小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

モハメド・アリの宗教は、モハメド・アリにとって正しい

2016-12-29 23:35:17 | 考察文
モハメド・アリの宗教は、モハメド・アリにとって正しい。

この、(モハメド・アリにとって)、という「条件」、は、とってしまっても、本当はいいのだが。

なので。

「モハメド・アリの宗教は、正しい。」

と言いきっても、いい。

モハメド・アリの信奉した宗教、イライジャ・モハメド、や、マルコムX、などは、過激な、黒人至上主義のイスラム教、の一派だと言われた。

確かに、良識的に考えても、その教えには、ちょっと過激な思想が多い。

それを、アメリカの、良識的な、評論家や学者たちは、間違っている、と指摘しつづけた。

彼らの言い分は、(良識的には)もっともである。

しかし。

だから、どうだといのうのだ。

モハメド・アリは、信者になる前も、人格的に良い人間だったが、信者になってからは、さらに、彼は、優れた人格者になった。

モハメド・アリは、「私は、信仰をもってから、自分を知り、自分の誇りを知り、愛を知り、勇気を知った」、と言っている。

し、それは、事実、その通りである。

アメリカの、良識的な、評論家や学者たちは、「君の教祖は、君の心を虫食んでいる」、と言ったが、現実を全く見ていない。

モハメド・アリは、信仰をもつようになってから、過激派とか、過激な人間になったというのか?

なってなんかいない。

イライジャ・モハメドの教えに、いくつかの、過激な発言がある→だから、イライジャ・モハメドの宗教は間違いである。というのが、評論家たちの、考えだ。

しかし。

結論から言えば。

宗教の、教え、だの、教義、なんてものは、どうでもいいことだ。

大切なのは。

「信仰によって、その人の人格が高まるのなら、それは、いい宗教だ」

ということだ。

逆に。

キリスト教、特に、プロテスタントは、いい宗教だと言われている。

しかし、私は、キリスト教の洗礼を受け、毎週、日曜は、かかさず教会に行っている、自称、クリスチャンでも、わがまま勝手な、自己中心的な、人間を、いくらでも見てきている。

アメリカという国家にしても、その思想の、バックボーンは、キリスト教ということになっている。

では、アメリカという国家は、キリストの教えを守っているのか?

アメリカは、良い国なのか?

全然、そうは思えない。

つまり。

宗教の、教え、とか、教義、なんて、どうでもいいのだ。

「信仰によって、その人の人格が高まるのなら、それは、いい宗教だ」

ということだ。

これを、みんな、間違えて、とらえている。

だから、「悪魔を崇拝する、悪魔教」、という宗教でも、「信仰によって、その人の人格が高まるのなら、それは、いい宗教だ」

ということになる。

一般人は、オウム真理教は、間違った宗教で、それを、ひきついでいる、アレフとか、ひかりの輪、とかの、宗教は、無くせ、と言っている。

しかし。

アレフとか、ひかりの輪の、信者は、悪い人間なのか?

僕には、全くそう見えない。

むしろ、彼ら(アレフや、ひかりの輪の信者)は、おとなしく、信仰によって、心の平安を得ているようにしか、僕には見えない。

むしろ、アレフとか、ひかりの輪、とかの、宗教とかを、無くせ、と言っている人間の方に、業の深い、心の汚い、人間が無数にいる。

ように、僕には、思えて仕方がない。し、事実、そうである。

彼らは、日本国憲法に保障されている、信仰の自由を否定し、信者が当然、持っていいはずの、居住権まで否定しようとしている。

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