介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

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8 鹿児島は中世が息づく街

2008-05-04 04:39:00 | 鹿児島
北陸で育って
東京で全国の人と出会い
北海道に行きました。

北海道は
明治になってできたところで
厳しい気候の中を助け合って生きてきた
という雰囲気が生活の中にあります。
具体的にいうと、新参者にやさしい。

鹿児島に来て2年ですから、まだなんともわかりませんが・・

圧倒的な確かさは
自然の素晴らしさですね。
もし、船で鹿児島湾に入るとすれば
すぐに開聞岳がその優美な姿を
右手には大隅の山々が
進むにつれて桜島、遠方に霧島の山並み。
この海と山の風景は
日本のなかでも素晴らしいものだと思います。

しかし、
(進む船から見て)左側に見える住宅の密集地の醜悪さはまたひどいと思います。
これは、明治以降か、正確には、昭和40年代以降のことでは?
金沢との対比は前にも書きました。
札幌の町並み、文京区。
さらには、ヨーロッパで見聞した町との対比ですが。
人間が都市に住む場合の根本が考えられていません。

人間関係。
いま幕末が話題になっています。
江戸時代の閉塞状況を打破し、日本を欧米の植民地化から防いだのは
江戸末期の薩摩藩であることは
鹿児島の人ならずとも認めていると思います。
特に島津斉彬の業績・存在。

私は
そのさらに昔の
島津義弘などの中世に遡らないと鹿児島の理解はできないと思っています。
中世城郭研究の三木靖先生の講義からの連想なのですが・・
外城・麓・野町といったシステムのもとは義弘の頃からですね。
今日まで、各地に地名にも残っています。
このシステムの根本は「戦いに備える」ことで
地形的なこともありますが
「よそ者は信用するな」という心理を地域社会に強固に植えつけた。

このことを否定的にいっているのではなく
地元の新聞を読むと
連日のように古くからの習俗や祭りが報じられている様子に
地域社会の強さをみるのです。
日本社会、特に都会が失ったものが。

まとめてみると、
私のような外部から来て住むものから見ると

○ 自然が残っている
○ 人々の地域への帰属意識は強い。

反面
○ 都市部の開発は無秩序
○ サービス業には向かない(愛想は言わない)

*写真は、昨日5月3日、市役所前のと通りをまっすぐ歩いて。
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