小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

知行合一(陽明学)

2015-06-10 12:11:44 | 考察文
僕は、昨日、「孤独な医学生」で、留年したクラスの人間を、低能な、下等な、ヤツラと言った。

これに対し、彼らは、こう反論するかもしれない。お前は、勘違いした、傲慢でバカなヤツだ、と。

「人を陰で、笑いものにするのは、悪いこと」だとか、「授業中、お喋りするのは、悪いこと」なんて、そんなことは、はるか子供の時から、知っている。バカにするな、と。バカなのは、お前の方だと。

しかし、私は、彼らは知らないと思っている。

陽明学では、「知って行なわざるは未だこれ知らざるなり」(知っても行動しなければ知らないのと同じである)と言っている。まさに、その通りだと、私は、思うのである。

つまり、彼らは、知らないのである。

人を陰で笑いものにしたり、授業中、うるさいお喋りで、授業妨害して平気な人間が、立派で、頭のいい人間である、というのか?そういうべきなのか?私には、そんな、ヤツラは、低能で、下等な人間としか思えない。

事実を知らないで、憶測で、書くのは、極めて、よくないことだが、私は、おそらく、笹井芳樹先生、や、山中伸弥先生、は、学生時代、そんなことは、していなと思う。

江戸時代、武士に、何回も、学問(儒学)の奨励が行われたが、全て、朱子学である。幕府は、陽明学を禁止した。それは、陽明学が、間違った思想だからではなく、幕府にとって、都合の悪い、思想だったからである。

実際、大塩平八郎の乱を、起こした、大塩平八郎は、陽明学者だった。

何も、維新の志士たちのように、大変な勇気と、知恵と、労力、のいる、そして、「死」を覚悟しなければ、ならない、ほどの行動でも、何でも、ない。

ただ、しなればいい、だけである。それすら、ヤツラは、出来ないのである。

だから、僕は、彼らを、低能で、下等な、ヤツラだと思っているのである。

要するに、医学生なんてものは、単位を取ることと、国家試験に通ること、だけしか頭にない、思想的には、カラッポなヤツが、ほとんどなのである。

僕は、医学部には、小学校のように、各学年に、担任教師と、ホームルームと、クラス会議を、つけるべきだと、思っている。

以前にも、書いたと思うが、(2009年12月5に書いていた)僕が高校の時、船久保浩二という生徒が、クラスのヤツラにいじめられている、のに、僕は、勇気がなくて、助けてやれなかった。それは、今でも、僕の心の棘となっている。僕は、その十字架を一生、背負って生きていく。

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