度か魚津市へも行きました。海岸にある「米騒動の起きた場所」という箇所へも行きました。
1918年夏、富山県から起きた米騒動は、またたくまに全国に波及し、当時は、軍隊が出動して制止している。この動乱で、当時の寺内内閣は総辞職し、内務省に「社会局」が設置される。これが、1938年の厚生省へとつながっていく。(その後、2001年、厚生労働省となる)
*立ち読みした限りでは、早坂の本には「米騒動で野球が中止になった」という言及はない。また、草野の書評でも触れられていない。
詳しくはWikipediaで『米騒動』を検索すると分ります。
『幻の甲子園』俄然興味が沸きました。
敵国の言葉を使わないとして「ストライク」や「アウト」などを日本語で表現していた話も滑稽に感じますが、当時は大真面目だったのでしょう。
軍人が政権を握りファシズムに走る中で、軍事教育を強いられ自分を押し殺して短い命を終えて行った若者がたくさんいた時代。
平和の有難さを感じずにはいられません。
関係ないですが、私も全国優勝を2回している甲子園出場常連校の出身です。
自分が中学生の時全国優勝をしてパレード凱旋しているところを見て憧れて入学したのですが、高校1年の時は3年生が1年生を殴って出場停止、2年の時は決勝で敗退、3年生の時にやっと甲子園に行きました。
2回戦、東北高校に負けてしまい、甲子園で涙を流した思い出があります。
不祥事で出場辞退をした年は3年生が泣いていました。強い学年だったので。
運命と割り切るには悔しい、
時代がそうだったからと割り切るには哀しい、
争いで犠牲になるのはいつも関係ない者、弱い者ばかりです。
若い時は体を鍛えるのが楽しかった。
世界も自分も輝いている時でした。
今は娘の青春に昔の自分を重ねています。
コメントありがとうございます。
桜島の写真という不動のテーマのほかに
動植物
音楽
そして
今回のようなテーマを
一貫して追っておられることに
あらためて敬服しているところです。
「米騒動による野球大会の中止」
は、金曜夜の修士の講義の
最終回でのまとめにも使いました。
「何が歴史を変えるか?」
というテーマの一例として。
コメント有難うございました。
一番ヶ瀬康子先生が
よく「福祉と平和」っていっておられた。
私の連れ合いは
父親が戦地から病を得て帰り
いわゆる戦病死。
母親は生活のために小学校を転々。
だから、親と一緒に過ごすことにない
子ども時代でした。
靖国神社への旅行をかたくなに拒んできたと。
アメリカのソーシャルワーカーは
平和運動に熱心です。
夏は
いやでも戦争を思い出させますね。
神奈川の常連といえば
M投手のいたY高校かなぁ
若いころに
スポーツをするのはいいですね。
*8月1日が近づいてきましたね。
先日貴ブログでVサインのお写真をみかけたような・・