佐々木毅。学習院大学教授。
元東大総長。
政治思想史が専攻。
今度の本は、
日本の政治が今、構造的な変化のときを迎えている
ということを東西の文献を駆使して説明している。
そして、
「市民よ、政治に参加せよ」と。
タイムリーな書物です。
実は、(ブログであまり個人的なことをお話するのは避けているが・・)
佐々木さんは、大学の同級生です。
1961年入学。50人程度の語学専攻の組を編成するためにあいうえお順に並べる。
私が配属された(第2外国語)「ドイツ語4クラス」に佐々木君がいた。
後に東大総長となるだけの男で
彼の優秀さを示すエピソードは多いでしょう。
私が、
今日のタイトルでいおうとしていることは、
1965年春、卒業式の頃、
私は(当時の)厚生省に内定していた。
彼は、東大助手。3年して助教授となる。
佐々木君(いつのまにか「君」づけになりました・・)が、その頃口にしたことで忘れられないせりふがあります。
「君は、ファクト(事実。英語で言うところが彼らしい)をやればいいが、自分は目に見えないものをやるので難しい。」
『政治の精神』は、内外の文献を駆使して、「今度の選挙は大事だ」というが、本書には、ついに、というか、当然にというか、医療、介護、年金といった社会性のあるテーマは語られていません。
*「ファクト」は、君がやるのではなかったの?
えっ?その「ファクト」もしないで、もう定年なの?と、彼に冷笑されそうです。
元東大総長。
政治思想史が専攻。
今度の本は、
日本の政治が今、構造的な変化のときを迎えている
ということを東西の文献を駆使して説明している。
そして、
「市民よ、政治に参加せよ」と。
タイムリーな書物です。
実は、(ブログであまり個人的なことをお話するのは避けているが・・)
佐々木さんは、大学の同級生です。
1961年入学。50人程度の語学専攻の組を編成するためにあいうえお順に並べる。
私が配属された(第2外国語)「ドイツ語4クラス」に佐々木君がいた。
後に東大総長となるだけの男で
彼の優秀さを示すエピソードは多いでしょう。
私が、
今日のタイトルでいおうとしていることは、
1965年春、卒業式の頃、
私は(当時の)厚生省に内定していた。
彼は、東大助手。3年して助教授となる。
佐々木君(いつのまにか「君」づけになりました・・)が、その頃口にしたことで忘れられないせりふがあります。
「君は、ファクト(事実。英語で言うところが彼らしい)をやればいいが、自分は目に見えないものをやるので難しい。」
『政治の精神』は、内外の文献を駆使して、「今度の選挙は大事だ」というが、本書には、ついに、というか、当然にというか、医療、介護、年金といった社会性のあるテーマは語られていません。
*「ファクト」は、君がやるのではなかったの?
えっ?その「ファクト」もしないで、もう定年なの?と、彼に冷笑されそうです。
学校からの帰宅途中、書店に立ち寄り上記の本を見つけ、パラパラとめくってみて「難しそう」と思いつつマックス・ウェーバーのことが書かれていたことと、選挙前に少し政治について考え見ようと思い購入した。関心の持てそうなところの拾い読みに終わりそうですが、少しずつ読み進めてみようと思います。
コメントありがとうございます。
私が自分の力量・実績をかえりみず
生意気なことをいっているのは
大学の正統派が福祉や介護を学んでいないことが社会全体の公共性をそこなっているのでは?
という思いがあるからです。
*丸山、佐々木などの仕事は評価しているのですが、それを乗り越えないと福祉や介護の正統性はでてこないのではないか?という思いです。この点では、故阿部謹二?先生が重要な存在でした。
「政策」面では、日ごろ、「遥香の日記」で提起されているような課題こそ、政治学や経済学の先生たちが明らかにしてほしいと願っています。
「ソーシャルワーク」では、日本の実践が言語化・体系化・理論化されることが大事ですね。
「坂之上の夜明け」ではじめたのは、これらのことのほかに「介護福祉士」という仕事をより統合的な専門職へと発展できないか?という思いです。なかなか体系的にとはいきませんが。
→
阿部謹也
の誤りでした。